剣の様々


「ちくしょう……! 赤龍館せきりゅうかんのやつら……好き勝手暴れるだけ暴れやがって……!」

「子供らもすっかり怯えてしまって……かような事態になにも出来ぬとは、なんたる不覚!」

台覧試合たいらんしあいで決着をつけようなんて……もし私たちが台覧試合で赤龍館と当たるまで勝ち進まなかったら、勝手に自分たちの方が上って言い出すに決まってるわ!」


 赤龍館が去った公正館こうせいかんの道場。

 怯える門下たちを帰宅させ、本日の稽古を休みとしたエルミールは、道場に残った数人の〝高弟たち〟に囲まれていた。


「台覧試合に参加できるのは五名。用いる武器は真剣ではなく木刀。流派の名を背負う志ある者ならば、武芸の優劣を問わず参加できるものとする……これは〝困りました〟ね……」

「どういうことだ?」


 赤龍館が残した文を見つめ、エルミールが表情を曇らせる。

 門弟たちの輪に交ざり話を聞いていた奏汰かなたは、その理由を尋ねた。


「私たちの道場では、袋竹刀ふくろしないという比較的安全な道具を使って稽古をしています。それは師範代の三郎さぶろうさんや、間もなく皆伝かいでんを控えた春日かすがさんでも同じです」

「なるほどー? つまり公正館のみなさんは、真剣どころか木刀を使った立ち会いの経験も少ないってわけですね」

「そうです。木刀だろうと、当たり所が悪ければ命を落すこともありますから……」

「俺たちのことなら心配いらねぇ! さっきは不覚を取ったが、次こそは目に物見せてやる!!」


 そう気勢を上げるのは、奏汰の緑によって癒やされた公正館師範代の堀前三郎ほりまえさぶろう

 彼もまた市ヶ谷いちがやに住む上級武家の生まれであり、図体が大きく力も強い。確かな剣才を持つ男である。

 だが見た目に似合わず心根が優しすぎ、赤龍館や他の道場の苛烈な稽古が肌に合わずに公正館の門を叩いた、〝気は優しくて力持ち〟を地で行くような人物だった。


「そうよそうよ! 私だって、普段から木刀の型稽古は何千回もやってきてたわ! 三郎さんの怪我が大事じゃ無かったのは良かったけど、だからって、馬鹿にされっぱなしじゃ黙ってられないもの!」


 さきほど神田上水かんだじょうすいまでエルミールを呼びにやってきた春日も、三郎と共に身を乗り出して声を上げる。

 彼女は三郎とは違い武家ですらない商家の娘だが、彼女の実家は並の武家など足元にも及ばぬ大富豪である。

 豪放磊落ごうほうらいらくな気風を良しとする両親によって男勝りに育った春日は、江戸でも珍しい〝剣術小町〟として近隣では有名だった。


「し、しかれども……やはり型稽古と実戦では勝手が違うというもの。我らが参加したところで、晴れの舞台で恥をかくことになるのでは……」

「他の道場はまだしも、赤龍館の奴らは試合を名目に拙者たちを〝不具〟にしようと狙ってくるやも……! 正直に申せば、怖くてたまらぬでござる……!!」

「ちょ、ちょっとあなたたち! 今からそんな弱気でどうするの!?」


 だがしかし。

 三郎と春日以外の高弟たちの反応はいずれもかんばしくない。


 なぜならエルミールを主とする公正館の理念は、剣を通じた己自身との向き合いや、同じ道を志す者同士の交流にこそある。

 赤龍館が残した〝ままごと剣術〟という公正館への捨て台詞は、実戦剣術の息吹が僅かに残る文政ぶんせいの世にあって、決して的外れというわけでもないのだ。


「皆さんの話はどちらももっともだと思います。私自身、皆さんに教えているのはあくまで身を守る術としての剣……他者を打ち据え、傷つける剣は伝えていませんから」

「でもそれはおかしい。ここが本当に〝そういう道場〟なら、あいつらもわざわざ格付けのための勝負なんて挑まない。なにか恨まれるようなことをしたの?」


 高弟たちの意見に、エルミールはそれぞれ頷く。

 一方、話を聞いていた緋華ひばなは無表情のままエルミールを見つめ、首を傾げていぶかしむ。


「〝ひがみ〟よ……! あいつら、私たち公正館の人気が許せないの。そんなに私たちが羨ましいなら、あっちだって武家以外の人も受け入れればいいのに……!」

「そういえば、僕たちがここに来た時も朝なのに大勢の皆さんが稽古に来てましたね! 人気があるっていう春日さんの話も頷けます!」

「理由は色々あるが、一番は公正館ってよりも〝太助の人気〟なんだ。こんなガキみてぇななりだが、太助の剣の腕は尋常じゃねぇ……その上気は利いて誰にでも優しいもんだから、俺も他の奴らも、みんな太助に憧れてここに集まってきたんだ。だいたい、そこにいる春日なんて――」

「ま、待って待って!! 今は私の話なんてどうでもいいでしょ!? とにかく、私はこのままやられっぱなしなんて嫌! 台覧試合であいつらを叩きのめさないと気が済まないわ!」

「す、すまぬ太助どの……! 拙者はやはり怖いでござる!」

「俺も無理だ……俺の家には、身重の妻がいる。もし俺になにかあったら、家族が……!」

「俺たちの師範はあんただ……たとえどう転ぼうが、俺はあんたの言葉に従うぞ!」


 現状の問題を再確認した門下一同は、再び道場主であるエルミールに視線を集めた。


 気合いを入れる者。

 怯える者。

 固唾かたずを呑んで様子を伺う者。


 その視線に込められた想いは様々だが、エルミールはじっと腕を組み、それらの想いをどうするべきか思案する。すると――。


「……あのさ、その試合って俺も出れないかな?」

つるぎさんが……? ですが、門下でもない貴方にそのようなことをお願いするわけには……」

「はいはーいっ! それなら僕も参加したいですっ! ここには他流の剣士が出ちゃ駄目なんて書いてませんし、奏汰さんが出るなら僕も出ますっ! ふんすっ!」

「なに言ってるの!? どこの誰かもわからないあなたたちを、そんな大事な試合に出せるわけないでしょ……!? たしかに私と三郎さんを入れてもまだ三人で、枠は二つ空いてるけど……」


 おもむろに口火を切った奏汰と共に、なぜか〝満面どや顔〟の新九郎しんくろうもすかさず試合参加の名乗りを上げた。

 それを受けたエルミールは一度否定したもののやがて口元に手を当て、それまでとは別の可能性に思いを巡らせているようだった。


「判断は太助さんに任せるよ。ただ、もし参加できるなら俺も勇者の力は使わない。太助さんや新九郎から習った〝剣だけで戦う〟つもりだ」

「わかりました……申し訳ありませんが、少しだけ時間をください。私はこれから市ヶ谷八幡宮いちがやはちまんぐう前の番所ばんしょに行って、台覧試合の詳細を改めて確認してきます。つるぎさんや徳乃とくのさんの参加が認められるかどうか……そもそも私たちのもめ事に、みなさんを巻き込んでしまって良いのかは、道すがら考えようと思います」


 エルミールは頷き、赤龍館からの文を手に取って立ち上がる。そして――。


「……つるぎさん、この後お時間頂けますか?」

「うん? なにかあるのか?」

「良ければ私と一緒に歩きませんか? 八幡宮はちまんぐうはすぐそこですし、一度貴方とは、二人きりでお話しをしたいと思っていたものですから」

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