最後の奇跡


「私の負けです……徳乃とくのさん、あなたの大切なもの……たくさん傷つけてしまって、ごめんなさい……」

「しずる、さん……?」


 なんとか焦点を合わせた視界の向こう。

 そこには天をあおぎ、その身に光の雪をまとい立つ静流しずるの姿があった。

 否――その光は〝静流そのもの〟。

 静流の存在そのものが、徐々に光となって天に昇っていたのだ。


「この世界は勇者の牢獄……ここですべての力を使い果たした勇者は、〝真皇しんおうの闇に飲まれて消える〟……」

「消えるって……っ? それって……どういう……っ!? 奏汰かなたさんは……!?」

「大丈夫です……奏汰さんには、わたしの最後の……力を……――」

「静流さんっ!?」


 さきほどまでの重傷が嘘のように消え、全快となった新九郎しんくろうがすぐさま静流の元に駆け寄る。

 新九郎はその手を光に包まれる静流へと伸ばしたが、そうして触れた静流の体は、まるでそこに存在していないかのように軽く、はかなかった――。


「な、なんですかこれ……っ? どうなってるんですか……静流さんっ!?」

つるぎさんとの戦いで……わたしの力は、からっぽでした……徳乃さんに最初の一撃を防がれた時点で……わたしは、負けていたんです……」

「ならどうして……? だって……僕たちの怪我を治してくれたのは、静流さんなんでしょう……? そんなにぼろぼろだったのなら、どうして……っ!?」


 新九郎の伸ばした手に押されるようにして、静流ははらりと舞い落ちる葉のように倒れる。

 新九郎はすでに重さを感じなくなりつつある静流の身を抱え、悲痛な表情で必死に自分に出来ることを探しているようであった。


 何も知らぬ新九郎にもわかったのだ。

 目の前の少女の命の灯が、今まさに消えようとしていることを――。


「どうしてでしょうね……だけど……」


 消えゆく静流を前に、新九郎はおろおろと狼狽うろたえるばかり。

 そんな新九郎を見て静流は微笑み、光になって消えゆく手をそっとその頬に添えた。


つるぎさんは……最後の瞬間まで、敵であるわたしを守ろうとしていました……徳乃さんは……あなたにとって大切なものを傷つけ尽くしたわたしにも、優しくしてくれました……」


 昇る光と降る雪。

 双方の光が音もなくすれ違い、涙する新九郎の周囲を舞い散っていく。


「そんなお二人を見ていたら……〝思ってしまった〟んです……つるぎさんと徳乃さん……あなたたち二人なら、わたしなんかよりもずっと良い方法で……この世界の命も、わたしの大切なみんなも……どちらも助けることができるかもしれない……そう、思ってしまったんです――……」

「そんな……っ」

「勝手ですよね……わたしはもう、どうしたって取り返しのつかないことをしたのに……沢山の人を騙して苦しめた、大嘘つきなのに……お二人には、わたしの願いを叶えて欲しいなんて……」


 もはや、静流の姿はただそこにある幻のようにすら見えた。

 そのぬくもりは急速に冷めて遠ざかり、新九郎の元を離れていくのが感じられた。


「ま、待って……いかないでください……っ。どうしてこんなことに……? 奏汰さんも静流さんも……みんな一生懸命頑張っただけなのに……どうして、こんな……っ!?」

「誇って下さい……わたしは最後まで、全力で戦いました……願いのために……大切なもののために……あなたとも……つるぎさんとも……だから、悔いはありません……」


 最後の時。

 静流の姿はもはや見えず、頬に添えられた手も、なにもかもがその輪郭を失い、光の中に溶けていく。


「本当に、ごめんなさい……もし……あなたのところに、わたしの仲間が来たら……伝えてください……〝戦ってはだめ〟って……つるぎさんと……あなたをしんじて……おはなしを……して――…………」

「――っ!?」


 瞬間。

 新九郎が必死に抱えていた光が弾ける。

 降り積もる光に先導されるようにして、灰の光が天に昇る。


「あ……ああ……っ? 待って、しずるさん……こんなの、ひどい……こんなのって、ないですよ……っ! う、うぅ……っ。うぐ……うぅ……――――っ!」


 新九郎は咄嗟とっさに舞い上がる灰の光に手を伸ばしたが、その手が光に触れることはなかった。

 新九郎の白く細い指先を、それまで静流だったはずの光が無情にもすりぬけ、消えていく――。

 

「うわぁあああああああああああああ――ッ!!」


 全ての音が消えた静寂の境内けいだいに、新九郎の泣き声が木霊こだまする。

 地を覆う光に顔を埋め、新九郎は一人わらべのように泣いた。


 その涙は、静流のためだけのものではない。

 最後まで諦めず、それでも届かなかった奏汰への思い。

 絶望のうちに命を落とした大勢の人々への思い。


 それは、あまりにも大きすぎる災厄さいやく疵痕きずあと


 今ここで起きた全ての悲しみがないまぜとなり、聞く者が耳を覆いたくなるほどの悲痛な声で、新九郎は泣き叫んだ――


 ――しかし。


 へ――……舞へ、勇者――。

 ……ならば――。


「え……?」


 しゃらん。

 しゃらん。


 鈴が鳴る。


 去りゆく君に。

 涙こぼす君に。

 

 どうか、届きますようにと。

 どうか、泣きやみますようにと。


 何処いずこより聞こえし、わらべ歌――。


『――泣かないで、吉乃よしの

「この、声……?」


 その時。

 新九郎のすぐそばで、音が響いた。


 それは、静寂に鳴る鈴の音。

 楽しげに重なるわらべの歌。

 そして――新九郎が決して忘れることのない、最愛の人の声だった。


『本当に、よく頑張ったね……こんなに立派になった吉乃を見れて、僕もとっても嬉しいよ』

「この声……そんな、まさか……っ!?」

『静流さんの最後の願い……そして、吉乃の願い。ちゃんと届いたよ……ここからは、僕たちが吉乃を助ける番だね』


 顔を上げた新九郎は、そこで信じられない光景を見た。

 降り積もった無数の光が一斉に舞い上がり、まるでほたるのような淡い輝きとなって江戸に――日の本に、さらにその先の先にまで飛翔。


 それはあたかも光の突風……もしくはそびえ立つ光の柱となって天に昇り、全てを照らしながら方々へ散っていく。


『〝静流さんの力と吉乃の力〟……まだこの世界に残っている二つの力に、僕たちみんなの力を乗せる。静流さんのおかげで〝少しの間だけ自由になった〟今の僕たちなら、きっとできるはずなんだ』

「僕の、力……? それに、みんなって……」


 とても現実とは思えない光景に、新九郎は泣きはらした顔で周囲を見渡しその声の主を――最愛の人の姿を必死に探した。


『立って、吉乃……僕も静流さんも、まだ〝消えたりなんてしてない〟……みんな、まだちゃんとここにいるんだよ。吉乃が本当に静流さんを助けたいのなら……泣いてる暇なんてないんだよ……』

「静流さんは、まだ消えてない……でもそれじゃあ、どうして……? どうして、貴方は〝そこにいるんですか〟……!?」


 光が溢れる。

 まばゆいばかりの光が奏汰と新九郎を包み、境内を包み、江戸を包み。

 日の本を、星を、その先に広がる星の海を――この世界を構成するすべてが、優しい光に包まれていく。


 やがて、新九郎がその光と声に導かれるようにしてゆっくりと立ち上がると、暖かな光は彼女の頬を伝う涙を拭うようにして払った。そして――。


「あ、ああ……っ。やっぱり、貴方は……っ」

『うんうん……その調子だよ吉乃。さすがは〝この僕の娘〟だね……優しくて、可愛くて、明るくて……それに、なんだかとーっても〝素敵な人〟も見つけちゃったみたいだし……本当に、もうなにも心配いらないね』


 溢れた光の先。

 そこで新九郎はたしかに見た。


 全てを覆う光の向こう側に立つ、静流の力で真皇しんおうとして一時的に現世に解き放たれた、光輝く聖剣を携える〝数多の勇者たち〟の姿を。

 そしてそれら大勢の勇者の先頭に立つ、〝一人の女性の姿〟を。


『ごめんね、いつも傍にいてあげられなくて……静流さんのことは、僕たちに任せて……この世界のこと、みんなのこと、お父さんのこと……頼んだよ、吉乃……――』

「母上――っ!!」


 光は新九郎の叫びを飲み込み、閃光の中に浮かぶ母の笑顔だけが最後まで彼女の瞳に映っていた。


 無限に広がった閃光は人々の傷を癒やし。

 その残響ざんきょうは、世を覆う絶望を穏やかに癒やした。

 

 そして――。


 ――――――

 ――――

 ――


「あ、れ――……?」


 光が晴れると同時。

 涙がこぼれる瞳を見開いた新九郎の視界に、夜空で輝く打ち上げ花火の光が飛び込んでくる。


 外界から隔絶かくぜつされたかのような日枝神社ひえじんじゃの境内には、穏やかな雅楽ががくの音色――そして、何事もなく祭りの夜を楽しむ人々の歌声が遠くから聞こえてくる。


「かなた、さん……」

「…………」


 そして、冷たい境内に呆然と座り込む新九郎の膝上。

 そこには、新九郎の手を握りしめて眠る奏汰の姿があった。


「静流さん……母上……――」


 それはまるで、長い長い夢を見ていたかのようだった。


 思わず夜空を見上げた新九郎の瞳に、最後に残った光の雪――まるで彼女を見守るかのような〝灰と浅緑せんりょくの二つの光〟が、そっと流れていった――。


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