闇を喰らう闇
この世の物とは思えぬ
集まった人々に奇跡が行き渡り、いまや屋敷の周囲から響くのは感謝の声と
ここは彼岸の住まいとする、巨大な屋敷の
広間の中央には巨大な祭壇が設けられ、四方には不気味なろうそくの火が灯る。
その祭壇には、かつて
「――これにて、私からの報せは以上です。捕えられた金五郎は内々に処理。
「いつもながら見事な手際ですねぇ……ご苦労様でした」
二者の内、一方は蒼白の狐面を被る法師――黒示救世教の開祖である彼岸。
そしてもう一方は、祭壇の前に座る彼岸にうやうやしく
「しかし気がかりなことが一つ……金五郎を消し去った番所前に、彼岸様が注意せよと申された、
「そりゃあ来るでしょうねぇ……貴方の話では、金五郎さんを倒したのも彼ということですし」
「申し訳ございませぬ……此度の一件による始末は、すべて私の不出来が招いたこと。いかなる処罰も受ける覚悟でございます……」
それは、あまりにも異様な光景だった。
いかに勢いに乗る
その平民相手に、曲がりなりにも幕府の上級役人である
「ふふ……そう心配なさらずとも、彼の件は貴方のせいではないでしょう。どちらにせよ、いざ計画が決行されれば彼との衝突は避けられないでしょうしねぇ」
「
「ああ……それは〝もういい〟です」
「は……?」
危険を冒してまで金五郎を差し向け、残るは月海院のみとなっていた計画の打ち切りの指示に、主膳は思わずその
「聞こえませんでしたか? 月海院とそこにいる医者には手出し無用です。だいたい、神器の破壊は本来の計画が難航したときのための保険でしたし」
「し、しかし……! 超勇者なる者が我らの動向を怪しんでいるのであれば、〝結界の破壊手段〟は一つでも多く確保するべきでは……」
彼岸の指示を受けた主膳は、それでもなお食い下がろうと試みる。彼のその鋭く整った横顔には、以前に金五郎の前で見せた
「……うるさいですねぇ。もしやとは思いますが、私の指示に逆らうおつもりで?」
「っ……!? め、
「ならほっとけばいいんですよ……それに、〝腕のたしかなお医者様〟は、一人でも多いに越したことはありません。私も貴方も、いつ大怪我をするかわかりませんしねぇ?」
「はは……っ! 彼岸様の仰せの通りに……!」
その様は、まさに蛇に睨まれたかえる。
夏の暑さによるものではない汗で全身をびっしょりと濡らし、主膳は再び目の前の法師に深々と頭を下げた。
「どちらにしろ、私どもは
「我らの大願成就のため……彼岸様のお言葉を守り、従う所存でございまする!!」
すでに両者の上下は一目瞭然。
その名を聞けば誰もが平伏する天下の作事奉行、秋津洲主膳は、すでにこの法師に従う忠実なしもべと化しているのだ。
「では、予定どおり計画は〝
「承知致しました」
「にゃー……」
だがその時。
互いの用件があらかた終わり、
「それは……子猫でございますか?」
「ああ、すみません。この子は前足を怪我しておりまして……可哀想だったので、こうして私が面倒をみてあげているのですよ」
「みゃー……」
再び顔を上げた主膳の目に、祭壇横にある編みかごの中に寝かされた子猫の姿がうつる。
彼岸の言葉どおりその猫は前足を怪我しており、白く清潔な
「しかしお言葉ですが……その程度の傷であれば、彼岸様のお力で限りなく癒やせたのでは?」
「……さて、どうでしょうね。心の闇などとというのは、たとえ私であっても正確には測れぬもの……それにたまには、真っ当な命のあり様に目を細めるのも良いものです。それを忘れれば、私もあの馬鹿どもと同じになってしまいますからね……」
主膳の問いに曖昧に答えると、彼岸はその狐面の奥にある瞳にたしかな優しさの光を灯し、穏やかに横になる子猫のことをじっと見つめたのであった――。
――――――
――――
――
「ふんふんふーんっ。お
「今日はずいぶん機嫌が良いな。いいことでもあったの?」
明けて翌日。
相変わらず今にも崩れそうな
上機嫌で謎すぎる歌を歌う新九郎に、水くみから戻った
「そりゃそうですよー! ついに待ちに待った六月……
「お祭りかー! それってどこでやってるの?」
「今の季節ならどこでもやってますよ! 水無月の間は、江戸中で毎日毎晩お祭りがあるんです! そこの
「おもいっきり垂れてるな……」
浮かれ回る新九郎に奏汰は困った笑みを浮かべると、彼女の口元から垂れるよだれを手ぬぐいでふきふきと拭う。
二人が共に暮らしてすでに二週間ほど。
奏汰の新九郎への対応も、大分手慣れたものである。
「す、すみません……っ。はしたないところをお見せしてしまいました……」
「いいって。けどそんなにたくさんお祭りがあるなら、一緒に行ってみないか? 俺も一回見てみたいな」
「本当ですかっ!? 奏汰さんと二人でお祭りなんて……きっとすっごく楽しいですよーっ!」
奏汰の誘いに、新九郎はまるで満開の
そしてその笑みを見た奏汰もまた、自分の胸の中に暖かな気持ちが広がるのを感じていた。
「……けどその前に、まずはあの教団の確認をしないとな」
「ですねっ。いつもはいまいち締まらない僕ですけど、今日はびしっと決めて見せますよっ!」
そうなれば、二人は商売立ち上げの準備で忙しくなるだろう。
そうなるより前に、奏汰と新九郎は念のため黒示救世教の本拠を直接尋ねてみることにしたのだ。
「もし何かあれば合図するんだぞ。俺がすぐに助けるから」
「わかってますって! しっかりばっちり、持病の〝腰痛を治して貰いたくてたまらない人のふり〟をしてきますのでっ! ふんすっ!」
「う、うん……本当に大丈夫かな……?」
そう言って、朝の準備を終えた新九郎は鼻息も荒くその胸を張るのだった――。
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