泡沫の終わり


「どこにいくの……?」

「都に行く。都には人も物も集まる……少なくともここよりは、生きるに易しかろう」


 時は文政ぶんせいから数えて千年の昔。

 とある荒れ果てた辺境の地から、一人の男と一人の少年が都を目指して旅立った。


「おじさんは……?」

時臣ときおみ……龍石時臣りゅうごくときおみだ」

「おじさんは、ときおみ……でも、ぼくは……? ぼくは、だれ……?」

「お前は……」


 それは、気が遠くなるほどの過去の光景。

 巨躯の男――時臣は、少年の問いに困ったように押し黙る。


「わからん……わからんが、〝考えておく〟。すまんな……俺はお前のことをなにも知らんのだ」

「そう……」


 始まりの勇者と呼ばれ、数多の神々から恐れられた〝最強の男〟は、神と勇者を食い破り現れた〝未曾有の災厄〟と対峙し、片目を失っていた。


 しかし時臣の決死によって災厄は世に解き放たれる前に封じられ、彼が今こうして連れる、まだ三つか四つかというほどに幼いわらべの姿となり、落ち着きを取り戻していた。


「あの闇を封じたのは〝俺の力ではない〟……あれは〝全てお前の意思〟だ。お前の意思と記憶と理性とが、あの闇を御せるか否かの鍵だった……」

「……?」

「本来のお前は、あのような〝殺戮を望む子ではなかった〟。お前の中に息づく良心が、俺に〝付け入る隙〟を与えた……」


 旅の最中。

 深く暗い森の奥。


 落ち葉と枯れ草とを集めた寝所に少年を寝かせ、時臣はたき火の前で独りごちる。


「お前の母は、大した女であったのであろうな……あのような粗末な家に住みながら、芸妓げいぎとしての装具と身なりは実に見事に整えられていた。女手一つで、懸命に我が子を育てながら……それをあの神は、よくぞあのような仕打ちが出来たものだ……」


 時臣はたき火の炎の向こう側に、〝少年の母の生き様〟を見ていた。

 

 あの凄惨な殺戮の場において、時臣が得ることの出来た知見はあまりにも限られる。

 だがそんな中にあって、時臣は少年の母が極貧の日々を送る芸妓の身であったことや、芸妓としての過酷な日々を懸命に生き抜いていたことを感じ取っていた。


 そしてなにより……またたく間に神と勇者を食い殺し、憤怒と憎悪に飲まれ、数多の異世界を滅ぼしかねない災厄と化した少年が持っていた〝確かな良心〟に。

 時臣は……この〝哀れな母と子〟の生き様を、ありありと想起することが出来たのだ。


「だが、このままではその良心も長くは保つまい……今は断ち切れても、あの巨大な闇はすぐに〝お前の元に戻ってくる〟。たとえどのような経緯があろうとも、あの闇がお前から生まれたことは変えようのない事実だからだ」

「やみ……」


 ぱちぱちと音を立てるたき火の明かりに照らされながら、少年は闇や憎悪など欠片も感じられぬ〝無垢な瞳〟で時臣をじっと見ていた。


 だが時臣は知っている。

 

 この純真こそが、全てを滅ぼす〝無窮むきゅうの闇〟を生んだことを。

 この純真を闇に落とした根源こそ、神の高慢であったことを。


「再び闇が溢れれば、今度こそ俺に抑える術はない……そうなれば、俺が今まで訪れた全ての異世界もまとめて消えるだろう。俺に出来ることがあるとすれば……お前を連れて〝あの闇から逃げ回る〟ことくらいか」


 すでに、時臣は自らの力が〝少年の闇に及ばぬ〟ことを悟っていた。


 強者との戦いを望み、神にすら平然と反旗を翻してきた時臣。

 だがだからといって、何も知らずに平穏な日々を送る多くの力なき人々が、無力のままに傷ついて良いなどととは毛ほども思っていない。


 時臣が刃を向けるのは、彼の倫理信条に反する者のみ。

 しかし彼はその範囲が余りにも広く強大だったため、全ての神から恐れられる結果を招いていた。そして、それ故に――。


「お前の魂に追いすがる闇を、お前という〝一個の人格から遠ざける〟ことで時を稼ぐ。今は、それしかあるまい――」


 ――――――

 ――――

 ――


「ひ、ひいいいいいいいいいいっ!? 親王しんおう様が、親王様がご乱心めされたぞぉおおおお!!」

「む、無条叔父むじょうおじ……! この有り様は……一体どうされたというのです!?」


 時は文政。

 京は二条。

 

 江戸にて奏汰かなた新九郎しんくろうの祝言が行われた夜から僅かに後。


 そこは、みやびと華やかさを世に保つ皇族たちの住まう御所。

 しかし今、美しき千年の都は突如として広がった大火に包まれていた。


『む、じょう……? むじょう、とは……だれ、ぞ?』

「ひ、ひええええええええええ!?」


 燃えさかる炎の中心。

 乱れた公家装束から白い肌も露わにした若王子――無条親王むじょうしんのうが、煌々こうこうと輝く業火を背に、同胞であるはずの公家たちにその闇を伸ばす。


 伸ばされた闇は次々と公家たちの肉を飲み、喰らい。

 無条の身から伸びる影に、哀れな断末魔を刻んでいく。


『われは……? われは、なんぞ……? われ、は……〝ぼく〟……は……?』

「限界か……」


 それは正に地獄絵図の様相。


 しかしそんな中、自らの身から溢れる闇によって災厄をもたらす無条の姿を、炎の中からじっと見つめる巨躯の影が一つ。


『かみ……? ゆう、しゃ……? ああ……あああああっ!? おっかあ……ぼくの……かあ様……!! ああああああああああああああああ――!!』

「許せ……もはや、刻は戻らぬ」


 炎の渦と闇が溶け合い、破滅の暴風となって千年の都を一瞬にして飲みこむ。

 そしてそれと同時。それまで何も映していなかった無条の瞳に確かな〝光〟が灯る。


 その光は、あまりにも無垢で純粋な光。

 かつて、千年の昔に時臣が見た、幼いわらべがその瞳に宿していた光だった――。


 ――――――

 ――――

 ――

 ――


 しゃらん――。

 しゃらん――。


 ――

 ――

  

 しゃらん……――。


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