武門の縄張り


「下級武士どころか町民まで集う〝ままごと剣術〟など、所詮我ら赤龍館せきりゅうかんの足元にも及ばんわ!!」

「うぐ……っ」


 早朝の市ヶ谷いちがや、その最も東端に位置する広々とした街道沿い。

 お世辞にも立派とは言いがたい見た目の質素な道場……〝正当十御琉九流せいとうとおるくりゅうの門下が集まる〝公正館こうせいかん〟の道場前は、朝も早くから物々しい雰囲気に包まれていた。


「師範代! しっかりしてください、師範代!」

「おのれ……! 師範代は木刀も持たぬ丸腰であったのだぞ!?」

「丸腰の相手を打ち据えるとは、武士の風上にもおけぬ卑怯者め!!」

「カッカッカ! 何を言うか。真の武士であれば、いついかなるときも身に迫る危険を払えるよう備えておくもの。敵対する我らの前に、剣も持たずにのこのこと現れたそやつこそがふぬけ者ぞ!」

「まっことそのとおりじゃ!」

「わははは!」


 頭部から血を流し、倒れる大柄な男を支えて抗議する公正館の門下たち。そんな彼らに、自らを赤龍館と名乗る胴着姿の武家たちは嘲笑ちょうしょうをもって応じた。


 公正館と赤龍館。


 共に市ヶ谷では名のとおる二つの道場。

 その関係がここまで悪化したのには理由がある。


 文政ぶんせいの世における市ヶ谷は広大な武家街であり、徳川御三家の一つである〝尾張徳川家おわりとくがわけ〟を筆頭とした上級武士たちが住まう高級住宅地であった。


 赤龍館はその市ヶ谷において勇名を馳せる日の本屈指の剣術道場であったが、その門下として迎えるのは〝武家のみ〟……それも、由緒正しき〝上級武家の親類のみ〟という、徹底した階級思想によって成り立つ武門だった。


 一方の公正館は、市ヶ谷でも町民街がほど近い神田かんだ沿いに位置し、武家のみならず剣術を学ぼうと志す者であれば老若男女ろうにゃくなんにょ問わず受け入れ、大変な評判を得ていたのだ。


「剣とは、真に武を志す資格を持つ選ばれた武士のみが学ぶべきなのだ。お主らのような〝ままごと道場〟が幅をきかせたとあっては、我ら赤龍館にとっても迷惑千万!」

「歩くのもやっとの腐れじじいに女子供……かような軟弱が集う道場など、今日をもって我らが叩き潰してくれよう!」

「何を勝手なことを!! 道場同士による剣を用いたいさかいは、お上のお達しで御法度のはず!!」

「そ、それに……拙者たち公正館には、他ならぬ名門出の縁者も共に多くの学びを……!!」

「問答無用! 文句があるのならば、武門らしくその剣で抗ってみせよ!」


 流血して倒れる師範代には目もくれず、赤龍館の面々は一斉に公正館の神聖な道場に草履も脱がずに踏み行っていく。


 早朝稽古を行おうと集まっていた公正館の門下たち……特に熱心なわらべたちや、年若い者も大勢居合わせる中での道場破りは、荒事に慣れていない彼らを恐怖のどん底に叩き落とすのに十分だった。


 しかし――。


「私の道場で身勝手な狼藉は許しません!」


 瞬間。

 門前にたむろしていた赤龍館の門下たちが、〝一斉に宙を舞った〟。


「ぎゃあ!?」

「ぐえ!?」

「あべしっ!?」

「師範である私の留守を狙うなんて……どうやら、貴方たちが語る武門の誇りも地に落ちたようですね!!」

「ちぃ……山上やまのうえめ、もう戻ってきおったか……!」


 振り向いた赤龍館頭目の眼前。

 そこにはもうもうと舞い上がる砂煙を背に、またたく間に赤龍館の門下たちを叩き伏せたエルミール……山上太助やまのうえたすけの姿があった。


三郎さぶろうさんになんて酷いことを……! すぐにお医者様のところに連れていきますからね……!!」

「この人の怪我は俺に任せてくれ。太助さんはあいつらを、新九郎しんくろうは道場のみんなを安全な場所に」

「がってんですっ! みなさんのことは、この僕にお任せあれ!」

「わたしは? わたしはこいつらをちょん切ればいい?」

「えっ!? いや、えーっと……緋華ひばなさんは……み、みんなの応援で!」

「はぁ……っ! はぁ……っ! ちょ、ちょっと……あなたたち……っ! いくらなんでも、足……早すぎ……っ!!」


 エルミールに続いて奏汰かなた、新九郎、緋華……そして最後に大分遅れて汗だくの春日かすががその場に駆け込む。

 うろたえる赤龍館の門下たちは、帰還したエルミールを見て冷や汗を流して後ずさった。

 

「随分と早かったではないか……道場を潰され、絶望するお主の顔を見れぬとは残念だ」

「貴方は……赤龍館の宗像むなかたさんですね。いくら私たちの間柄が険悪とはいえ、まさかこんなことをするなんて……こうなったからには、それなりの覚悟を持ってのことなのでしょうね」


 広々とした道場中央。

 草履を脱ぎ、きちんと一礼をしてから板間いたまへと上がるエルミールと、それを見て床につばを吐き捨てる宗像と呼ばれた厳つい男が対峙する。


「道場破りがお望みなら、師範である私が皆さんのお相手をしましょう」

「薄汚れた〝南方の根無し草〟がよく吠えおるわ……なに、今日のところは挨拶に来たまでよ。大人しく引き下がってやるゆえ、ありがたく思うのだな」

「待ちなさい。そのような言い逃れで、私が貴方たちを見逃すとでも?」

「お主の意思などどうでもよい。元より、我ら赤龍館とお主ら公正館はいずれ雌雄を決さねばならぬ間柄……そのための〝絶好の舞台〟を、我らが主である千堂斎せんどうさい様が用意して下さったのだ。此度はそれをお主に伝えに参った」


 宗像は鼻を鳴らすと、道着のふところから一通の文をエルミールに向かって放った。

 油断なく文を拾いあげたエルミールは、そこに書かれていた文面に表情をしかめる。


「来たる文月ふみづきの末……市ヶ谷八幡宮前いちがやはちまんぐう前の外堀通そとぼりどおりにて、京よりご遊覧中の〝皇族ご一行〟をもてなす台覧試合たいらんしあいが開かれる。そこで我ら赤龍館は、その台覧試合にお主ら公正館を〝推挙すいきょしてやった〟……お主らにとっては分不相応ぶんふそうおうな場だが、我らとお主らどちらが格上であるかを知らしめるのに、これ以上の機会はあるまい?」


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