その旅は続く
「ほーっほっほっほ! ではでは、今日も楽しい蹴鞠の稽古をはじめるぞよ! みなの者、心して聞くがよい!」
「はーい!」
「わかりました、
所は変わり。
ここは
常であれば門下達の威勢の良い声が響く道場の敷地では、まだ年端もいかぬ大勢の子供たちが、なぜか〝蹴鞠の稽古〟に励んでいた。
「むぅ……まさか、ここまでわらべに蹴鞠が大人気になるとは」
「ほんとにね。
「かっかっか! そのためには、まず
大勢の子供達を前に、たすき掛けした着流し姿で蹴鞠を操るのは他でもない
そしてそんな無条の姿を呆然と見つめるのは、晴れて公正館の免許皆伝となった剣術小町の
さらには、今も江戸で勇者屋の一員として剣の腕を磨く天然無心流の
「ほいほいっ! このように蹴鞠はつま先のみならず、かかとや胸、肩など五体全てで操るのよ! 〝蹴鞠は友達〟……その気持ちが大事であるからしてのぅ!」
「はーい! 無条せんせー!!」
今、公正館の敷地で子供達を前に見事な蹴鞠のわざまえを披露する無条の表情は実に清々しく、かつての陰湿な様相は欠片もない――というより、もはや高貴な身なりのただの二枚目である。
以前の無条を知る三人がその姿に驚くのも、無理はないといったところか。
「見て下さい父上っ! 無条さんの蹴鞠、いつまでたってもぜんぜん落ちてこないですっ!」
「無条のやつ……突然〝蹴鞠で天下を取る〟などと言い出した時はすわ乱心かと心配したが……どうやら本気のようだな」
「にょほー! もちろん我は本気ぞ! 今日まで
あの戦いの後。無条は自ら親王という上流の身分を捨て、時臣やひかると共に市井へと降りた……平安の世から伝わる〝蹴鞠の達人〟としてだ。
また世を騒がせた騒乱の首魁ということもあり、保護者である時臣にも権力の近傍に留まるつもりは毛頭なかった。
ゆえに時臣は公正館に通う子供達に〝剣以外の学問を教える師〟として。
そして無条は公正館を間借りした〝蹴鞠道場〟の師範として。
二人で力を合わせ、まだ幼いひかるを養っていくことにしたのだ。
「おはようございます。今日も無条さんの蹴鞠は大人気ですね」
「おはようございます、
「すまんな、エルミール。お前のおかげで俺とひかるだけでなく、無条にも江戸での居場所が出来た。感謝しても仕切れぬ」
「むしろこの方が好都合。あなたたちを、まとめて上様の目が届く場所に置いておける」
続いてその場に現れたのは、公正館の道場主であるエルミールと、時臣ら三名の目付役を幕府から任された
「緋華さんも、おはようございますっ」
「ん……おはよう。ひかるは今日もいい子。お父上との暮らしはどう?」
「はいっ。父上とも、無条さんとも一緒にいられて、毎日とっても楽しいです。ぼくも早く父上みたいに立派な先生になって、みんなのお役にたちたいですっ」
「……ひかるならきっとなれる。がんばって」
純真そのもので笑みを零すひかるに、緋華もまた柔らかく微笑むとそっと頭を撫でる。
目付役とは言うものの、全ての事情を知る緋華がその任を担っている時点で、幕府側に三人への〝監視や束縛の意図〟がないことは明白だった。
「だが無条は別として、ひかるの力は今も〝眠っているだけ〟で失われてはいない……なんらかの切っ掛けがあれば、またかつてのような事態を引き起こすやもしれん」
「だからこそ、もう力で押さえ付けるのではなく、家族として共に生きていく……そうですよね、時臣」
「うむ……マヨイガは消え、俺も剣を捨てた身だ。今後は一人の父として、寄り添うことでひかるの抱える重荷を支える……お前たちがそうしているようにな」
集まった子供達に混ざり、無条の見せる華麗な蹴鞠の技に歓声を上げるひかる。
そんなひかるを優しく見つめる時臣の横顔は、まさしく愛する我が子を見る父親のそれであった。
「では、私たちは稽古の準備を。行きましょう、緋華さん」
「ええ」
その様子を改めて確認したエルミールは満足げに頷き、緋華と共に縁側から道場の板間へと入っていった。すると――。
「――けど、あなたは本当によかったの?」
「え?」
春の日和とは言え、広々とした板間の空気はまだ肌寒い。
閉め切られ、まだ誰もいない道場の中で緋華は唐突にエルミールに尋ねた。
「あの時……目の前を流れていった沢山の世界の中には、あなたの故郷もあった。どうして、あの時に一緒に帰らなかったの?」
「それは……」
結果として異世界移動は今も可能のままとなったものの、緋華はあの最後の時に、エルミールが自らの故郷に帰ろうとしなかったことを今も懸念していたのだ。
「どうせ、まだ自分にはここでやることがあるとか……そういうことを考えて残ったんでしょう? でも、わたしたちのことならもう心配いらない……クロムに頼めば、今からでもあなたは故郷に帰れる。太助も、これからは好きなように……」
本当に困った男だと。
そう緋華は呆れながら、エルミールを安心させようと笑顔を見せる。だが――。
「その……以前、私が緋華さんにお話しがあるとお伝えしたことを覚えていますか?」
「……? そういえば……」
「あれから色々と忙しくて、結局お話しできなかったのですが……せっかくなので、今ここでお伝えしても構いませんか?」
「別に、いいけど……」
エルミールは言うと、ふうと深く息を吐き、まっすぐに緋華を見据えて口を開いた。
「緋華さん……もし良ければ、私と一緒に祖国に来て下さいませんか!?」
「は………………? えっ!?」
「あ、いえ……っ! その……私と一緒に祖国に住んで欲しいとか……そ、そのような意味ではなくてですね……っ!」
「な、なら……どういう……」
なぜか顔を真っ赤にして慌てるエルミールにつられたのか、緋華もその白い頬を桃色に染めて立ちすくむ。
「実は、すでに私の帰郷についてはクロムさんにお願いしているのです。でも、今の私には道場の皆さんもいますし……祖国のシェレン様や仲間達に私の無事を伝えたら、またここに戻ろうと決めていて」
「そんな……あなたは本当にそれでいいの?」
「無論です。今の私にとっては、祖国もこの世界もどちらも掛け替えのない大切な場所……この気持ちに、嘘や偽りはありません」
「太助……」
我慢しているわけでも、本心を偽っているわけでもない。
祖国と日の本。二つの世界とそこで出会った絆全てを守り、己の大事とする。
それこそ、数多の葛藤と後悔の先でエルミールが見いだした本当の欲……〝勇者らしい強情〟なのだろうと、今の彼を誰よりも知る緋華は確かにそう感じた。
「以前から緋華さんには、私の祖国を案内したいと思っていたのです。以前のような幻などではなく、実際に……!!」
「そ、そうなの……? でも、なんでわたし……?」
「それは……っ! 私にとって、緋華さんが――!!」
――これもまた、
この時から暫しの後。
将軍
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