その恩がため


「まったく、ひでぇ目にあったぜ!」

「ご無事で何よりです……っ! 本当に心配したんですよ、弥兵衛やへえさん!」


 場所は再び月海院つきみいん

 座敷の奥で布団にあぐらをかいた弥兵衛は、己の首元をさすりながら、具合を確かめるように肩を回した。


「しっかし、俺は間違いなくあいつらに吹っ飛ばされたと思ったんだがなぁ……それをおめぇが治したってのは本当かよ?」

「俺には特別な力が七個あるんだ。弥兵衛さんを治したのはその一つ。俺が〝癒やしの緑〟って呼んでる力だよ」


 まだ信じられないという様子で奏汰かなたに尋ねる弥兵衛。

 目覚めた弥兵衛の話によれば、やはり弥兵衛に危害を加えたのは先ほどの金五郎かねごろう一味であるらしい。

 月海院から出てきたところを巨漢の一人につまみあげられ、そのまま頭から地面へと放り投げられたのだという。


「そうかい……なら、つるぎは俺の命の恩人ってわけだ。ありがとよ……感謝する」

「お礼なら、俺よりもルナさんにだよ。最初にルナさんが弥兵衛さんの傷を一目で説明してくれてなかったら、こんなに簡単にはいかなかったと思うから」

「そんな……私はなにもしていません。つるぎさんのおかげで本当に助かりました。ありがとうございます」


 布団の上でぐぐいと頭を下げる弥兵衛。

 奏汰はそれをルナの手柄と謙遜し、ルナは奏汰のおかげと感謝で返した。


「そうだぞ弥兵衛とやら。奏汰とルナ……神である私が認めたこの二人がいたからこそ、君の命は助かったんだ。せいぜい感謝するといい!!」

「なんもしてねぇおめぇが、なんで偉そうにするんだよ?」

「ごめんな弥兵衛さん。クロムはいっつもこんな感じで、普段からめちゃくちゃ偉そうなんだ」

「なんだそりゃ!? どこぞのきゅうり侍にそっくりじゃねぇか!?」

「ええええっ!? ちょ……ぼ、僕は偉そうにはしてないですよ!?」


 実に偉そうな物言いで胸を張るクロム。

 奏汰はすでにクロムの態度にも慣れているらしく、すかさず弥兵衛に口添えを入れた。


「なぜ奏汰があやまるんだい? 私は事実を話しただけだというのに! そもそも――」

「そ、それはそれとしましてっ! やっぱり奏汰さんはほんっとーにすごいですよっ! ただ強いだけじゃなくて、こんなにも人様のお役に立つような力まで使えるなんて!」


 さらに食い下がろうとするクロムに、横で見ていた新九郎しんくろうが被せ気味に割り込む。

 新九郎とクロム。同じ自信家の二人であっても、その空気読みとしての力は新九郎がずっと上のようであった。


「他にはどんな力があるんですか? 僕、とっても興味がありますっ!」

「それはまた今度な。今はまず、ルナさんに事情を聞きたいんだ。さっきのあいつの様子じゃ、またここに来るみたいだったしさ」

「…………」


 興奮した様子で奏汰に話をねだる新九郎。

 奏汰はそんな新九郎を笑みと共に制すると、今一度ルナの方に向き直って尋ねた。

 

「俺たちに話を聞かせてくれませんか? もしかしたら、ルナさんの力になれるかもしれない」

「何を隠そう、僕とこちらの奏汰さんは北町を預かる定町廻同心じょうまちまわりどうしんの、木曽きそ様から計らいを受けている身。きっとルナさんの助けになれると思います!」


 ルナは二人の言葉に申し訳なさそうな表情を見せたあと、意を決したように口を開いた。


「――ありがとうございます。元より、渡来の身である私の手には負えない一件でした。すべてお話しさせていただきます」


 そう言うと、ルナは座敷奥にずらりと並んだ大量の書物の山から古ぼけた巻物を取り出すと、やはり座敷奥にしまわれていた〝桐箱きりばこ〟と共に奏汰たちの前に置いた。


「これは、万が一の時にと私が地主様から預かっている品です。

「地主様から?」

「地主様の話では、かつてこの地にまつられていた〝大層立派な神仏〟にまつわる品と……」


 広げられた巻物には、ルナの言葉とおりの神仏についての記述や、ご神体を奉るやしろでの祭祀さいしの方法などが事細かに記されていた。


「でも、これとさっきの奴らにどんな関係があるんでしょう?」

「はい……あの方たちの本当の目的は、この土地を手に入れることだけではないのです」


 新九郎の問いに、ルナは頷きながら桐箱の蓋を開ける。

 するとそこには、一点の曇りもない輝きを放つ一枚の〝銅鏡どうきょう〟が収められていた。


「わぁ……! すごく綺麗な鏡……」

「これが、かつてこの土地で奉られていた〝ご神体〟だそうです。さきほどの方たちはこのご神体を手に入れ、〝この土地から引き離したい〟のだと……地主様はそう言っていました」


 巻物とご神体。

 その二つを奏汰たちに見せた上で、ルナはそれまでの経緯を語って聞かせた。


 診療所が入るこの屋敷を快く貸し与えてくれた地主は、かつてこの地にあった社を奉る〝神官たちの末裔〟であったこと。

 時代の流れと共に社そのものはなくなったが、それでも彼らは小さな神棚かみだなを作ってご神体を奉り、平安の世から続く祭祀を立派に執り行ってきたこと。

 しかし突如としてこの土地に目を付けた金五郎が次々と地主を脅して沽券こけんを奪い取り、小さくも立派な神棚や、祭祀の道具もすべて打ち壊してしまったのだと――。


「地主様は涙を流して何度も私に謝っていました……家族を人質に取られ、沽券を渡して逃げる以外になかったと……」

「待ちたまえっ! それはそれで哀れだと思うけど、なぜそこでルナがこの鏡や古文書を預かることになったんだい!?」

「私がお願いしたのです。地主様の話では、この土地からご神体を引き離せば〝恐ろしい災厄さいやく〟が日の本を襲うということでしたので……」

「けどそれじゃあ、次は君が狙われるだけだろう!? 現に今だって……」

「それでもです。私が今こうしていられるのも、元はと言えば地主様が私にこの屋敷を貸し与えて下さったおかげ……私は、そのご恩返しがしたくて……」


 なぜそんなことをと声を荒げるクロムに、ルナは彼を安心させるように微笑んだ。

 笑みを浮かべる彼女の姿はどこまでも毅然きぜんとしており、たとえ奏汰やクロムが逃げろと言ったところで、聞き届けることはなさそうに見えた。


「ちっ……そういうことかよ。金五郎のやつ、裏で散々やってるとは聞いたが、まさかここまでとはな」

「こんなの、どう考えたっておかしいですよ!! 弥兵衛さんや同心様の力で、なんとかできないんですか!?」

「そりゃ、俺だってなんとかしてやりてぇのはやまやまだがよ……」


 ルナの話に、新九郎は岡っ引きである弥兵衛を頼る。

 しかし弥兵衛は苦々しく舌打ちすると、腕組みのまま首を振った。


「金五郎絡みの申し立ては、今までもさんざん江戸中の奉行所ぶぎょうしょに上がってきた。だがあの野郎の用心深さは相当だ……肝心要かんじんかなめの脅された本人が、どいつもこいつも金五郎に脅されて口を割りやがらねぇ。さっき俺が吹っ飛ばされたのも、言っちまえばあいつと俺以外に〝現場を見たやつがいねぇ〟ってことになっちまう」

「そんな……! じゃあ、このまま泣き寝入りするしかないってことですか!?」

「そ、そういうわけじゃねぇけどよ……」


 ややもすれば粗野で横暴な先入観も浮かぶ近世江戸の刑法だが、その実態はことさら厳格であり、〝疑わしきは罰せず〟の精神が生きる極めて真っ当なものであった。

 江戸時代における犯罪の決定的証拠となるものは、主に犯人自らの自白。そして現行犯〝のみ〟。

 自白を促す厳しい拷問もあるにはあったが、すでに江戸後期となるこの時代には形骸化けいがいかしており、罪人を罪人として捕えることは大変な労力を要した。

 それはつまり、金五郎が被害者の弱みを握って正確な供述を阻みさえすれば、金五郎を悪党として裁く難易度は一気に跳ね上がるということでもある。


「そっか……悪いやつを懲らしめるのが難しい時代だったから、時代劇には〝正義の侍〟が出てくるんだな。なんかすごく納得した」


 弥兵衛の語る江戸の世の習わしにふむふむと頷くと、奏汰は不意に何事かを思いついたように軽く手を打ち鳴らした。


「けどそういうことなら、もしかして俺にも〝同じ事〟ができるのか……?」

「なにか妙案が浮かんだんですか!?」


 奏汰はしばし考えるそぶりを見せると、やがて隣に座る新九郎に向かって不敵な笑みを浮かべた。


「俺たち二人で、本当に先生の用心棒になっちゃえばいいんだよ。さっきみたいにさ!」


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