贖罪はいらず


「じゃあなお二人さん!」

「明日からもよろしくなぁ!」

「今夜はありがとうございました。みなさんお気をつけて」

「今後とも勇者屋をごひいきにーっ! これからも、夫婦二人でもりもりがんばりますねっ!」


 楽しく賑やかな宴の時はまたたく間に過ぎる。


 まもなく日をまたごうかという夜半。二人の祝言に訪れた大勢の顔なじみたちを、奏汰かなた新九郎しんくろうは寒風の吹く店の軒先で共に見送っていた。


「……僕、今夜のことは絶対に忘れません。でも奏汰さんと会ってからは、ずっとそんな日ばっかりなんです……」

「俺もそうだよ。ここに来たときは、正直かなりヘコんだんだけど……それで新九郎に会えたのなら、それまであった辛いことにもぜんぶ意味があったんだって……そう思えるようになった」

「えへへ……」


 晴れて夫婦となった夜。


 こうして大勢の人々に門出を祝福されたことも。

 寒空の下で一人一人に頭を下げ、帰り行く仲間たちを夫婦二人で見送ったことも。


 その全てが掛け替えのない時になる。

 その全てが、二人のこれまでとこれからを繋ぐ思い出になる。


 たとえ口に出さずとも、その喜びと想いは同じ。

 奏汰と新九郎は互いに顔を見合わせて微笑むと、どちらからともなく手を握り、ついばむように唇を重ねた。


「――おっとと。邪魔しちゃったかな?」

「うひゃあっ!? か、カルマさん!?」 

「ううん、大丈夫。カルマも、今日はずっと手伝ってくれてありがとな」


 訪れた全ての客を送り出した後。

 軒先で互いの思いを確かめ合っていた二人の元に、炊事場での作業を終えたカルマがやってくる。


「にゃはは! いいのいいの、祝言だの飲みだのはうちの店でもやってっからさ! ちょいと遅くなっちまったけど、二人ともおめでとさん!」


 結局、カルマは神田屋の十次郎とうじろうと共に宴の料理仕事を最後まで引き受け、こうして奏汰と新九郎に挨拶をする暇すらなかったのだ。


「さあさあ、外ももう寒いんだ。いつまでも外にいないで、話しがあるなら中でしなよ」

歌明星うたみょうじょうの若旦那とはさっぱり話せてねぇんだろう? 片付けは俺たちに任せて、つるぎたちはのんびりしてってくんな」


 放っておけばそのまま立ち話になりそうな三人に、店内からおひまと十次郎の威勢の良い声がかけられる。

 その声を聞いたカルマは笑みと共に肩をすくめて店内に戻ると、実に軽々とした足取りで畳敷きの座敷に腰を下ろした。


「さて、と……今日はまーじで大変だったねぇ。かなっちもしんちゃんもさすがに疲れたんじゃね?」

「俺はぜんぜん。みんなと話せて楽しかったよ」

「僕も僕もっ! とーっても楽しかったです!」

「そいつはよかった。でも無理しちゃ駄目だよ。今は興奮してっから平気でも、こういうのって戦うのとは違うとこが疲れっからさ」


 食台の上に置かれた湯飲みに口をつけ、カルマは何度も頷いて二人に祝福と気遣いの言葉を贈る。


 知っての通り、カルマが明里あかさとと結ばれたのもつい一月ほど前である。

 この慶事における苦労や気遣いを二人と共有するに、カルマほど適任な相手もいないだろう。そして――。


「邪魔するぞ……」

「え?」

「んあ?」


 だがその時である。

 すでに暖簾のれんも下げられ、とうに店じまいの様相となった神田屋に不意の来客が現れる。


「遅くなってすまねぇな。まったく……昔と違って城下に降りるのも一苦労だ」

「ち、父上っっ!?」

「しょうぐ……!? じゃなくて……お、お義父さんっ?」

「このおっさんがしんちゃんの……? はーん……なるほど、そういうわけね……」


 そう。開け放たれたままの神田屋の木戸を抜けて現れたのは、着古した着流しにまげですらないざんばら頭。

 更には狼のような三白眼を持つ男――その名を聞けば泣く子も黙る剣鬼将軍、徳川家晴とくがわいえはるだったのだ。


「せっかくの娘の晴れ舞台だ。お前を一人でほったらかしにしたなんてエリスに知れれば、なんて言われるかわからねぇからな……」

「嬉しいですっ……! 僕がここまで大きくなれたのも、いつも父上が僕を守ってくれたからで……っ!」

「お父さま……!? おいでになるなら、言って下されば……!」

「おう緋華ひばな、お前も少しは楽しめたか……? 今日の俺は徳乃新太郎とくのしんたろうだ……お前が気を使うことなんざ一つもねぇよ……」


 現れた家晴は祝いの品を奏汰にひょいと放ると、将軍の来訪に気付いて慌てて土間から飛び出してきた緋華を片手で制した。


「それに、俺はなんもしちゃいねぇ……それどころか俺はエリスを守れず、まだ餓鬼だったお前から母親を奪っちまったんだ……それだけで、俺はお前からいくら恨まれても仕方ねえ親父だろ――」

「そんな……っ!」


 その父の言葉に、新九郎はその母親譲りの浅緑せんりょくの瞳を潤ませ、白無垢しろむく姿のままで家晴の胸元にひしとしがみつく。

 だが家晴はそんな新九郎を心底愛おしいとばかりに優しく撫で、万感の想いと共に微笑んだ。


「助けられたのは〝俺の方〟だ。エリスがいなきゃ……お前がいなきゃ、俺はとっくにどこぞの鬼か異界人かを相手に斬り合って野垂れ死んでただろうよ……今日、こうして嫁に行ったお前の晴れ姿を俺に見せてくれて、ありがとう……吉乃よしの

「ち、父上ぇぇぇえええええ――っ!? うわああああああんっ!!」

「良かったな、新九郎……」


 もはや堪えることもできず、新九郎はその瞳から滂沱ぼうだのごとく涙を溢れさせる。

 そしてそんな親子の姿をじっと見つめていた奏汰にも、家晴は新九郎をなだめながらその父親然とした眼差しを向けた。

 

つるぎ……重ねてになるが、娘のことを頼む。まだまだ危なっかしいところもあるが、お前ならエリスも文句はねぇはずだ」

「はい……!」


 家晴の頼みに奏汰は力強く頷き、今も涙を零す新九郎の手を支えるように握った。だが――。


「あー……ちょっといいかな?」

「カルマ?」


 だがその時。それまでなにも言わずに立っていたカルマが、神妙な表情で家晴の前に進み出る。


「どーも……俺が誰かわかるかな?」

「チッ……異界人ってのは、いつまで経っても老けねえもんなのか?」

「えーっと……?」

「まさか、二人は知り合いなのか?」


 まるで昔馴染みに会うかのように口を開いたカルマに、家晴はそれまで新九郎に向けていた物とは天と地ほどに離れた、〝地獄の業火〟が宿るかのような眼光を向けた。


「そりゃね……俺は百年も前からここにいるんよ? まさかしんちゃんのパパがこのおっさんだったってのは、まーじで今初めて知ったんだけどさ……」

「お前が俺たちに降ったって話は夕弦ゆうげんから聞いた……こうしてそのツラを見るまでは、半信半疑だったがな」


 そう……かつて勇者エリスセナと共に護国の刃を振るっていた家晴にとって、カルマはかつて市井しせいで何度となく戦った仇敵中の仇敵。

 

 時臣ときおみのように身内こそ奪われてはいないものの、カルマが数多の鬼としのびを率いて暗躍し、罪なき民の命を奪ってきたのは紛れもない事実なのだ。

 

 だがカルマは言い逃れることも、顔を合わせずに隠れることも出来たであろうこの場で、あえて家晴の前にその身を晒すことを選んだ。

 

「ここでいくら謝ろうが意味なんてねぇのはわかってんだ……けど、俺は……!」

「やめろ。辛気くせぇ……」


 カルマにとって、かつての己の所業を誰よりも知るであろう相手が家晴だ。その家晴が新九郎の父であるという事実を知り、カルマは潔く贖罪を申し出ようとした。


 だがそうしようとするカルマを、家晴は止めた。


「今日はめでてぇ夜だ……俺の娘が、俺の愛した女に似た器量良しになって嫁ぐ日だ。そんな日に……いや、これから先も、お前のそんな辛気くせぇ話を聞く気分じゃねえんだよ」

「そ、そりゃあそうだろうけどさ……」

「お前の働きぶりはとうに耳に入ってる……だからって、お前のやってきたことを水に流すつもりはねぇが……」


 そう言って、家晴は食台の上に乗ったままの酒瓶から手近なさかずきに酒を注ぐと、押しつけるようにしてカルマの前にぐいと差し出した。


「飲め……今はそれで帳消しにしてやる……」

「おっさん……」


 やがて……あっけに取られていたカルマは家晴の差し出した酒を受け取ると、一息に飲み干した。

 家晴はもはやそれ以上なにも言わずに鼻を鳴らし、ほんの僅かに口角を上げた。


「今さら償いなんざいらねぇんだよ……ここにいる奴ら全員で、今日みてぇな日がこの先も続くようにする……それだけで十分だ」

「父上……」

「…………」


 日陰者の将軍、徳川家晴。

 

 自ら闇に紛れ、ようやく見いだした陽光すら闇に奪われた一人の男は、それでも残された暖かさを胸に、新九郎という光を立派に守り、育て抜いた。


 今、その目に映るのは奪われた〝もう一つの光〟を取り戻すことのみ。


 そのあまりにも大きな父の姿に、今日その後を追って歩き始めた奏汰と新九郎の若夫婦もまた、改めて互いのぬくもりと繋がりに想いを馳せた。


 もう失いはしない。

 もう決して、奪わせはしない。


 ただ取り戻すために。

 この先も、この日々を続けるために。


 闇が深まる冬の夜もやがて明ける。


 この地に集った全ての命にとっての決戦の刻は、ついにその開戦を迎えようとしていた――。


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