願いの結末
〝舞へ舞へ勇者
舞はぬものならば
魔の子や鬼の子に
踏み
生まれし世まで帰らせん〟
しゃらん。
しゃらん。
鈴が鳴る。
果たして、それは夢か
闇の底を貫いた先。
異世界の戦いで三年。
江戸に落ちて七年。
〝合わせて十年〟もの戦いの日々を駆け抜けた、勇者エルミールの眼前。
そこに広がっていたのは、夢にまで見た祖国の景色だった。
「帰って、きた……? 本当に、ファルランタに……!?」
景色だけではない。
駆け抜ける風の肌触りも。
胸に飛び込む大気の香りも。
空を飛ぶ鳥たちの鳴き声も。
五感で感じる全てが、ここが間違いなく祖国であることをエルミールに伝えていた。
「シェレン様――っ!!」
気付けば、エルミールは駆けていた。
あの日、決意を胸に旅立った巨大な城門の下をくぐり、時が経っても変わらぬ大通りを脇目も振らずに駆け抜ける。
「帰ってきた……! 私は、本当に……!!」
いつしか、エルミールの視界は涙で滲んでいた。
なぜ帰ることができたのか。
無条との戦いはどうなったのか。
手を取り、共に闇と戦っていたはずの
それら数々の疑問は、帰還の喜びによって押し流された。
しかし彼がそうなるのも無理なきこと。
なぜならエルミールは、それほどまでに〝多くの心残り〟をこの地に置いてきたのだから。
「シェレン様……! 私は……!」
だから、エルミールは〝気付かなかった〟。
道行く人々が、誰一人として彼の姿を目にとめていないことに。
厳重な警戒を行う城の門番も、彼の入城を止めようともしなかったことに。
やがてまたたく間に景色は変わり、いつしかエルミールは王城の中を上へ上へと登っていた。
もうすぐ、彼女の元に着く。
彼が祖国に帰りたいと願っていた、最も大きな理由がそこにある。
エルミールはまたたく間に長い長い石の階段を上がりきり、見慣れた通路を息を切らしながら走る。そして――。
「シェレン――……!!」
『ママー! パパー!』
その時。勢いのままに部屋の戸を開こうとしたエルミールの耳に、無邪気な幼子の声が届いた。
『まあ、綺麗なお花ですね』
『実にいい香りだね……私たちのために摘んできてくれたのかい?』
『うんっ! お城のお庭からもってきましたっ!』
扉一枚を隔てた先。
そこから聞こえてきた暖かな〝家族の会話〟に、エルミールの足が止まる。
『ありがとう、エルミールはとても優しい子だね』
『本当に……きっと、私たちの国を救ってくれた〝あの方〟のように、立派で優しい人になりますね』
『えへへ……』
扉の先から届く声は、ほんの僅かなものだった。
だがその僅かな言葉だけでエルミールは全てを理解し、扉に当てていた手を下ろし……口をつぐみ、溢れる涙を堪えるように天を仰いだ。
『ねーねー! また〝勇者エルミールのお話しを聞かせてくださいっ! ボクと同じ名前の、とーってもかっこいい勇者様っ!』
『あはは! エルミールは本当にその話が大好きなんだね。まあ、私たちもそうなって欲しくて同じ名前を君につけたのだからね』
『もちろん、何度でもお話ししてあげますよ……今こうして私たちが平和に暮らせるのは、全てあの方のお陰なのですから……』
覚悟はしていた。
こうなることは、全てわかっていた。
彼女の婚約者である東国の皇太子は、当時から優しく有能な好青年と名高かった。
それが嘘偽りない事実であったことは、この短い会話だけで手に取るようにわかる。
同じ十年でも、時の止まったマヨイガに長く滞在していたエルミールの姿は少年のまま。
しかし彼の幼なじみはその間も一国の女王としての責務を立派に果たし、エルミールがいなくなった後も、こうして自らの手で平和と幸せを掴み取っていたのだ。
「シェレン様……私は……っ」
あの最後の時。
彼女の問いに答えることなく別れてから、十年ぶりの祖国への帰還。
そこでエルミールを待っていたのは、考え得る中でも最善の状況であるはずだった。
周囲に外敵を多数抱えていた祖国は十年後も無事に繁栄を謳歌し、想い人であったシェレン・ファルランタは、良き夫と共に幸せな家庭を築いていたのだから。
『彼は……勇者エルミールは、生まれた時から私のことを守ってくれていました。でも最後の戦いの後……彼はもう、私の元に戻ってはきませんでした……』
『どうして勇者様は帰ってこなかったのかな……ママもパパも、他のみんなも……勇者様が帰ってくるのをずっと待ってるのに……』
『私がそう言ったのです……最後の戦いが終わったら、どうかその後は〝自分のために生きて欲しい〟と……きっとあの方は、それで……』
これ以上はない。
これ以上、望むものなどない。
「これで、よかった……シェレン様が幸せなら、それで……っ」
たとえ、帰還した自分が想い人にとっての一番でなかったとしても。
祖国と彼女を生涯にわたって守り抜くこと……それこそが望み。それこそがただ一つの願いだったはず。
『けれど、私は今も信じています……エルミールは、今もどこかで生きている。生きて、きっと幸せに暮らしているはず……私は、そう信じているのです……』
「……っ!」
だからこそ……深い寂しさが宿るシェレンのその言葉に、エルミールははっとなって前を向いた。
彼女は今も自分のことを心配し、心を痛めている。
エルミールが大きな後悔を抱えて生きてきたように、想い人もまた大きなしこりを抱えたまま、今も彼の身を案じていた。
あのような形での別離に、辛かったのは自分だけではない。
たとえ想いは届かずとも……生まれた時から共に育ったエルミールを失い、辛く寂しい思いをしたのは彼女も同じだったのだ。
ならば、己のやるべき事はただ一つ。
今すぐ帰還したことを伝え、彼女と祖国の幸せを全身全霊で祝福するのだ。
自分が消えたのは、決して彼女のせいではないと。
自分のことは何も心配しなくていいと、最高の笑顔で伝えなくては。
そして再び祖国のために。
忠誠を誓った女王と、彼女が築いた暖かな家族のために。
流浪の勇者エルミールとしてではなく、祖国の勇者エルミールとして生涯を尽くす。
それこそが、こうして帰還した自身の成すべき事だと。
エルミールはそう決意し、再び目の前の扉に手をかけた。だが――。
『あれなにー!? 真っ黒な雲がどんどん近づいてくるっ!!』
『黒い雲……?』
『あれは、嵐かな……? それにしては、やけに動きが早いようだけど……』
だがその時。
エルミールの五感に、一度は遠ざかったはずの〝闇〟が舞い戻る。
『違う……! あれは嵐なんかじゃない……逃げろシェレン! エルミール!!』
「この力……っ! まさか……!?」
それは闇。
エルミールが察知した力……それはまさしく、つい先ほどまで死力を尽くして戦っていたはずの、
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