江戸の薄闇


「みんなをいじめる悪いやつ! せいばいだー!」

「うぎゃー! やられたー! ぱたっ……」


 今日も賑わいを見せる月海院つきみいん前。

 診察に訪れたわらべや付き添いの子らの相手をしていた新九郎しんくろうは、子供たちの繰り出す〝透明な剣〟を受けてばったりと倒れる。


「きゃはは! きゅうり侍よわーい!」

「ねーねー、次はこま鬼しようよー! しんぼーが鬼!!」

「ええっ!? さっきも僕が鬼だったじゃないですかーー!?」

「だってしんぼーって、こま回すの下手くそなんだもん! だから鬼ー!」

「そ、そんなぁ~~!」


 奏汰かなたたちが金五郎かねごろうを撃退して三日。

 あれ以来、金五郎は姿を見せていない。

 奏汰の案で月海院の用心棒となった奏汰と新九郎は、こうして頻繁に診療所に居座るようになっていた。


「ははは! 新九郎もあっという間に人気者になっちゃったな。さすが――」

「――さすが、江戸一番の天才美少年剣士っ! そうそう、そうなんですよ!! やっぱり僕は、どこにいっても人気者になってしまう天命なんですねぇ!! あははーー!!」

「そ、そこまでは言ってないけど……でもまあ、実際そうか」


 その時。倒れた新九郎の前に、買い出しから戻った奏汰がやってくる。

 奏汰から差し出された手を握って立ち上がり、新九郎もまたにこにと笑みを浮かべた。


「あー! かなたが帰ってきたー!」

「かなたもあそぼー!」

「たかいたかいしてー!」

「ちょっと待ってて。先にこの荷物を置いてくるから」


 集まるわらべたちをなだめ、奏汰と新九郎はそのまま月海院の中に荷物を持って入っていく。

 ルナは奥座敷で診察中らしく、土間で待っていた留守番のクロムがルナの代わりに二人を出迎えた。


「ふむ、どうやら無事に帰ってきたようだね。ところで、私が頼んだ〝わらび餅〟はちゃんと買ってきたかい?」

「買ってきたけど、もし違ったらごめんな。まだ一人で町を歩くのになれてなくてさ。これでよかった?」

「おお! それこそ私がルナに食べさせて貰った極上のわらび餅! さすが超勇者、どうやらその力は健在のようだね!!」

「そこは勇者関係ないだろ……」


 クロムは木の薄皮に丁寧に包まれた菓子を奏汰から受け取ると、浮かれた様子で座敷の向こう側へと走り去っていった。

 そのちんちくりんな浮かれっぷりは完全にわらべそのものであり、彼がいくら自らを神だと名乗ったところで、信じる者は一人としていないだろう。


「それでどうでした? 同心様からのお返事は……」

「やっぱり、すぐにあいつらを捕まえるのは無理っぽいな。言い逃れできないような証拠があれば……って感じか」

「そうなんですね……」

「ただ、同心様もあいつらには手を焼いてるって言ってた。弥兵衛やへえさんのこともあるし、出来ることはしてくれるって」


 抱えるほどの荷物を土間に置くと、奏汰は買い出し前に訪れた義幸との話を新九郎に伝える。

 やはり今の段階では、町奉行まちぶぎょう以下の与力よりき同心連どうしんれんが動くのは難しいこと。

 とはいえ月海院が狙われているという事実を勘案かんあんし、手の者を配置することを義幸よしゆきが約束してくれたことなどだ。


「なら奏汰さんが言ったとおり、ここは僕たちがやるしかありませんね……!」

「そうだな……俺たちだけなら大丈夫だと思うけど、ルナさんやお客さんみんなを守るってなると話は違ってくる。大変だけど、気を引き締めていこう」

「はいっ! 僕も頑張りますねっ!!」

 

 ――――――

 ――――

 ――


「――それで。無様にもがき共にやられたお主は、おめおめ逃げ帰ってきたと……そう申すのだな?」

「お、お許し下さいお奉行ぶぎょう様……!! あの土地の手配は、近日中に間に合わせますゆえ!!」


 江戸城周辺に広がる〝特級武家地〟。

 同心のような下級役人ではなく、幕府中枢に仕える有力役人が住まうこの一等地に建つ、見事な二階建ての屋敷――その奥。


 壮麗華美そうれいかびを禁じられた武家の屋敷とは思えぬほどの豪奢ごうしゃな広間に、奏汰と新九郎によって痛い目を見せられた金五郎は、一人の武家者の前で深々と平伏していた。


「金五郎よ。お主が金貸しとしてぶくぶくと私腹を肥やし、ぜいを尽くした暮らしができるのも、全ては我らの力あってのこと。よもや、それを忘れたわけではあるまいな?」

「め、滅相もございません! どうかあと一月……いや、二週だけでも猶予を……!!」


 薄暗い広間。

 四方には数本のろうそくがゆらゆらと灯る。

 金五郎を平伏させ、悠々ゆうゆうと腰を下ろす武家の狐のような横顔が炎の下に露わになる。


「ならぬ。もはやお主に与える猶予など尽き果てたわ」


 灯に照らされた武家の顔は、威厳ある物言いとしわがれた声に反してやけに若かった。

 染み一つない整ったおもてまげを結い、武家としての正装に身を包むこの男の名は秋津洲主膳あきつしましゅぜん

 幕府下三奉行しもさんぶぎょうの一つである作事奉行さくじぶぎょうを務める男であり、江戸における建築と土木を統括する上級役人である。


「そこを何とぞ……! この金五郎、いかなる手段を用いてでも、必ずやあの土地をご献上いたしますゆえ!!」

「ふん……よかろう。ならば〝今より一両日〟だけ待ってやろう。俺は慈悲深いのでな」

「い、いち……!? 一両日でございますか……!?」

「……不服か?」

「ひいっ!?」


 床に額をこすりつける金五郎に冷ややかな視線を送ると、主膳はおもむろに〝不気味な仏像〟を掴み掲げた。

 主膳が取り出したその仏像は、およそ日の本にあるどのような仏像とも異なる姿であった。


 その身に纏うは戦神のごとき甲冑。

 その背にあるは千手。そして雷光のごとき異形の光輪。

 そしてその像の頭部は、前後左右あわせて計六つ。

 その全ての表情が、禍々まがまがしい〝憤怒ふんぬの面〟で埋められていた。 


「期日までにかの地を献上できなければどうなるか……お主もよくわかっておろうな?」


 その主膳の言葉と同時。四隅に灯るろうそくの火がありえないほどに大きくなる。

 広間全体に不気味な炎の光が及び、それまで闇に覆われていた部屋の影から、金五郎が従えていた三人の巨漢たちの〝無残なむくろ〟が浮かびあがった。


「ひっ!? ひいいいい――ッ!?」

「〝我らが神〟は対価を所望ぞ。銭か、供物か、それとも命か……金五郎よ、お主が払う対価はなんであろうな?」


 闇にゆらめく異形の炎。

 その炎はまるで主膳の言葉を肯定こうていするかのように渦を巻き、瞬く間に三人の骸を〝食らいつくして〟しまった。


「お、お助けを……!! どうか、命だけはお助け下さいませ……!!」

「そう怯えるでない……我らが悲願成就のため、お主にも神の力の一端を与えてやろう。その力を十全に使い、今度こそ例の土地と神器を奪って参れ。よいな……?」


 炎の大蛇が消え去った広間。

 再び闇に包まれた先で、主膳の瞳が怪しく輝く。


「は、ははーーっ!! この金五郎、必ずや主命を果たしてみせまする!!」


 それは、まさにこの世ならざる醜悪なる闇の儀式。

 追い詰められ、顔面蒼白がんめんそうはくとなった金五郎の姿を見下ろしながら、闇に座した主膳は酷薄こくはくな笑みを浮かべるのであった――。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る