勇者の願い


「みんな、太助たすけさんのことが大好きなんだな」

「……ありがたいことです」


 公正館こうせいかんを出てすぐの道すがら。

 間もなく正午を迎える昼の江戸城外堀沿い。


 立派な武家屋敷が建ち並ぶ街並みは、すれ違う者の身なりも神田東の町民街とは全く違う。

 ゆっくりと並び歩く二人の横を、今もすだれ付きの〝上駕籠じょうかご〟がえっさほいさと走っていった。


「みなさんは、普段からとても私に良くしてくれています……元々人目から隠れるように暮らしていた私に、道場主という生業なりわいを与えてくれたのも、江戸のみなさんでした」

「隠れてたのは、勇者だからか?」

「……この地において、私は勇者ではありません。言うまでもなく、貴方やこの世界の人々からすれば、私は世界の破壊を目論む〝ただの悪党〟です。心にやましさを持つ悪党が人目を避けて暮らすのは、当然のことでしょう」

「悪党か……」


 その言葉に、奏汰かなたは思わず隣を歩くエルミールに視線を向けた。


「先ほどの台覧試合たいらんしあいの件ですが、私としては、つるぎさんと徳乃とくのさんに参加して頂きたいと思っています。もし認められるようであれば、お願いしてもかまいませんか?」

「もちろん! 俺の方こそ、無理言ってごめんな」

「いえ……私が望むのは、皆さんが安心して剣を学ぶことのできる道場の維持です。そのためには赤龍館せきりゅうかん乱暴狼藉らんぼうろうぜきを放置するわけにもいきませんし、かといって、嫌がる方を試合に出すわけにもいきません。正直、つるぎさんが参加を申し出てくれたのは、本当に助かりました……」

「太助さんも、道場のみんなを大切に思ってる……そういうの、凄く良いなって思うよ」

「…………」


 素直な尊敬を口にする奏汰に、しかしエルミールはますますその横顔を曇らせた。


「……あれは、今から三年前のことです。私はこの市ヶ谷いちがやに現れた大鬼を倒しました。異世界では〝ミスリルゴーレム〟と呼ばれている上級モンスターです」

「そういえば……今朝も太助さんは、鬼が〝勝手に出てくる〟って言ってたな」

「そうです。鬼……つまり異世界のモンスターたちも、私たち勇者と同様、別の世界からこの地に取り込まれた存在なんです。勇者よりも遙かに数が多いので、真皇しんおうの闇に取り込まれずに落ちてくる個体も多いと……そう聞いています」


 エルミールは正面を向いたまま、あっさりと奏汰に鬼の根源を伝えた。


「なら、前にカルマや静流しずるさんが操ってた鬼はなんなんだ?」

「私たちは皆、静流さんほどではないにせよ真皇の闇に触れる事が出来ます。その術をお伝えすることは出来ませんが、鬼を使役する際は、真皇の闇から鬼の力を引き出しています」

「そうか……それなら鬼が勝手に出てくるのも、そっちが鬼を操れるのも、どっちの話にも説明がつくな……」

「静流さんは、私たちの中で最も真皇の闇に触れる術に長けていました……異世界の現状や、神々の動向を調べていたのも静流さんです。彼女を失ったことは、私たちだけでなく、つるぎさんの目的にとっても大きな損失になるでしょう……」


 エルミールは奏汰に視線を合わせずに言葉を続ける。

 彼の言葉には、静流を失った悲しみがありありと滲んでいた。


「話を戻します……以前にもお伝えしましたが、私はあまり強い勇者ではありません。特にこの世界に現れる鬼に対しては、私の力はほとんど役に立たないのです」

「そういう力か……」

「あの時も、無事にゴーレムを倒すことはできましたが……そのために死力を尽くした私の存在は、多くの人々の知るところになりました。当時は根無し草同然だった私に、大勢の人が面倒を見たいと世話を焼いてくれて……中には私を養子にしたり、武家に取り立てたいと言い出す方までいたほどでした」


 やがて二人の前に、日中の賑わいを見せる市ヶ谷八幡宮いちがやはちまんぐう境内けいだいが見えてくる。

 外堀を流れる緩やかな水流沿いに小高い丘があり、そこを上る石階段が何段も続く。

 境内には多くの屋台が軒を連ね、七輪で焼かれた魚の香ばしい匂いや、そば屋台の出汁の香りが奏汰の胃袋を刺激した。


「気付いたときには……私は私を慕う大勢のみなさんの声に押されて公正館の道場主となり、みなさんと共に過ごす日々にやりがいを感じるようになっていたんです……」


 そう話すエルミールの言葉には、喜びの色は欠片も無かった。

 しかし彼の瞳には目の前に広がる江戸の街並みと、そこに生きる人々の姿がはっきりと映っていた。


「たとえ私たちの目的がこの世界の破壊であっても……無関係の人々が魔に襲われているのを見過ごすことは私の正義に反します。衆目しゅうもくの中で鬼を倒したことに後悔はありません。ですが――」

「だけど、ここまで〝みんなと仲良くなるつもりはなかった〟……ってことか」

「……そうです」


 市ヶ谷八幡宮の境界となる大鳥居の前。

 奏汰の言葉に、エルミールはついにその足を止める。


「ここが素晴らしい世界であることは、やってきてすぐにわかりました……だからこそ私は、極力人との接触を避けました。一度触れ合ってしまえば、私の信念を維持する自信がなかったんです……」

「わかるよ……俺もそうだった」


 大鳥居を前に向き合う二人。

 盛夏の終わり。秋の気配を乗せた風が互いの間を通り過ぎていく。


「でも、ならどうして? みんなとあんなに楽しそうに頑張ってるのに……それなのに太助さんは、この世界が無くなってもいいって思ってるのか?」

「――そんなわけないでしょう!!」


 突然の叫び。

 行き交う人々は何事かと一瞬目を向けたが、人の流れはすぐに何事も無かったかのように平静を取り戻していく。


「すみません……私としたことが、取り乱しました」

「いや……今のは俺が悪かった。ごめん……」


 それは、エルミールのいかなる感情の発露だったのか。

 同じ勇者ゆえに、奏汰が彼に共感を持ったことと同様だったのか。


「私だって、ここに生きる皆さんを守りたいと思っています……囚われた勇者の仲間たちもこの世界も、どちらも救う道があるのならとっくにそうしています……!」

「太助さん……」

「けど私はそれ以上に、今すぐにでも祖国に帰りたいんです……! 故郷には大勢の仲間が……私の帰りを待つと言ってくれた〝大切な人がいた〟んです……っ!!」


 あまりにも悲痛なエルミールの言葉。

 その言葉に対し、奏汰はかける言葉を持ち合わせていなかった。


「勇者の務めなら、もう十分に果たしたはずです……! 私は勇者として命をかけて戦い、立派に世界を救いました……それなのに、どうして愛する祖国を救うことが許されないのですか……? 私がこの世で最も守りたいと願う人を、どうしてこの力で守らせてくれないのですか……っ?」


 それは願い。


 何よりも大切な全てから遠く引き離され、再びその手に取り戻したいと叫ぶ、一人の少年の願いだった――。


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