闇を喰らう闇


 この世の物とは思えぬ彼岸ひがんの奇跡。

 集まった人々に奇跡が行き渡り、いまや屋敷の周囲から響くのは感謝の声と黒示救世教こくじきゅうせいきょうの教義を唱える大勢の声のみだ。


 ここは彼岸の住まいとする、巨大な屋敷の最奥さいおうに設けられた拝殿はいでん

 広間の中央には巨大な祭壇が設けられ、四方には不気味なろうそくの火が灯る。

 その祭壇には、かつて月海院つきみいんを襲った金五郎かねごろうが持っていたのと全く同じ姿の巨大な邪悪仏じゃあくぼとけが鎮座しており、眼下で〝話し込む二人〟を憤怒ふんぬの形相でねめつけていた。


「――これにて、私からの報せは以上です。捕えられた金五郎は内々に処理。影鬼衆えいきしゅうの解放も、すでに終えております」

「いつもながら見事な手際ですねぇ……ご苦労様でした」


 二者の内、一方は蒼白の狐面を被る法師――黒示救世教の開祖である彼岸。

 そしてもう一方は、祭壇の前に座る彼岸にうやうやしくこうべを垂れる美貌の武家――作事奉行さくじぶぎょう秋津洲主膳あきつしましゅぜんであった。


「しかし気がかりなことが一つ……金五郎を消し去った番所前に、彼岸様が注意せよと申された、つるぎとかいう異界人が現れたとのこと」

「そりゃあ来るでしょうねぇ……貴方の話では、金五郎さんを倒したのも彼ということですし」

「申し訳ございませぬ……此度の一件による始末は、すべて私の不出来が招いたこと。いかなる処罰も受ける覚悟でございます……」


 それは、あまりにも異様な光景だった。

 いかに勢いに乗る流行神はやりがみの開祖とは言え、彼岸は所詮どこの馬の骨とも知れぬ平民なのだ。

 その平民相手に、曲がりなりにも幕府の上級役人である主膳しゅぜんが頭を垂れ、まるで将軍を相手にするかのような態度で平伏する。それを異様と呼ばずなんと呼ぼうか。


「ふふ……そう心配なさらずとも、彼の件は貴方のせいではないでしょう。どちらにせよ、いざ計画が決行されれば彼との衝突は避けられないでしょうしねぇ」

深甚しんじんたるご配慮、感謝いたしまする……ですが、〝月海院の神器〟はどういたしましょうか? 金五郎が集めたる沽券こけんは、私の権限で幕府内に留めおいておりますが……」

「ああ……それは〝もういい〟です」

「は……?」


 危険を冒してまで金五郎を差し向け、残るは月海院のみとなっていた計画の打ち切りの指示に、主膳は思わずそのおもてを上げた。


「聞こえませんでしたか? 月海院とそこにいる医者には手出し無用です。だいたい、神器の破壊は本来の計画が難航したときのための保険でしたし」

「し、しかし……! 超勇者なる者が我らの動向を怪しんでいるのであれば、〝結界の破壊手段〟は一つでも多く確保するべきでは……」


 彼岸の指示を受けた主膳は、それでもなお食い下がろうと試みる。彼のその鋭く整った横顔には、以前に金五郎の前で見せた酷薄こくはくにして不遜ふそんな色は全くない。


「……うるさいですねぇ。もしやとは思いますが、私の指示に逆らうおつもりで?」

「っ……!? め、滅相めっそうもございませぬ!」

「ならほっとけばいいんですよ……それに、〝腕のたしかなお医者様〟は、一人でも多いに越したことはありません。私も貴方も、いつ大怪我をするかわかりませんしねぇ?」

「はは……っ! 彼岸様の仰せの通りに……!」


 その様は、まさに蛇に睨まれたかえる。

 夏の暑さによるものではない汗で全身をびっしょりと濡らし、主膳は再び目の前の法師に深々と頭を下げた。


「どちらにしろ、私どもは真皇しんおうを封じる結界を壊せれば良し。貴方はあの小うるさい〝寺社奉行じしゃぶぎょう〟と〝町奉行まちぶぎょう〟を黙らせ、将軍をすげ替えられれば良し。それまでは、お互い五体満足でいた方が良いでしょう。ねぇ……ご立派な作事奉行様?」

「我らの大願成就のため……彼岸様のお言葉を守り、従う所存でございまする!!」


 すでに両者の上下は一目瞭然。

 その名を聞けば誰もが平伏する天下の作事奉行、秋津洲主膳は、すでにこの法師に従う忠実なしもべと化しているのだ。 


「では、予定どおり計画は〝山王祭さんのうさい当日に決行〟しますので。他の皆様にも、そのつもりでいるようにお伝え下さい」

「承知致しました」

「にゃー……」


 だがその時。

 互いの用件があらかた終わり、いとまを申し出ようとした主膳の耳に、その場には相応しくない〝か細い猫の鳴き声〟が響いた。


「それは……子猫でございますか?」

「ああ、すみません。この子は前足を怪我しておりまして……可哀想だったので、こうして私が面倒をみてあげているのですよ」

「みゃー……」


 再び顔を上げた主膳の目に、祭壇横にある編みかごの中に寝かされた子猫の姿がうつる。

 彼岸の言葉どおりその猫は前足を怪我しており、白く清潔な麻布あさぬので丁寧に治療を施されたあとが見て取れた。


「しかしお言葉ですが……その程度の傷であれば、彼岸様のお力で限りなく癒やせたのでは?」

「……さて、どうでしょうね。心の闇などとというのは、たとえ私であっても正確には測れぬもの……それにたまには、真っ当な命のあり様に目を細めるのも良いものです。それを忘れれば、私もあの馬鹿どもと同じになってしまいますからね……」


 主膳の問いに曖昧に答えると、彼岸はその狐面の奥にある瞳にたしかな優しさの光を灯し、穏やかに横になる子猫のことをじっと見つめたのであった――。


 ――――――

 ――――

 ――


「ふんふんふーんっ。お天道様おてんとさまが見ておりますー。てんとう虫も見ておりますー。かたつむりはー……のろまな亀ーっ!!」

「今日はずいぶん機嫌が良いな。いいことでもあったの?」


 明けて翌日。

 相変わらず今にも崩れそうな新九郎しんくろういおり

 上機嫌で謎すぎる歌を歌う新九郎に、水くみから戻った奏汰かなたが声をかけた。


「そりゃそうですよー! ついに待ちに待った六月……水無月みなつきの江戸と言えば、お祭りの季節ですからっ!」

「お祭りかー! それってどこでやってるの?」

「今の季節ならどこでもやってますよ! 水無月の間は、江戸中で毎日毎晩お祭りがあるんです! そこの神田上水かんだじょうすいでも灯籠とうろう流しがありますし、他にも、花火や太鼓においしい食べ物が並ぶ屋台……はわわ、考えただけでよだれがっ!」

「おもいっきり垂れてるな……」


 浮かれ回る新九郎に奏汰は困った笑みを浮かべると、彼女の口元から垂れるよだれを手ぬぐいでふきふきと拭う。

 二人が共に暮らしてすでに二週間ほど。

 奏汰の新九郎への対応も、大分手慣れたものである。


「す、すみません……っ。はしたないところをお見せしてしまいました……」

「いいって。けどそんなにたくさんお祭りがあるなら、一緒に行ってみないか? 俺も一回見てみたいな」

「本当ですかっ!? 奏汰さんと二人でお祭りなんて……きっとすっごく楽しいですよーっ!」


 奏汰の誘いに、新九郎はまるで満開の向日葵ひまわりのような笑みを零す。

 そしてその笑みを見た奏汰もまた、自分の胸の中に暖かな気持ちが広がるのを感じていた。


「……けどその前に、まずはあの教団の確認をしないとな」

「ですねっ。いつもはいまいち締まらない僕ですけど、今日はびしっと決めて見せますよっ!」


 弥兵衛やへえ奉加帳ほうかちょう寄進きしんを集めて戻ると約束した期日は明日。

 そうなれば、二人は商売立ち上げの準備で忙しくなるだろう。

 そうなるより前に、奏汰と新九郎は念のため黒示救世教の本拠を直接尋ねてみることにしたのだ。


「もし何かあれば合図するんだぞ。俺がすぐに助けるから」

「わかってますって! しっかりばっちり、持病の〝腰痛を治して貰いたくてたまらない人のふり〟をしてきますのでっ! ふんすっ!」

「う、うん……本当に大丈夫かな……?」


 そう言って、朝の準備を終えた新九郎は鼻息も荒くその胸を張るのだった――。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る