勇者商売


「――ではでは改めて! みんな大好き、〝江戸一番の天才美人ママ勇者〟のエリスセナ・カリスが十年ぶりに帰ってきたよー! どやーっ!!」

「うおーー!! エリス様ーー!!」

「江戸の守護女神様のお帰りじゃぁーー!!」


 その日、江戸は日本橋でなんの前触れもなく巻き起こった大騒動。

 それは将軍家晴いえはるの妻であり、新九郎しんくろうの母でもあるエリスセナの突然の帰還報告によるものだった。


「今まで一体どこでなにしてたんだい!?」

「あたしらみんな、本当に心配してたんだよ……っ!!」

「心配かけてごめんね……僕もみんなと会えて本当に嬉しい……! 今日からはまた、新太郎しんたろうと一緒に僕もこの町を守っていくからねっ!!」

「だな……まあ、今となっちゃ俺もエリスも色々と忙しい身だが……江戸に出る外道畜生の類いは、俺たちがまとめて叩っ斬ってやるからよ……」


 市井しせいに戻ってきたのはエリスセナだけではない。

 美しい緑髪をなびかせてどやを見せる彼女の横には、十年前と変わらぬすすけた着流しを纏い立つ家晴の――否、徳乃新太郎とくのしんたろうの姿もあった。


 十年という長い年月の果て。


 日の本全土を襲った恐るべき闇の襲来と撃滅を期に再び現れたかつての英雄夫婦の帰還は、どんな祭りよりも人々を沸き立たせ、その心に勇気と活力を与えたのだった。


「奥方が戻りゃこうなるんじゃねぇかと思っとったが、やっぱりこうなっちまったなぁ。十年経っても、上様は相変わらずってわけかい」

「ままま! 良いではありませんか長谷部はせべ様。上様にとっては十年ぶりの夫婦水入らず……お二人もまだまだお若いわけですし、これで吉乃姫よしのひめの弟君でもご生誕となれば、我ら三奉行の面倒ごとも減るってもんですよ」


 そしてそんな二人を江戸城門前から目を細めて見守るのは、家晴とエリスの出会いからなれ初めまでの全てを見届けてきた町奉行の長谷部老。

 そして同じく、二人がどれだけ過酷な運命の果てに結ばれ、再び同じ時を過ごせるようになったのかを知る寺社奉行じしゃぶぎょう夕弦ゆうげんであった。


「し、しかしまさか……我らがきゅうり侍と下に見ていた新九郎が、あの吉乃様だったとは……っ!! あらかじめそうと知っていれば、我らもあのような非礼はしなかったはず……っ」

「お、俺もさんざん新坊しんぼうには変なこと言っちまって……! ど、どうしたもんか……俺はまだ腹切りなんてしたくねぇよぉ!」

「馬鹿言うんじゃねぇ! あのつるぎと新坊がそんなこと気にするタマかってんだ! 新坊の扱いが無礼千万ってんなら、俺たち全員とっくに日本橋の上でさらし首になってらぁ!! ですよねぇ、同心様!!」

「左様。心配せずとも、すでに〝上様直々に〟今まで通りで良いと何度も言づてられておる。新九郎もつるぎも……そして上様も。みな共に江戸の世を想う同志……その心意気を胸に、我らも責務を果たさねばならんぞ」


 長谷部老と夕弦の周囲を油断なく固めながら、木曽同心率いる岡っ引きの伸助しんすけ彦三郎ひこさぶろう、そして弥兵衛やへえの三人は恐れ多いとばかりに緊張した面持ちで口々に新九郎との日々を思い出す。


 有力な同心であり、由緒ある武家でもある木曽義幸きそよしゆきは例外として、町民である三人がここまで幕府の中枢と接するなど本来はあり得ない。

 しかし彼ら三名は市井における〝吉乃姫の保護者〟としての立ち回りが幕府から高く評価され、幕府から新たな役職と褒美が与えられることになっていた。


「だがよ。鬼がいなくなって平和になったのはいいが、つるぎと新坊はこれからどうするつもりんだろうな?」

「んだなぁ……せっかく鬼退治で勇者屋の名が売れてきたとこだったのによう」

「なぁに。この僅かな間にも、勇者屋に助けられた江戸の民はごまんといる。無論、この伸助も二人のためには協力を惜しまぬつもりだ」

「鬼が消えたとて、この世から〝悪の芽が消えたわけではない〟……心配せずとも、つるぎの力と新九郎の剣を求める者は後を絶たぬであろう。我ら町方も、二人に負けてはおれんぞ!」


 鬼は去っても悪の芽は消えず。

 朝が来ればまた夜が来るように、光と闇はどちらも世の本質であり消えることはない。

 

 義幸の言葉に伸助らは頷き、今やこの同じ江戸の空の下で共に暮らす掛け替えのない〝戦友〟となった、年若い二人のこれからに思いを馳せるのであった――。


 ――――――

 ――――

 ――


「…………」


 涼やかなせせらぎが耳を打つ神田上水かんだじょうすいのほとり。

 今にも崩れそうな小さないおりの横に並んで立つ、真新しい平屋の玄関前。


 茜色あかねいろの着流しに身を包んだ奏汰かなたは、そこで江戸の人達から勇者屋の立ち上げ祝いに贈られた小さな桜の木の枝を見ていた。


「二年前は、まさかこんなことになるなんて考えたこともなかったな……」


 すでに開花を迎えた桃と梅に遅れ、奏汰の眼差しの先にはまだつぼみだけを宿す桜が、日増しに暖かさを増す春の風にそよいでいる。


 わずか二年前。


 受験を終え、念願の高校生となったばかりの奏汰は、掛け替えのない父と母。そして大勢の友人達と共に、同じような景色を見ていたはずだった。


 きっと自分もみんなと同じように、同じ世界で暮らしていくのだと……そう信じて疑いもしていなかったのだ。


 ぐるりと視線を巡らせれば、江戸の空はどこまでも広く高い。

 空を切り裂く無数の電線も、青空を区切るビルもなかった。


「こっちが落ち着いたら、必ずみんなに会いに行くよ……もしかしたら、少し驚かせちゃうかもしれないけどさ」


 残してきた様々とは〝決して繋がっていない青空〟を見つめ、奏汰は一人呟く。

 

 たとえ、空も道も繋がっていなくても。

 たとえ、一度は完全にその繋がりが断たれたとしても。


 恐れることはない。

 悲しむことはない。


 奏汰がその心に遠く離れた故郷の灯を抱き続ける限り。

 彼を暖かく育んだ想いは、失われることはないのだから。


「――お待たせしました奏汰さんっ!!」


 そうして残してきたものに思いを馳せる奏汰の背に、彼が歩んだ先で出会った大切な絆――新九郎の底抜けに明るい声が届く。


 見れば、新九郎はその背と両手に唐草模様の大風呂敷を五つも持ち、にこにこと満面の笑みで奏汰の元に駆け寄ってきたところだった。


「全部持ってこなくても、呼んでくれれば俺も持ったのに」

「そういえばそうでしたっ。道理でちょっと重いなと!」

「ははっ。ほら、こっちは俺が持つから」


 風呂敷の物の怪にも見える姿となった新九郎から、奏汰は丁寧にひょいひょいと荷物を受け取る。

 奏汰の勇者としての力は未だ健在、力仕事は望むところであった。


「ありがとうございます、奏汰さん! 二人でせっせと夜なべして書いた〝新装開店のちらし〟ですから、何かあったら大変ですもんねっ」

「鬼退治の勇者屋から、なんでも屋の勇者屋になる第一歩だからな。俺はこのちらしを配るから、新九郎は声かけを頼む」

「がってんですっ! なんたって僕は〝名実共に江戸一番の大人気天才美少女妻剣士〟になりましたのでっ! この僕が声をかければ、あっという間に満員御礼間違いなしですっ! どやーっ!!」


 そう言って、奏汰と新九郎は互いに笑みを浮かべて手を取り合う。そして――。


「クロムさんのお話しでは、神様も力がなくなって、これからは勇者っていうお仕事も消えていくそうですけど……」

「うん?」

「それでも、僕にとって奏汰さんはいつまでも強くて格好良くて、世界で一番大好きな勇者さんですっ! これからもずーーっと……二人で一緒に頑張りましょうね!!」


 今、目の前に広がる少女の笑みは日向。

 少年が長い旅の果てに出会った、幸せの在処だった。


 これからは、この日々を生きていく。

 もう二度と手放すことはない。


 新九郎の言葉と笑顔を見た奏汰は自らの願いを改めて定め、最愛の妻の想いに、ありったけの感謝をこめて頷いた。


「ああ……! これからもよろしくな、新九郎!!」

「はいっ! 行きましょう奏汰さん! 新装開店、勇者商売の始まりですよーーっ!!」


 そうして――。


 仲睦まじい様子の若夫妻は、暖かな笑い声と共に目の前に広がる江戸の町へと駆けだしていく。


 その心はどこまでも晴れ。


 固く繋がれた二人の手は、もう決して離れることはなかった――。


 ――――――

 ――――

 ――

 ――


 しゃらん。

 しゃらん。


 鈴が鳴る。

 

 何処いずこより聞こえしわらべ歌。

 重なる笑みと、連なる幸の遊び歌。


 ここに始まる新たな世と。

 数多の願いに贈る遊び歌。


〝舞へ舞へ勇者

 舞はぬものならば

 魔の子や鬼の子にゑさせてん 

 踏みらせてん

 まことに美しく舞うたらば

 日向ひなたの園にて遊ばせむ〟


 その歌声は、かつて勇者と呼ばれた全ての者の願いにも似て。


 どこまでも遠く。

 世の果てすら越えて。


 いついつまでも――鳴り止むことはなかった。



 しゃらん。

 しゃらん。


 しゃらん――。





 勇者商売 完

 

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勇者商売~異世界帰りの勇者が江戸でポンコツぼくっ子ドヤ姫剣士と成敗する話~ ここのえ九護 @Lueur

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