彼岸の残響


「――無事にお元気になられてよかったです!」

「おかげさまで……こちらこそ、気にかけて下さってありがとうございました」

「おっかあを助けてくれてありがとなっ!」


 江戸の東、隅田川すみだがわを越えた先にある小さな民家前。


 番所を後にした奏汰かなた新九郎しんくろうは、かつて静流しずるの力によって癒やされ、一人で目覚めぬ母を看病していた少年の元を訪れていた。


 長谷部老はせべろうの言葉どおり、少年の母に怪我が悪化する様子はない。

 暗く沈んでいた少年にも明るさが戻っており、それを見た二人もまた、安堵あんどの笑みを浮かべた。


「またなにかあれば、いつでもご相談ください。〝神田町の勇者屋〟をどうぞごひいきに!」

「うん! 村のみんなにも言っとくよ!」

「ありがとな。じゃあ、俺たちはこれで」


 手短に用件を済ませた二人は、親子に頭を下げてその場に背を向けた。すると――。


「――なあかあちゃん、本当にまたあの嘘つきのところに行くのか?」

「行くにきまってるでしょう。そりゃ、一月ひとつきも目を覚まさなかったのはちょいと薄気味悪いけれど……それでも、あのお方が私の足を治してくれたのは間違いないんだろう? だったら、ちゃんとお礼をしにいかないとねぇ」

「そりゃそうだけどさ……」


 立ち去る二人の背に、親子のそんな会話が聞こえてくる。

 それを聞いた新九郎は足を止めぬまま、夏の青空と一面の水田、そしてせみの鳴き声に包まれる夏のあぜ道をまっすぐに見つめた。


「静流さんは、嘘つきだったんでしょうか……?」

「…………」


 歩きながら青空を見上げる新九郎の胸に、静流がたびたび口にした〝嘘つき〟という言葉が蘇る。


 世界が逆行する以前の記憶を持つ二人にとっても、静流の抱えていた辛さや思い……今となっては、それらの真実は推しはかることしかできない。

 なぜなら、二人が静流と交わした言葉はあまりにも少なく、共に過ごした時間もまた、あまりにもわずかだったからだ――。


「僕は、静流さんに嘘をつかれたなんて思ってません……たしかに、みんなを鬼にするなんて酷いことを隠していたのは絶対に悪いことです。けど、それでも……」


 その言葉通り、少なくとも新九郎は静流が自分に嘘をついたと感じたことは一度もなかった。

 奇跡の期限切れにしても、自らの力の出所にしても。

 静流は誰に対してもそれらを公言し、事前に伝えていたのだから。


「むしろ、静流さんは僕なんかよりずっと正直に……誰にも嘘をつかないように、頑張りすぎなくらい頑張ってたんじゃないかなって……今は、そう思うんです……」

「そうだな……」


 そうして二人が思い出す静流の姿。そしてその横顔は、どれも辛そうで、寂しげなものばかりだった。

 新九郎から消えゆく静流の最後の願いを伝えられた奏汰もまた、静流の面影を思い、静かに己の拳を握りしめた。


「もっと、お話ししたかったです……もっと静流さんのことを聞かせて貰って……みんなで一緒においしいものを食べたりして……そうしたら、きっと……」

「話せるさ……俺たち二人で、必ず静流さんを助けるんだ。そうだろ……新九郎」

「はい……っ!」


 静流から託された最後の願い。

 この世界の命も、この世界に囚われた大勢の勇者たちの命も共に救う。


 それは途轍もなく困難で、不可能とすら思える願い。

 その為に何をすれば良いのかも、到達可能なのかもわからない。

 

 しかしそれでも、二人はその願いを成すと約束した。


 二人の上に広がる澄み切った青空……その青空の下に今はもういない、己の運命と願いに最後まで向き合った〝一人の少女〟と約束したのだ。


 もはや、〝現世も異世界もない〟。

 今この時、闇の中で助けを待つ人々がいる。

 苦しみ嘆く命がある。

 

 その事実から目を逸らすことはできない。

 逃げるつもりもない。


 託された真実と思いを必ず果たす。

 それだけが、二人の見据える願いだった。


「助けましょう……絶対に! 静流さんのことも、静流さんと一緒に捕まっているたくさんの勇者さんのことも!! 僕……そのためなら嫌いなお稽古も、苦手な勉強でもなんでもしますっ!!」

「俺もやる……まだ弱音なんて吐いてる場合じゃなかった。ここには俺の大切なものが沢山あるんだ。もう二度と……傷つけさせたりしない」


 奏汰と新九郎は互いに目を見合わせて頷き、その少女との約束を確かめるようにして、握った拳をこつんとぶつけた。

 

「僕はもう泣きません……見てて下さいね。静流さん……母上……」


 青空の下、まっすぐに伸びるあぜ道の上。

 奏汰と共に新たな一歩を踏み出した新九郎は、蒼穹そうきゅうの彼方に浮かぶ二人の面影に、改めて誓うのだった――。


 ――――――

 ――――

 ――


「あのー……彼岸ひがん様のお屋敷はここですか?」

「そうだが……あんたらも彼岸様の奇跡に縋りにきたんかい?」


 奏汰と新九郎が見上げた空と同じ空の下。

 さらさらと流れる隅田川のほとり。


 かつて彼岸の屋敷だった場所の前で、共に大きな包みを背負った〝若い夫婦〟が、一人の老人に声をかけていた。 


「あ、いえ……俺たちは……」

「奇跡目当てなら諦めな。彼岸様はもうここにはおらん……山王祭さんのうまつりの後から誰も姿を見てねぇそうでな……信者の話じゃ、〝お隠れになった〟んじゃねぇかって……」

「彼岸様が……!?」


 老人のその言葉に、若夫婦は言葉を失う。

 

「実はわたしたち、〝夫の命を救っていただいたお礼〟をしようと思ってここまで来たんです……! どなたか、お伝えできる信者の方はいらっしゃらないんですか?」

「村の衆から預かったお礼の品もあるんで。村のみんなも、彼岸様には本当に感謝してて……」

「なるほどなぁ……だがそいつももう無理な話だ。ついさっき幕府のお偉いさんがやってきて、どいつもこいつもまとめて引っ捕らえちまった。つまりここはもう、もぬけの殻ってことよ」

「そんな……」


 話を聞いた若夫婦はしばし呆然と立ち尽くす。

 しかしやがて諦めもついたのか、二人は屋敷の前で膝をつき、地に手をついて深々と頭を下げると、互いの手を取ってその場を後にした。


「もっと早く来れば良かったね……次太郎つぎたろうさん」

「だなぁ……俺と〝おみや〟の大恩人だってのに、お礼の一つもできねぇなんて……」


 二人は、かつて江戸からほど近い村で彼岸の奇跡に救われた夫婦だった。

 野盗やとうに襲われて落命らくめいした次太郎は彼岸の奇跡で蘇り、今は最愛の妻と共に再び平穏な日々を送っていた。すると――。


「みゃー……」

「ん?」

「あら、かわいい子猫さんね」


 その時。彼岸の屋敷に背を向けた二人の足元からか細い鳴き声が響く。

 足を止めた二人が見たのは、その〝前足に真新しい包帯が巻かれた〟一匹の子猫だった――。


「この子、怪我してるのか?」

「――ううん、〝もう治ってる〟みたい。きっと、優しい人に助けてもらったんでしょうね」

「じゃあ、誰かの飼い猫かな?」


 次太郎はそう言って辺りを見回すが、そこにはどこまでも広がる田畑……そして、住む者のいない彼岸の屋敷があるだけだった。


「違うんじゃないかしら……」

「ならお前、せっかくだし俺たちのとこに来るか? これでも、稼ぎはけっこうあるんだ」


 おみやに抱きかかえられて心地よさそうにする子猫に、次太郎はにっこりと笑みを浮かべて尋ねてみせる。


「にゃー」

「この子もそれがいいって言ってるのかな?」

「決まりだな。なら名前はどうしようか――」



 ――――――

 ――――

 ――

 ――

 ――

 ――



〝舞へ舞へ勇者

 舞はぬものならば

 魔の子や鬼の子にゑさせてん 

 踏みらせてん

 まことに美しく舞うたらば

 生まれし世まで帰らせん〟


 しゃらん。

 しゃらん。


 鈴が鳴る。  


 蒼穹を越えて。

 巡り巡る命を連れて。


 常闇とこやみに眠る、少女の面影を追って。


 何処いずこより聞こえしわらべ歌。


 剣奏汰つるぎかなた徳乃新九郎とくのしんくろう


 やがてこの世の行く末を左右する一人の勇者と一人の剣客けんかくの願いをかけた戦いは、今この時より本当の幕開けを迎えるのであった――。



 勇者商売

 彼岸編――完。



 望郷のエルミールに続く。



※次回の更新は一週間後を予定しております。

 引き続き全力で頑張ります!!


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