願いの行く果て


 板橋宿いたばししゅくの高利貸し、金五郎かねごろう死す。

 月海院つきみいん前の捕り物で奏汰かなた新九郎しんくろうに敗れ、豪腕で名をとどろかせる木曽同心きそどうしんによって御用となった悪徳金貸しは、その欲と銭に塗れた生涯を薄暗い牢の奥で終えたのだ。


「同心様! 金五郎さんが亡くなったって……!」

「…………」


 神田から日本橋に続く中山道なかせんどう沿いの番所ばんしょ前。

 弥兵衛やへえらと共に急ぎ駆けつけた奏汰と新九郎は、険しい表情で武家の先頭に立つ義幸よしゆきに声をかけた。しかし――。


「……なぜお前たちまで来た?」

「えっ?」


 だがしかし。義幸からの返事はそっけないもの。

 いつになく厳しい物言いには、明確な苛立ちが滲んでいた。


「ここでお前たちにできることはなにもない。引っ捕らえられたくなければ、即刻立ち去れ」

「で、でも……っ!」

「いや……同心様の言うとおりだ。行こう、新九郎」


 義幸の厳しい言葉を受けた奏汰は、なおも食い下がろうとする新九郎を制すると、ここまで連れてきてくれた岡っ引き三人衆に頭を下げる。


「〝すまんな〟……追って手の者から報せを送る。伸助しんすけ、弥兵衛、為三郎ためさぶろう。お前たちは番所回りの人払いに加われ。怪しき者あらば、遠慮せず引っ捕らえろ」

「はっ!」

「が、合点承知でさ!」

「ほいさっ!」


 三人の岡っ引きを引き連れ、義幸は足早に奏汰と新九郎の元から去って行く。

 しかしその去り際に見せた短いやりとりに、奏汰は義幸に〝なんらかの意図〟があったことを察していた。


 この時の二人には知るよしもないが、金五郎殺害は徳川二百余年の歴史にあって〝ほぼ前例のない一大事〟であったのだ。

 金五郎は鬼と関わりを持っていたが故に、小伝馬こでんまにある牢屋敷ろうやしきには入らず、町奉行まちぶぎょう直轄の番所にある座敷牢で聞き取りを受けていた。

 文政ぶんせいの世にあって、数多の罪人が押し込められた牢屋敷であれば、囚人同士の殺人で命を落すことも珍しくない。

 しかし金五郎はそうではないのだ。

 厳重な護衛をつけられ、幕府直属の〝上級役人〟すらその聞き取りに参加していた。

 にも関わらず、鬼にまつわる重要な参考人を為す術無く殺害されたとあれば、それ即ち幕府そのものの権威を汚すことと同義であった。さらに――。


「なにもあんな風に言わなくても……奏汰さんなら、もしかしたら何かわかるかもしれないのに……」

「……多分だけど、同心様は俺たちをこの件から遠ざけたいのかもしれない」

「遠ざけるって……どうしてでしょう?」

「……とりあえずここから離れよう。同心様も、落ち着いたら連絡してくれるって言ってたしさ」


 そう言って、奏汰は新九郎を連れてその場を後にする。

 しかしその二人の後ろ姿を、警戒する武家に紛れてじっと見つめる影が複数――。


「おい……見たか?」

「ああ、間違いない……」


 果たして、義幸の危惧は的中していた。

 このような厳重な警護下にあった金五郎を害せる者――つまり人知の及ばぬ超常の力か、もしくは〝幕府内部の手の者〟か――という危惧である。


「神田の益荒男ますらおと二刀の青二才……あの方の仰っていたとおりだ」

「急ぎ作事奉行さくじぶぎょう様にご報告せねば……」


 江戸ではそうそうみかけぬ見事な体格を持つ奏汰と、誰もが振り向く端正可憐な容姿の新九郎。

 あまりにも目立つ二人の姿に、それを見た何人かの武家が、そそくさと闇の中に消えていったのであった――。


 ――――――

 ――――

 ――


「けどやっぱり許せませんよ! たとえどんな悪党でも、刑が下るまではいくらでも悔い改める機会があったはずなのにっ!」

「あの人は、鬼の力を誰かから貰ったって言ってた……もしかしたら、今回の件はそいつの仕業かもしれないな」


 番所から家への帰り道。

 神田屋で夕食を取ってから、とうに一刻二時間は過ぎている。

 あたりはとっぷりと日が暮れ、街道沿いに軒を連ねる店店も、間もなく店じまいの頃合いが近づいていた。


「僕にはわかりませんけど……金五郎さんには、そうまでしてしたいことがあったんでしょうか……? 自分を鬼に変えてまで、叶えたいなにかが……」


 奏汰の推理に、新九郎はぽつりと呟いてうつむく。

 彼女の持つ真っ当な倫理道徳りんりどうとくからすれば、たしかに金五郎の行動とその末路は考えの及ばぬものであろう。


「そうだな……あの人がどうかはわからないけど、俺だっておいしい食べ物はいくらでも食べたいし、やっぱりいつかは故郷に帰りたいとも思ってる。新九郎だって、したいことは一杯あるだろ?」


 凶報に胸を痛める新九郎を慰めようと、奏汰はつとめて明るく語った。


「そりゃあもう! 僕も江戸一番の人気者になって、行く先々でみんなからちやほやされたーいって常日頃から思ってますっ!」

「あははっ! 新九郎はもうとっくに人気者だよ」

「ええっ!? ほんとですかっ!?」


 奏汰の言葉に、新九郎は身を乗り出してその緑がかった瞳をきらきらと輝かせた。


「したいことが沢山あるのはいいことだよ。駄目なのは、そのために他の誰かを平気で傷つけることだ。そういうのって、回り回って自分に返ってくるからさ」

「ですねっ。僕ももっと人気者になれるように、地道にこつこつ頑張りますっ!」


 さすがは江戸でも一二を争うお調子者である。どうやら、早くも陰気いんきを吹き飛ばせたようであった。だが――。


『役立たずの神は殺せ。無能なる仏は殺せ。民より銭搾り取り、なにせむお上は滅ぶべし。泡世あわよを黒で塗りつぶし、その上にて新しき神迎えへむ。我らの神、いと猛々たけだけ真皇しんのう様を迎えへむ。真皇様のご加護を授かり、彼岸ひがん様を称えへむ――』


「なんだ、あれ?」

 

 二人の進行方向のちょうど正面。

 横並びとなった黒装束姿の異様な集団が、不気味な文言を唱えながら歩いてくるのが見えた。


「あれは……最近江戸で噂になってる、黒示救世教こくじきゅうせいきょうのみなさんだと思います。なんでも、みんなの悲しい気持ちや、人を憎む気持ちを対価に願いを叶えてくれるらしいですよ」


 思わず呟いた奏汰に、江戸の事情通でもある新九郎はすかさず答えてみせる。


「それって、本当に叶うのか?」

「聞いた話だと、どうもそうらしいです。お名前は忘れちゃいましたけど、開祖の方がもの凄い神通力をお持ちだそうで。どんな怪我も病も、たちどころに治してしまうそうです」


『我らの神、いと猛々し真皇様を迎えへむ。真皇様のご加護を授かりし、彼岸様を称えへむ――』


 新九郎の話を聞いた奏汰は足を止め、目の前を通り過ぎていく一団を見送る。

 黒示教こくじきょうの一団はそんな周囲の目にも構わず、先ほどの文言をただひたすらに繰り返し、己が教義のしたためられた紙を道行く人々に手渡していった。 


「でもそういえば、奏汰さんにも弥兵衛さんを治した不思議な力がありますよね。あーあ、僕にもそんな力が使えたらなぁ~……」

「不思議な力か……念のため、クロムに確認してみるか」


 砂利粒の上にひらひらと舞い落ちた紙を拾いあげると、奏汰は去って行く一団の背を射貫くように見つめた――。


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