悪党跋扈


 草木も眠る丑三うしみつ時。

 人の気は絶え、江戸の町をうろつくは猫犬虫のいずれかのみ。

 日またぎ時まで灯っていた通りの提灯ちょうちんも今は暗く、誰もが寝静まる夜の深奥しんおう


「あ、明日まで……! 明日までにやらにゃ、儂は終いだ!! 」


 しかし今。

 全てが寝静まった夜の江戸を、密かに進む影があった。

 数日前、奏汰かなた新九郎しんくろうに撃退された金貸しの金五郎かねごろうとその手下共である。


「やらにゃあならん……!! やらにゃあ、儂はなにもかも失っちまう! 後にはひけん……!!」


 金五郎とその手下が向かった先。

 そこはやはり月海院つきみんであった。

 月海院前の道に、金五郎一味の影がずらりと居並ぶ。


「いつでもやれますぜ、旦那」

「うむ……! まずは屋敷に押し入り、家主の渡来女とらいおんなを引っ捕らえろ。神器はその後でゆっくり家捜しすりゃいい」


 金五郎が作事奉行さじぶぎょう主膳しゅぜんに申しつけられた期限は明日。

 それを過ぎれば金五郎の命はない。

 これまで巧妙に言い逃れできる形で悪事を働いてきた金五郎も、ついに強行手段に出たというわけだ。


「あの忌々いまいましい渡来女め……!! 儂が大目にみてやっていればつけあがりおってからに。しかしそれも今日で終いよ……!! ぐっふっふ……!!」


 その小さな体を揺らし、金五郎は醜悪しゅうあくな笑みをこぼす。

 だがしかし。彼がついに手下共に襲撃の合図を送ろうとした――その時である。


「ふーっふっふっふ! 罪もない人々を苦しめる外道共……やはり現れましたねっ!!」

「だ、誰だ!?」

「どこにいる……姿を見せろ!!」


 月海院前の砂利道に、突如として金五郎一味ではない者の声が響く。

 その声を聞いた金五郎たちは慌てて辺りを見回したが、声の主の姿は影も形も見えない。


「どこを見ているんです……? 僕ならここですよっ!!」

「なぁ!? て、てめぇは!?」

 

 再びの声。

 ついに位置を掴んだその声は、月海院横の〝火の見櫓ひのみやぐら〟の上層から。

 面食らった金五郎一味がよくよく闇夜に目をこらして見れば、そこにはやぐらの見張り台に仁王立ち、〝渾身こんしんのどや〟を決める新九郎の姿があったのだ――!!


「おめぇは……この前のきゅうり侍!?」

「ちーがーいーまーすーっ!! 僕の名は徳乃新九郎とくのしんくろう……江戸一番の天才美少年剣士ですっ!!」 

「ち、ちくしょう……! どうしておめぇがここに!?」

「どうしてもこうしてもありません!! 江戸の人々を苦しめる悪徳高利貸しの金五郎……この僕が現れたからには、あなたの悪行三昧あくぎょうざんまいも今日でお終いですよ!! どやっ!!」


 きゅうり侍と名指しされた新九郎は櫓の上でぶんぶんと腕を振って訂正を求めると、やがて気を取り直して再び〝ででん〟と胸を張る。

 一見すると間抜けなやりとりではあるが、追い詰められた金五郎にとって、己の目論見が露見していた現状は悪夢である。その上――。


「――まだ諦めないって自分で言ってたし、どうせまた来るだろうと思ってさ。俺と新九郎で、ここの用心棒をやることにしたんだ」

「ぐぐ……!? こいつもいたか……!」


 そしてもう一人。

 新九郎とは違いごく普通に月海院の影から現れたのは、見慣れぬ洋装を見事に着こなす精悍せいかんな顔つきの少年――剣奏汰つるぎかなた


「おのれがき共……!! また儂の邪魔をするつもりか!!」

「お前が影で悪さをするって言うのなら、俺たちも〝影からみんなを守る〟……そういうことだ」

「あ、あのあのっ!! なんかもう始まっちゃいそうな雰囲気ですけど、僕がここから下りるまで少しだけ待っててもらっても良いですか? 上るのは簡単だったんですけど、暗い中ではしごを下りるのって思いの外怖くてですね……ぴええっ!?」

「だから止めとけって言ったじゃん!? なんで上ったの!?」


 悪党への〝どや〟を終えて満足した新九郎がへなへなのへっぴり腰で櫓から下りようとする間、奏汰と金五郎一味は月海院を前に対峙した。


「諦めろ。そっちが何人集めたって無駄だ」

「おのれ……がき共がいい気になりおって!! この儂がなんの用意もせずに、かような危ない橋を渡ると思ったか?」


 いかに手勢を引き連れているとはいえ、奏汰と新九郎の強さは金五郎も重々承知している。

 しかし金五郎はこの状況においてもなお笑みを浮かべ、腰にぶら下げた巾着袋から〝一体の仏像〟を取り出し、高々とかかげて見せた。


「なんだそれ?」

「く、くくく……! ぐははははは! 身の程知らずのあほう共が、儂が前と同じと思うたら大間違いよ!!」


 刹那。金五郎の持つ仏像の六つの面、都合十二の瞳が一斉に見開かれる。

 するとどうだろう。仏像の瞳から禍々まがまがしい炎が滂沱ぼうだのごとくあふれだし、金五郎が従える手下たちの姿を大小様々な化け物――すなわち〝鬼〟へと変貌させたのだ。


「グオオオオオオオ!!」

「ち……っ! これはちょっと予想外だな」

「がーっはっはっは! これぞ儂が授かった力よ!! 儂を虚仮こけにするやつは、どいつもこいつもこの力で血祭りにあげてやるわ!!」


 突如として現れた鬼共は、金五郎の命を受けてうなり声と共に目の前の奏汰に牙を剥いた。


「お、お待たせしました奏汰さん……なんとか下りられました~~……って、いつのまにか鬼だらけじゃないですかっ!? ど、どどど、どうなって!?」

「あの人に鬼の力を渡したやつがいるみたいだ……! けど、まずはここを食い止める!!」

「は、はいっ!!」


 ようやく櫓から下りた新九郎に奏汰が叫ぶ。

 今は全てが眠る夜の底。たとえ火の見櫓の鐘を打ち鳴らそうと、人々が避難するまでにはあまりにも時間がかかる。今ここで全ての鬼を片付ける他に道はない。


「よし……やるぞ、新九郎!」

「がってんですっ!!」


 瞬間。

 奏汰が片手を江戸の空に掲げ、新九郎は身に纏う浅緑せんりょくの着流しを流麗な所作で払いながら、腰の二刀にその手をかける。


「来い! リーンリーン!!」


 月光輝く江戸の空が割れ、光の柱が奏汰へと降り注ぐ。

 その光はやがて鈍色にびいろの長剣となって収束。

 凝縮され、渦巻く光から己の聖剣を掴み取った奏汰が、眼前の闇を力強く切り払う。

 

「江戸に巣くう悪鬼羅刹あっきらせつ――たとえお天道様が許しても、この僕は許しません!!」


 そして一方の新九郎。

 彼女もまた奏汰と共に腰の長短二刀を淀みなく抜き放つ。

 その見事な抜刀は周囲の大気に完全なるなぎを生じさせ、刃を構えた彼女の周囲に清浄苛烈せいじょうかれつ剣刃けんじんの領域を展開した。


「やれい、鬼共よ!! 小生意気ながき共を、八つ裂きにしてやれい!!」

「やってみろ――!」

「成敗しますっ!!」


 刻は丑三つ。なにもかもが寝静まる江戸の一角で、戦いの火蓋は切って落とされた――。


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