征く者と残る者
「――やはり私の予想どおりだったね」
千年の都、京の壊滅。
その急報は日の本で最も足に長けた隠密によってではなく、江戸に住まう高位神――クロム・デイズ・ワンシックスによって、すぐさま幕府にもたらされた。
「詳細は事前に打ち合わせたとおりだよ。
深夜。無数の
兵士たちの列には真新しい甲冑を与えられた勇者屋の剣士たちも加わっており、皆一様に緊張した面持ちで決戦の刻を迎えていた。
「頼んだよ、奏汰。君は神であるこの〝私の策を下げさせた〟んだ。私の前で大見得を切った君の狙い……絶対に成功させて戻ってくるんだよ!」
「わかってる。みんなが安心して眠れるように……今度こそ、〝俺たちの最後の戦い〟にしてくる。そっちは任せたぞ……クロム」
尋常ならざる雰囲気に覆われた江戸城。
直上に広がる夜の闇は不気味なざわめきを波のように繰り返し、闇に飲まれた月は大きく赤く歪む。
無条から溢れた闇によって浸食されつつある現世にあって、いまだわらべの姿を取るクロムは最も信頼する友である奏汰と、今や奏汰の妻として彼とともにある新九郎に最後の檄をかけていた。
「奏汰さんのことは、〝勇者屋の若女将にして江戸一番の天才美少女妻剣士〟であるこの僕にお任せ下さいっ! 大好きな奏汰さんと一緒なら、たとえ火の中水の中……暗い闇の中にだってお供しちゃいますっ! ふんすっ!!」
「やれやれ……私ですら、今のこの状況には〝恐怖を禁じ得ない〟というのに。奏汰が君を愛したこと……ようやく私にも少しだけ理解できた気がするよ」
「ええええええっ!? やっとわかってくれたんですかっ!? いくらなんでも遅すぎませんっ!?」
「新九郎は俺のこともクロムのことも……みんなよりずっとよく見て、誰よりも相手のことを考えてる。最後まで一緒に行こう、新九郎!」
「がってんですっ! この
濃厚な瘴気が満ちる夜空の下。
奏汰は並び立つ新九郎の肩をそっと抱き寄せた。
「けど、クロムはその後どうするんだ? ここでのことが終われば、ルナさんとも……」
「はぁああああっ!? ど、どうしてそこでルナの名前がでてくるんだいっ!? る、るるる、ルナがどうなんて、私にはこれっぽっちも関係ないよっ! これが終われば、今度こそ子供のふりもしなくていいし、一年以上留守にしてた私の世界にだってやっと帰れる……せいせいするよっ!!」
「でもでもっ! そうしたらもう、クロムさんは〝
「う……っ」
だがしかし。
クロムは返す言葉で奏汰と新九郎にこの後のことを問われ、俯いた。
「まったく、君たちお節介夫婦は……こんな大事なときに、本当に余計なことを思い出させてくれるものだよ……」
「クロム……お前……」
「仕方ないじゃないか……私は神で、ルナは人なんだ。大切な友達の君とだって、神である私はずっと一緒にはいられない……いくら考えたって、どうしようもないことなんだよ……」
――――――
――――
――
「ツムギ……
一方その頃。
すでに城下で最愛の
「結局、一番役立たずだった俺が最後まで生き残っちまった……みんな、俺なんかよりずっとすげー力があって、なんでもできそうな奴らばっかりだったってのに……」
カルマがこの地に落ちてきて百年。
その間、彼は数十人を超える勇者を仲間として迎え、闇に飲まれる姿をその目で見届けてきた。
なぜカルマだけが百年も生き延びられたのか?
それは彼の用心深い性格やしぶとさ、妹であるツムキの存在も要因の一つだったが、最も大きな理由は、彼の力が他の勇者たちほど〝強大ではなかった〟ことが大きい。
カルマは妹を救うためにその力の大半を使い、現世で行使できる力は極わずかだった。
それゆえに、
「けどよ……! かなっちはこんな俺の力が〝最後の鍵〟だって言ってくれたんだ。だったら、俺が今までだらだら生き残ってきたのにも、意味があったってことじゃんねぇ……!」
そう……今やカルマは、
かつてのカルマは、自分とは大きく異なる心と力を持つエルミールを庇い、彼に自分とは違う道を託そうとした。
しかしどうだろう?
ついに終局を迎えようとするこの時。
この地に囚われ、時臣の言葉を信じ、同胞の勇者たちを救うために命をかけて戦ってきた数多の勇者たちの願いを託された者……それは今や、他ならぬカルマ自身だったのだ。
「だったらやるっきゃねーっしょ……! もう〝俺の次〟はねぇ……おっさんから始まった〝俺たちの戦い〟……俺がきっちりケリつけてやっからよー!!」
――――――
――――
――
「
「
身も凍る冬風が異界に浸食される夜の闇を渡る。
全ての準備と覚悟を終え、あとはマヨイガへの突入をまつばかりとなった緋華に、軽装の甲冑に身を包んだ春日が不意に声をかけた。
「昨日、私が
「……っ」
唐突に放たれた春日の言葉に、緋華は思わず身を固くする。
そしてその反応だけで、春日にとっては答えのようなものだった。
「やっぱりね……緋華って剣の腕も凄いし、歩いてる間も足音一つ立てないしでただ者じゃないって思ってたけど……〝そういうところ〟はちゃんと私たちと同じだもんね」
「ごめんなさい……盗み聞きなんて、酷いことをした」
「ううん。いいの……私も、きっとああなるだろうなってわかってたから」
申し訳ないと正直に謝罪する緋華とは対照的に、春日の表情はどこか晴れやかだ。
それどころか、春日は自分の行いにしょげかえる緋華を優しげに見つめ、そっと彼女の白い手を自身の両手で暖めるように包んだ。
「太助さんに〝好きな人がいる〟のは、私にもわかってた……けどだからって、なにも言わずに引き下がりたくなかったの。緋華ならわかるでしょ?」
「わかる……特に太助は、そういうところがだめだめのへたれ」
「あははっ! だから私も、無理だってわかってても伝えておきたかったの。誰のためでもない……そうした方が、私のためになるかなって思って……」
「春日……」
改めて感じた春日の純朴な強さに、緋華もまた新九郎や奏汰に見せるものとは違う、年相応の女人としての飾らぬ表情で応じた。しかし――。
「それに……緋華と太助さんって、私から見てもお似合いだし……」
「……? なにが?」
「なにがって……太助さんが好きなのって緋華でしょ?」
「は……?」
その春日の言葉に、緋華は一瞬比喩ではなく本当に目の前が真っ白になりかけた。
隠密としての厳しい修練でも、ここまでの〝精神攻撃〟を受けたことはなかった。
「ちょ……ちょっと待って欲しい。あなたの言っている意味がわからない。あの
「そうなの? でも太助さんも、今はもうその人より緋華の方が好きなんじゃないの? 端から見てるとそうにしか見えないんだけど……」
「っ……!? あ、ありえない……だって、あいつは……っ!!」
予想だにしていなかった春日の見解に、緋華は赤面した頬を隠すこともできず、必死に言い訳の口実を探した。
しかしそんな緋華に、春日は再び笑みを向け、励ますように言ったのだ。
「どっちにしてもさ……もしかしたら、今日でみんな死んじゃうかもしれないんでしょ……? だったら緋華も……」
「あっ! 緋華さん、春日さんっ!!」
そしてその時。
まるで狙い澄ましたかのように、二人の元にエルミールがやってくる。
「間もなく始めるそうです。お二人とも準備はよろしいですか?」
「私は大丈夫。太助さんも……どうか気をつけて」
「ありがとうございます、春日さん!」
無事を祈る春日に、エルミールはどこまでも熱く純粋な声と眼差しとで応える。そして――。
「緋華さんはどうです? その……大丈夫ですか?」
「も、問題ない……」
それまでの話もあり、緋華はまっすぐに向けられたエルミールの瞳から思わず目を……どころかくるりと背まで向けて表情を隠した。
「わかりました。お二人とも、どうか無理だけはしないでくださいね。それと――」
「なに……?」
「この戦いが終わったら、緋華さんにお話ししたいことがあるんです。もし生きて戻って来れたら……その時は、聞いて頂いてもいいでしょうか?」
「!?!?」
背を向けた緋華に、エルミールのあまりにもまっすぐすぎる言葉が突き刺さる。
しかしその時、エルミールからは背けた緋華の視界に、両の拳をぐっと握りしめ、必死に何事かを伝えようとする春日の姿が映る。そして――。
「か、かまわない……でもそれは、生きてたらの話。死んでたら知らない」
「ありがとうございますっ! もちろん死ぬつもりはありません。私も緋華さんも……私の大切なもの全て。必ず守り抜いて見せますっ!!」
――――――
――――
――
神と人。勇者と剣士。
数奇な運命の果てにこの地に集った数多の命。
それぞれの想いが交錯する闇。
その闇に小さく輝くいくつもの炎。
その炎こそ……この地に集い、この地に根を張った命が放つ覚悟の炎だ。そして――。
「――どうやら、とうに覚悟は出来ているようだな」
闇が渦巻く天上から、千年に渡り闇を封じ続けてきた男の声が響く。
全ての神を超え、全ての勇者の祖となった始まりの勇者の声が響く。
現れた雷光は江戸城に灯る小さな炎めがけ、天上を覆う闇から〝一条の雷光〟となって大地へと穿たれた――。
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