求む声


 マヨイガ。


 かつて訪れた際、そこは混沌としながらも秩序だった通路が整然と続く無窮むきゅうの迷宮であった。

 しかし今。闇を進む奏汰かなたたち五人の前に広がる光景は大きく異なっていた。


「前に来たときと、ずいぶん様子が違うな……」

「で、ですね……これも無条むじょうさんがおかしくなった影響なんでしょうか?」


 クロムが切り開いた闇への回廊。

 そこにあったのは、荒れ果てた木々と寒々しく枯れ生えるすすき原。

 どこまでも広がる空は物寂しく黄金色に染まる。

 しかしその空に太陽はなく、空の赤が日没によるものか、はたまた暁によるものなのかも定まらない。


 ただどこどこまでも広がる荒野……それが今、奏汰と新九郎しんくろう、エルミールと緋華ひばな、そしてカルマたち五人の前に無限に続いていたのだ。


「おそらく……この光景こそがマヨイガの本当の姿なのでしょう。カルマがここで見た記憶が真実なら、マヨイガとはそもそも、無条の心が生み出した世界だったはずですから」

「こっちの方がさっぱりしてていい。前は、あいつも含めて何もかも最悪だった」

「ま、変に迷うよりこっちの方がわかりやすいっしょ。見なよ、今もあっちから無条の気配がぷんぷんしてるじゃんねぇ?」


 様相の一変したマヨイガを前に戸惑う暇はない。

 一同はカルマが指し示した東の果て。黄金色の空にあって未だ暗く沈む夜の世界に向かって一飛びに加速する。


 高速機動の力を持たぬ奏汰以外の者も、奏汰が渡した白の護符によって一時的ではあるが奏汰と同様の跳躍が可能になっている。

 この戦いに赴くに、奏汰たちは可能な限りの準備を周到に進めてきたのだ。そして――。


『ほほ……ほっほっほ……ほっほっほっほ……』

「っ!」

「ひえっ!?」

「――来たぞ、かなっち!!」

 

 その時。音速すら超えて飛翔する奏汰たちの耳に、不気味な声とも不協和音とも呼べぬ音が響く。

 幾重にも連なり、まるで空間そのものから響くようなその音の出現と共に、周囲の光景が一瞬にして暗転。

 全ては闇に沈み、あたりは大小様々な〝無数の赤鳥居〟が立ち並ぶ神事の廃墟と化した。


『ほ、ほほ……! 誰ぞ、誰ぞ……? 遠路はるばる……我に会いに来てくれたのは誰ぞ……?』

「無条……っ!」


 果てしない鳥居の墓場の地平。

 そしてその先から、山よりも巨大な威容となった公家装束の男――無条親王むじょうしんのうが、まるで白蛇が鎌首をもたげるようにして姿を現わす。しかし――。


「な、なんですかこれ……っ? 無条さん……い、いったいどうしちゃったんですか?」

『ほー……ほほ……ほ……! 我はもう、さびしゅうてさびしゅうてたまらぬのよ……時臣ときおみは……どこぞ? カルマ……はどこぞ? ずっと我と一緒におったはずの……〝ぼくはどこに行ってしまったのだ〟……? 見てのとおり、〝うまいみかん〟もあるのよ……みなで食べぬか……のう……?』


 しかし現れた巨大な白面びゃくめんの若王子は、すでにその身の大半が〝崩れていた〟。

 冷たくも美しい相貌の半面は醜くただれて頭蓋が溢れ、染み一つない公家装束は、血と煤と汚物とに塗れていた。


『我は……誰ぞ……? 我は……なんぞ……? ああ、もうなにもかも、どうでも良くなってきたわ……ならば遊ぼう……みなで、いつまでも楽しく遊ぼうぞ……すごろく……蹴鞠でもよいぞ……ほほ、ほほほ! ほほほほほ!!』

「…………」


 それは、まさに〝錯乱した闇〟そのものだった。

 

 ここまでやってきた奏汰たちにも、無条がなぜこうなったのか、一体この無条という存在がなんだったのかは知るよしもない。だが――。


「……打ち合わせ通りだ。ここは〝俺と新九郎が引き受ける〟。三人は、このまま勇者のみんながいる場所まで進んで欲しい」

「ですね……! 無条さんのことは僕たち夫婦に任せて、姉様たちは先に行って下さい!!」

吉乃よしの……」

「……やれんのか?」


 現れた闇の残骸を前に、奏汰が一歩前に出る。

 それ受けた新九郎もまた、覚悟を決めた様子で奏汰と共に並び立った。


「やるさ。そっちも頼んだぞ」

「僕たちもすぐに追いつきますから、皆さんもどうかお気をつけて!!」

「……わかりました。行きましょう緋華さん、カルマ!!」

「絶対に無理すんなよ……! すぐに片付けて、なにもかもハッピーエンドにしてくっからさ!」

「必ず吉乃を守って。もし吉乃を傷物にしたら……絶対に許さないから」


 不意の出来事ではあったが、奏汰たちには迷いも恐れもない。


 たとえどのようなことになろうとも、この戦いに加わった全ての者たちが短い期間で最善を尽くし、あらゆる不測の事態に備えてきたのだから。


「よし――! 行くぞ、新九郎!!」

「がってんです!! 行きましょう、奏汰さん!!」


 瞬間。力強くその手を握り合った奏汰と新九郎を中心として、目もくらむような七色の閃光が奔る。

 それはまたたく間に巨大な光芒と化して現れた無条に向かうと、その巨躯を貫通して風穴を開け、さらにはその背後に広がる空間を一撃の下に破壊。

 無条の闇によって封鎖されたマヨイガを再び解放すると、カルマたち三人のために、囚われた勇者たちの元へと続く虹の橋を架けた。


『お、おお……っ? なんと……なんとも、美しい……』


 闇に架かる虹の光。

 その光の上を滑るようにしてカルマたち三人の光が奔り、駆け抜ける。


 それを見た無条は、その崩れた巨躯でまるで宙を飛ぶ蝶にするように手を伸ばすが、その先に現れたのは蝶ではなく――。


『――悪いけど、あんたにみんなの後は追わせない』

『無条さんが一緒に遊びたいって言うのなら……僕たちがいくらでも遊んであげますからっ! 実は僕、双六遊びははちゃめちゃに強いんです! ふんすっ!!』


 現れた虹。その光の中から、鈍色にびいろの甲冑に七色に輝く光の紋様を宿した巨大な影――剣神けんしんリーンリーンとなった奏汰が光臨する。


 だがその姿はかつてのリーンリーンのものとは違い、まるで奏汰の心に新九郎の思いが一つとなったかのような、遙かに力強く……しかしどこか優しさや慈愛を感じさせる姿へと〝進化を遂げていた〟。


『あ……ああ……? 遊ぶ……遊んで、くれるのか……? 我と……? ほ……ほほ……ほほほ……! ならば、遊ぼう……! いつまでも……いつまでも遊ぼうぞ……!!』

『無条……この感じだと、確かに〝新九郎が言ったとおり〟だったのかもな……』

『だったら、なおさら僕たちがやらなきゃですね……っ! 頑張りましょう、奏汰さん!!』


 かつてよりも暖かな虹を纏ったリーンリーンが光剣を構える。

 同時に、無条の巨躯から数多の異世界と神を飲み込んだ闇の巨腕がリーンリーンめがけて一斉に伸びる。


 奏汰と新九郎がこの地で紡いだ絆――その収束の光は、眼下でもだえる闇の残骸めがけて加速した――。


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