祭りは終わり


「――此度こたびの任、ご苦労だったのう。結局、山王祭さんのうまつりに〝鬼は出んかった〟わけじゃが……お主らと約束した報酬は、額面どおりに払わせてもらうでの」

「……ありがとうございます、お奉行様」


 蝉の声が鳴り響く水無月みなづき日和ひより。

 北町の番所横に建つ町奉行まちぶぎょう長谷部四郎三郎右衛門之助はせべしろうさぶろううえもんのすけの屋敷。


 相当な銭が入った一抱えもある麻袋を横に置き、共に居住まいを正した奏汰かなた新九郎しんくろうは、長谷部老はせべろうの言葉にしっかりと頭を下げた。


 山王祭は例年通りの賑わいを見せ、危惧されていた鬼による襲撃も、黒示救世教こくじきゅうせいきょうによる騒乱も、共になにも起きぬままに閉幕した。


 教団と通じ、謀反の動きを見せていた作事奉行さくじぶぎょう秋津洲主膳あきつしましゅぜんは、長谷部老率いる町方の踏み込みと同時に〝自害〟。

 共に暗躍していたと思われる影鬼衆えいきしゅう痕跡こんせきはいくつか回収したものの、主膳しゅぜん一派と教団、そして鬼との関係は、決定的な証拠がないままに収束へ向かおうとしていた――。


「ところで山王祭を境に、例の教団の教祖……彼岸ひがんっちゅうのが〝いなくなった〟らしいんだが……お前さんら、そのことについてもなにも知らんのかい?」

「……はい。お奉行様から仕事の依頼をお受けした後で、俺たちも彼岸を探しはしたんですけど……」


 長谷部老の話に、奏汰と新九郎は共に黙って神妙な表情を浮かべる。

 しかし今の二人の瞳には、決して後ろ向きな光は宿っていない。


 むしろその逆……とうに覚悟は決まっていると、己のやるべきことを見いだしたとばかりに前を向き、ただ一点を見据えているかのような力強さに満ちていた。


 あの祭りの夜になにが起きたのか――それは奏汰と新九郎にもはっきりとはわかっていない。


 確かなことは、この世界全ての〝刻〟が惨劇が起きるより前の〝過去にさかのぼった〟ということ。


 そして江戸の……それどころか日の本の誰一人として、さかのぼる前に起きた惨劇のことを〝覚えていない〟と言うことだ。

 否――正確に言えば当事者である奏汰と新九郎、そして神であるクロムだけは、あの夜に起きた記憶を完璧に保持していた。


 合流したクロムの話では、たしかに刻が逆行する寸前に、信じがたいほどの勇者の力がこの世界全てを覆ったのを見たのだという。


 そしてもう一つ。


 勇者の力によって刻がさかのぼり、やり直された世界には、いくら探そうとも静流しずるの姿はなかったのである――。


「そうかい……実は祭りの後になって、彼岸のせいで身内が目を覚まさねぇって騒いでた奴らから、そいつらみんなけろっと〝目を覚ました〟って報せがあがってきておってのう……儂らも彼岸を追ってはおるんだが、元から得体の知れねぇやつだったんでなぁ……」

「そうだったんですね……目を覚まされた皆さんは、お元気なんですか?」

「今のところはな……だが彼岸に救われたって連中には、とうに死んでたやつも混ざってるらしいじゃねぇか。だのに肝心の彼岸がもういねぇんじゃ、今度こそ〝次の奇跡はねぇ〟ってことになるんかねぇ……」

「…………」

 

 山王祭の後。


 静流によって救われ、しかし〝奇跡の期限切れ〟によって眠りに落ちていた人々は次々と目を覚まし、怪我をした者や病を治して貰った者……そして命を落としていた者すらも、何事もなかったように普段どおりの日々に戻っている。


 今もこうしている間も、教団に救いを求める人々は後を絶たない。

 だがしかし、そこに救いをもたらす教祖はもういないのだ。


 絶対的存在であった彼岸を失い、教団は大混乱に陥っている。


 主膳という幕府側の後ろ盾も失った今、教団の本拠には今日にも寺社奉行じしゃぶぎょうである上代夕弦かみしろゆうげん率いる一団が査察に入るのだという。

 たとえ鬼と繋がる証拠はなくとも、反幕府の危険思想を理由に黒示救世教が取り潰されることは確実な情勢であった。


「――最後に念押ししておくが、本当に〝鬼は出なかった〟んだな? 儂らが鬼の騒動を聞きつける前に、お前さんらが先んじて鬼を片付けた……っちゅう線も十分にあり得ると、儂は今でも思っとるんだがのう?」

「そうだったら、良かったんですけど……」

「鬼が出ないに越したことはありません。俺たちの出番はなくても、お祭りが無事に終わるのが一番ですから」


 絶望と悲しみに包まれた大火の夜。

 その全てを知るのは、この場において奏汰と新九郎のみ。

 

 あの夜に起きた出来事を町方に伝えるべきかどうかは、二人はもちろん、クロムも悩みに悩んだ。


 だがそもそも一度逆行した後の今の世では、彼岸による残虐も、鬼と化した主膳も、奏汰と静流による天上のいくさも、なにもかもが〝起きてすらいない〟のだ。


 いかに奏汰の神隠しからの身の上話を容れた有能な町奉行とはいえ、そのような話を証拠もなしに信じ、動くことは土台無理な話。

 すでに勇者一派の存在と危険性を認知し、可能な範囲で動いている町方にそのような話を伝えても、余計な混乱を招くのみであると判断したのだ。

 

「お奉行様のお役に立てず、申し訳ありませんでした……けど、鬼への対処はぜひこれからも僕たち勇者屋にお声がけ下さい! その時は……次こそは必ず、お奉行様のお力になって見せます!!」

「そうかい……なら、そんときはまた頼むぞい、勇者屋の」


 新九郎の淀みない言葉に、長谷部老は愛用の煙管きせるをふうと吹かすと、根負けしたような様子で笑みを浮かべ……頷いた。

 そしてそれを見た奏汰と新九郎は最後にもう一度頭を下げ、そのまま共に屋敷を後にしたのだった。


「町奉行殿……お言葉ですが、あの二人の様子は……」

「みなまで言うんじゃねぇよ……お前もあいつらの目は見たろうが。あれ以上は、儂がなにをどう聞いたって無駄ってもんよ」


 去りゆく二人を見送る長谷部老に、部屋の前ではべっていた同心、木曽義幸きそよしゆきが声をかける。

 しかし義幸の言葉に長谷部老はただ首を振り、その皺の寄った目尻をすっと細める。


「まったく……なにがあったのかは知らんが、たった数日でずいぶんと見違えたじゃねぇか。特にあのひよっこめ……ますます〝上様と奥方〟に似てきやがってよう……」

「上様……でございますか?」

「こっちの話だ……さて義幸よ、儂らも若い奴らにゃ負けておれん。城内のことは寺社奉行殿と大目付殿に任せて、儂らは各地に散った影鬼衆どもの討伐だ……抜かるなよ」

「ははっ! 御意にござりまする――!」


 まだ年若く、日々目覚ましい成長を遂げる二人の剣士。

 去りゆくその背を見送った長谷部老と木曽同心もまた、二人とは別の己が戦場へと舞い戻っていくのであった――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る