困った二人
「私……ずっと
「
今も歓声とちんどんの音が響く
春日はそれまで秘めていたエルミールへの想いを、今にもかすれそうなほどに震えた声で、しかしはっきりと言葉にして伝えた。
(春日……)
そんな二人の様子を、
常の緋華であれば、決してこのようなことはしなかったはずだ。
だがなぜだろう。
気付けば緋華は、ただならぬ雰囲気で宴から抜けた二人の後を追い、路地裏からその様子を見つめていたのだ。
(わたし、なにをしてるの……)
らしくない。
春日の想いを見た緋華は不意に我に返り、二度三度と頭を振る。
それら時の中で、緋華は春日に対しても確かな仲間意識と好感を抱いていた。
力で劣る女子でありながら、屈強な大男にも……それどころか、たとえ恐ろしい大鬼相手でも果敢に挑む確固たる気概。
老若男女誰に対しても気後れせず声をかけ、気を配る配慮。
さらには商家の娘らしく頭の機転も利く春日を、緋華は一人の剣士として認め、大切な友人だと思っていた。だからこそ――。
(無粋……春日と太助がどうなっても、わたしには関係のないこと……)
隠密として、忍びとして、緋華は日の本一とも呼べる才覚を持つ。
その役目を果たす上で、このような状況に身を置いたことは何度となくあった。
だがそれらのどれ一つとして、緋華自身の衝動に駆られて行ったことはない。
隠密という責務に誇りを持っているからこそ、なおさら緋華は、己の欲求で他人の深層を覗くことを固く戒めてきたのだから。だが――。
「っ……!」
だがしかし、緋華が思い直してその場に背を向けようとした瞬間。
エルミールから何事かを告げられ〝沈痛な面持ちとなった春日〟が、暗がりに立つ緋華の前を、脇目も振らずに走り去っていったのだ。
「緋華さん……?」
「ごめんなさい……なにも言わずに出て行ったから、つい……」
「そうでしたか……」
春日が走り去ってすぐ。
緋華は春日と同様に、悲痛な表情で佇んでいたエルミールに声をかけた。
「春日になにを言ったの? あの子、泣いてた……」
「……すべて私の不徳です。春日さんを傷つけてしまったこと、本当に申し訳ないと思っています」
現れた緋華にも、エルミールは驚きを見せずに応じる。
春日との件からその表情は固かったが、かつてのような迷いや逡巡といった弱気は今の彼からは見られなかった。
「春日さんのお気持ちは、私もとても嬉しく思います……ですが、私は春日さんの想いに応えることは出来ない。そう……お伝えしました」
先の春日の想い。
その想いと同様にまっすぐな瞳で、エルミールは緋華の問いに答えた。
「……〝あの人〟がいるから?」
「無論です。シェレン様と祖国を救う……それは私にとって、命よりも重い責務です。この責務を果たさずに、私だけが平穏な日々を送ることは……やはり出来ません」
「そう……」
そう答えるエルミールに、緋華は困ったように息をついた。
本当に、〝難儀な男〟だと思う。
一体どのように育てば、ここまで固く生きられるのか?
あと少しでも……それこそ今宵の奏汰と新九郎のように、このような時だからこそ少しは自身の想いを優先しても良いのではないかと……緋華は目の前に立つ〝少年そのもののような心身〟の男に心底そう思った。
だがさらに困ったことに、当のエルミールはこの生真面目すぎる有り様こそが平常であり、望みなのだと……この数ヶ月、エルミールと誰よりも共に過ごした緋華は理解し始めていた。
「困った男……私があんなに素直になれって言ったのに、ぜんぜん聞かない」
「そのことですが……私が春日さんの想いをお断りしたのには、〝もう一つ理由〟があります」
「なに?」
「あの
言って、エルミールは不意に暗がりの中でも美しく輝く青い瞳を緋華に向ける。
確固たる決意を宿したエルミールの瞳に、緋華は我知らず息を呑み、押し黙ることしかできなかった。
「私は必ずシェレン様と祖国を救う……誰になんと言われようと、私はそのために今日まで生きてきました。私の願いと幸せは、今もその先にあることは間違いありません。だけど――」
「…………」
「だけど〝その後〟は、緋華さんの言うとおり……もう少し、私自身のことを考えてもいいのかなと……最近になって、ようやくそう思えるようになってきたのです」
その後のこと。
緋華の前で、エルミールは初めて全てを終えた後を口に出した。
「まだなにをすると決めたわけでもないのですが……私も少しのんびりと、肩の力を抜いてみてもいいのかなと……」
「いい考え」
「それで……もし緋華さんさえ良ければ、その時にはまた私の相談を聞いて頂きたくて……」
「……? それは、かまわないけど……」
「あ、ありがとうございますっ! これまで私は、緋華さんに支えて頂いてばかりでした……でもこれからは、その……私も、緋華さんを支えられるようになりたいと……っ!!」
「え……? なに……?」
なんだろう。
雰囲気が妙だ。
それまで確かに握っていたはずの場の主導権が、いつのまにかエルミールに奪われている。
そもそも春日でもシェレンでもなく、なぜ〝縁もゆかりもない部外者であるはずの自分〟にエルミールの主題が移っているのか。
緋華はそわそわとざわめく自分の鼓動にいたたまれなくなり、ついにエルミールの視線から逃れるようにしてくるりと背を向けた。
「あ……緋華さんっ?」
「心配して損した……あなたも元気みたいだし、もう戻る。祝いの席で
「では私も一緒に……!」
「お断り……あんなことの後にわたしとあなたが一緒に戻ったりしたら、わたしは春日に顔向けできない」
「あぅ……」
「しばらくそこで突っ立ってて……女心がわからない男には、そこでがたがた震えてるのがお似合い」
そう言い残し、緋華は最後までエルミールに振り向くことなくすたすたとその場を後にした。
(なんなの……? も、もしかしてわたし……吉乃や太助よりだめ……?)
一目でわかるほど赤くなった頬を抑え、妙な雰囲気にあてられた緋華は、これまで新九郎やエルミールに語ってきた言動とあまりにも解離した自らの姿に肩を落とし、大きなため息をついたのだった――。
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