勇者の領分


親王しんのう様……ここは危険です。どうかお下がりを』

「ほっほ……よいよい、いよいよえんもたけなわというに、なにゆえ去る必要があろうか。のう?」


 強大な鬼の出現に多くの者が逃げ惑う八幡宮はちまんぐう境内けいだい

 試合場を見おろす観覧舞台に座る無条親王むじょうしんのうの周囲に、錫杖しゃくじょうを構えた白僧装束はくそうしょうぞくの者たちが音もなく護衛に現れる。


 しかし無条は白僧たちには目もくれず、むしろ視界を塞ぐ彼らの何人かをその手で強引に押しのけ、身を乗り出して鬼へと変えた宗像むなかた奏汰かなたたちの対峙を見つめた。


「ほれほれ、早く我を楽しませるがよい……もしもあの鬼が度を超えて我が想い人を危機に追い込めば、その際は我自ら鬼をちゅうし、我が姫に格好の良いところを見せてるのも一興……いや、そのような面倒をせずとも、このままさらってしまってもよいのか……? ほむほむ……時臣ときおみがおらぬと、世の習わしはいまいちよくわからんの。ほっほっほ……」


 その笑みは、獲物を狙う蛇そのもの。

 白いかんばせに浮かぶ笑みをさらに深めながら、無条はちろりと覗かせた舌で自らの唇を濡らした――。


 ――――――

 ――――

 ――


「よし! 頼んだぞみんな!」

「がってんです!」


 観覧舞台から見下ろす無条の視線、その先。

〝魔王級の鬼〟と化した宗像と対峙する奏汰が開戦の声を上げる。


「先陣は私が――!」


 魔王対勇者パーティー。

 異世界であれば、苦難の先に待つ最終決戦もかくやという戦場。


 しかし奏汰はその場から動かず、聖剣リーンリーンを掲げて滅殺の赤の制御に意識を集中させる。

 代わりに飛び出したのは、聖剣オーラクルスを構えた神判しんぱんの勇者エルミールだ。


「はぁああああああああああああ――ッ!!」

『ググ……ググググ! 山上やまのうえ太助たすけ……!! 憎い……憎い!!』


 一瞬にして宗像の懐に潜り込んだエルミールは、巨躯の宗像めがけて斬り上げ一閃。

 しかし宗像はその刃を片手で軽々と受け止めると、反対の手に握る大太刀だいたちをエルミールめがけて振り下ろす。


「甘い――!!」

『グ、ヌ!?』


 しかしエルミールはその刃を皮一枚で回避。

 大地を穿つ宗像の大太刀に両腕を回すと、その小柄な体からは想像もできない人間離れした勇者の膂力りょりょくで、宗像の巨躯をその場に縫い止めようと試みる。しかし――。


『グハハハハ! 餓鬼が……赤子ほどの力も感じぬわ!!』

「――っ!」


 しかし魔王となった宗像の膂力は、勇者エルミールの力を上回る。

 抱えた大太刀ごと宙に持ち上げられたエルミールは、そのまま刃の峰で大地に押し潰された。


「ぐ……っ!」

『もっとだ! もっとお前の苦しむ顔を見セロ……! お前の悲鳴を俺に聞カセロ――!!』 


 並の人間であれば血煙となって爆発飛散していたであろう一撃。

 しかしエルミールはなおも大太刀から離れず、それを見た宗像は怒声を上げて二度、三度と彼の小さな体を叩きつけよう振りかぶった。


「調子に乗らないで。雷縄らいじょう――四天拘獄してんこうごく


 だがしかし。高々と振り上げられた宗像の腕に、天と地双方から四条の雷が伸びる。

 雷の鞭はまたたく間に宗像の全身を拘束。

 それと同時、飛び込んだ緋華ひばながエルミールを宗像の大太刀から強引に引きはがして跳躍。

 一拍遅れ、目もくらむ雷撃の嵐が宗像の巨躯を徹底的に焼き尽くした。


『グアアアアアアアアア!?』

「すみません……ありがとうございます、緋華さん……」

「……もしかしてあなた、〝剣奏汰つるぎかなたみたいな力〟はないの?」


 強烈な雷撃にもだえる宗像を尻目に、先ほどのお返しとばかりにエルミールを抱えて飛びすさる緋華が尋ねる。


 緋華が疑問に思うのも当然。

 なぜなら、たった今見せたエルミールの戦い振りは奏汰はもちろん、先に対峙したカルマにすら劣るように見えたからだ。


「そんなことはありませんよ……ですが、私の持つ〝ジャッジメント〟は、対峙した相手が〝奪った命の数〟に応じてその力が変わるスキル……たとえ鬼となっても、〝人としてまっとうに生きてきた宗像さん〟相手では、なんの役にも立たないのです……」


 ジャッジメント。


 それは、神判の勇者エルミールが持つ勇者スキルの名だ。

 その能力は、敵対者が〝奪った命の数に応じて際限なく自身の力を増す〟というもの。


 無論、どのような存在であれ生命である以上、他者の命を奪わずに生きることは不可能であろう。

 しかしこのエルミールの〝難儀な能力〟は、人がその一生でやむを得ず奪う程度の命の数では〝全く効果がない〟。


 数万、数億の命を自らの指示で私利私欲のために奪う独裁者。

 世界そのものの破滅を目論む大魔王。

 己が理想世界建設のため、何度となく世界を作り替える無慈悲な神。

 もしくは、数多の異世界の運命と存亡を左右してきた〝勇者〟――。


 とにかく、対象の関与によって奪われた命の数が世界規模の総量となって初めて、エルミールはあらゆる勇者を越えた神の如き力を発揮することができる。

 逆に言えば、たとえ狼藉を働こうと外道に落ちたわけでもない宗像相手では、ただ〝頑丈で力の強い剣士でしかない〟のだ。


「なにそれ。使えない」

「ごもっとも……ですがそれでも、みなさんのおとりにはなれます」

「…………」


 魔王級の鬼を相手に、秒と経たずにボロ雑巾となった小さな勇者。

 緋華はそんなエルミールに複雑な表情を浮かべながらも、油断無く宗像への雷撃を継続する。そして――。


「今日まで頑張ってたのは奏汰さんだけじゃありませんよっ! 僕だって、ちゃーんとお稽古してたんですからっ!!」


 緋華の絶技に足を止めた宗像めがけ、二刀を構えた新九郎しんくろうが走る。

 奏汰がエルミールと共に剣技を磨いている間も、新九郎は父家晴いえはるから授けられた天道回神流てんどうかいしんりゅうの極意会得のために日々研鑽けんさんを積んでいた。


「でも……まだ僕の終型ついけいなんて影も形も見えてませんっ! なので僕はいつも通り……みんなのためにこの剣を振るいます!!」


 駆け抜ける新九郎の二刀から炎が溢れる。

 緋華から預けられた首巻きをなびかせ、迷い無き浅緑せんりょくの瞳に光が灯る。 


陽炎剣ようえんけん奥義――!!」

『グヌウウウウウウウ!!』


 緋華の雷縛らいばく越しに、宗像が新九郎を捉えようと足掻く。

 しかしその動作が終わるより速く、新九郎は自らの肩上で二刀を揃える特異な構えを取ると、雷撃の嵐に躊躇なく業炎の刃を振り下ろした。


「――終炎しゅうえん桜大刀自神さくらおおとじのかみ――!!」


 一閃。

 

 大上段から袈裟斬りに叩きつけられた炎の刃は、宗像の肉体を見事に切り裂き、散々に焼き尽くしたかに見えた。だが――!


『俺ヲ舐めるな……コゾウ!!』

「ぴえっ!?」


 新九郎渾身の奥義は、宗像の強靱な肉体の半ばで勢いを失う。

 宗像の凶暴な眼光が目の前の新九郎を捉え、ついには緋華の雷撃すら霧散させて彼女の細い体を大太刀でなぎ払いにかかる。


「させない――!!」

「させません――!!」


 それは正に命を賭したぎりぎりの攻防。

 新九郎の危機を見て取った緋華とエルミールが宗像の前に飛び出す。

 そして緋華は新九郎を抱えてごろごろと地面を転がり、エルミールは山をも砕く宗像の一撃を聖剣オーラクルスで正面から受けた。


「く……うぐ……ッ!」

『グググ……! 〝弱い〟、なんという弱サカ……オレは、こんな奴に怯え、苛立っていたノカ……!!』


 圧倒的宗像の力にエルミールの全身が悲鳴を上げ、聖剣を握る両手から鮮血が滲む。しかしそれでもエルミールは下がらず、強固な意志を宿した眼光を宗像に向けた。


「たとえ弱くても、私はもう逃げない……!! こんな私を暖かく迎えてくれた皆さんのために……この世界のために、私の大切な仲間たちのために!! もう絶対に、諦めはしないと誓ったのです!!」

『諦めないだと……!?』

「そうです!! 宗像さん……私は貴方も、必ず助けてみせます!!」


 勇者が叫ぶ。

 たとえ力が弱くとも、たとえ数え切れないほどの後悔を抱えても。

 それでも前に進むと決めた、小さな勇者の叫び。ゆえに――!


「そうだ! 〝俺たちは〟……何も諦めたりしない!」

『ナニ……!?』


 赤がはしる。

 それはその収束を終えた奏汰の光。

 

 鬼と化した宗像の目が驚愕に見開かれ、そのよどんだ瞳に邪悪を焼き尽くす滅殺の閃光が広がる。


『ガ――ッ!?』


 閃光。


 雷撃、業火、そして勇者の力。

 三つの力をその身に受けた魔王の巨躯が光に包まれ、そして……浄化される。


「ふう……ありがとうみんな。お陰でなんとかなったよ」

「や、やった……?」

「そう……みたいですね……」


 全ての音が消えた試合場。

 そこには、無事に人の姿を取り戻した宗像が、まるでつきものが落ちたような表情でばったりと倒れていたのだった――。


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