神の真贋


「なるほど、それでその紙切れを私の元に持ち込んだと言うことか。実に賢明な判断だ」


 金五郎の事件から明けて翌日。

 商売開始に向けてのもろもろの準備を新九郎しんくろうと共に進めた奏汰かなたは、午後になって新橋しんばしにある月海院つきみいんを二人で訪れていた。


「でも、こんな紙切れ一枚でなにかわかるんですか?」

「この私を誰だと思っている? 私は数多の異世界を統括する神々の中でも最も美しく、最も有能と謳われたクロム・デイズ・ワンシックスだよ? たとえ神の全能を封じられていても、膨大な知識と感知能力は健在なのさ!」

「一番綺麗で一番有能ってところは、クロムの自称だけどな」

「そうなんですか? じゃあ僕と一緒ですねっ!」

「よ、余計なことは言わなくていいんだよっ!!」


 月海院入り口すぐの土間。

 奏汰は板張りの座敷にちょこんと腰掛けたクロムに、黒示救世教こくじきゅうせいきょうの信徒が配っていた紙を手渡した。


「奏汰さんは、黒示救世教が鬼と関係があるかもってお考えなんですよね?」

「鬼にっていうか、異世界にかな……新九郎も言ってたけど、怪我を治す力は俺も持ってるからさ」

「基本的に、勇者は〝一つの世界につき一人〟と定められている。だけど、ここはそういうルールが通じないイレギュラーな場所だ。その教祖が勇者である可能性も十分にあり得る」


 奏汰から神を受け取ったクロムは、瞳を閉じて集中に入る。

 すると彼の美しい銀色の髪がわずかにたなびき、またたくまにクロムを中心とした領域に神聖な気が満ちるのが感じられた。


「ところで、どうして一つの世界につき一人なんでしょう? いくら勇者さんが強いって言っても、大勢いた方がみんなを助けられるような気が……」

「ふん……それはね、神々が〝勇者を恐れている〟からさ」


 新九郎の疑問に、未だ集中を続けるクロムが答える。


「えっ? でも奏汰さんのお話しでは、勇者さんに力を授けたのは神様だって……」

「そうさ。そして力を授けられた勇者は、本人の資質や努力次第で〝神すら越える力〟を得ることがある……そんな勇者がもし徒党を組んで神に反旗を翻したらどうなるか……お調子者の君でもわかるだろう?」

「そ、そんな……!?」

「…………」


 そう話すクロムの口調には、明らかな〝侮蔑ぶべつ悔恨かいこん〟の色が滲んでいた。

 新九郎は知らないことであるが、クロムが神々の間でつまはじきとされ、誰とも友誼ゆうぎを結んでいなかったのは、彼がこの〝異世界勇者〟という仕組みに〝否定的な立場〟だったからなのである。


「けどそんな私も、結局は奏汰という勇者に頼らざるをえなかった……今さら他の神のことをどうこう言える立場でもない」

「クロムはよくやってたさ。だから俺も、お前と一緒に他の世界を助けるために頑張れたんだ。俺みたいに戦うことになる人を、少しでも減らせればと思ってさ」

「そんなことが……なんだか、神様も勇者さんも世知辛いんですね……」


 これまで奏汰が何度も語ってきた、強大な力を持つがゆえの重圧と、それにともなう様々なしがらみ――。

 改めてその一端を聞かされた新九郎は、なんとも言えない表情で頷いた。


「正直、始めにここに迷い込んだときは〝別の神の陰謀〟を真っ先に疑ったよ……私はともかく、奏汰の力はとうに〝神を越えている〟。そんな奏汰を、他の神が亡き者にしようとしたんじゃないかとね……」


 やがて、クロムはその力を鎮める。

 張り詰めていた神々しい気配が遠ざかる。


「でも違う……多分ここは〝そういう場所〟じゃない。むしろ逆……不気味なほどに〝神の関与が感じられない〟んだ。この紙切れからも、神の力はさっぱり〝感じない〟ね」

「なら、他に考えられる可能性は?」

「少なくとも、そのカルト教団の言う神とやらは眉唾まゆつばだ。となると、怪しいのは教祖の方だろう」

「ここに書いてある、彼岸ひがん様……っていう方ですね」


 新九郎は突き返された紙切れをのぞき込むと、そこにしたためられた開祖の名を読み上げる。


「なあクロム。こいつが勇者かどうかはわかるか?」

「わかるけど、神の力のように気配や残滓ざんしだけじゃ無理だね。もっと近くで、実際に勇者の力が行使されていないと特定は難しい」


 奏汰の提案に、クロムは腕組みで渋い顔だ。

 実際のことろ、彼に残された神としての力はこの感知能力のみと言って差し支えない。

 しかもその残された感知能力すら、この世界に満ちる謎の力によって厳しい制限を受けているのが実情だった。

 

「そうか……どうしたもんかな」

「でしたら、実際に僕たちで黒示救世教に相談しにいくのはどうでしょうか? じ、持病の脚気が……とか言ってっ!」

「お! それいいかも!」

「なるほど。あまりにも単純すぎて私の好みではないけど、この状況なら有効かもしれない」


 クロムによる判定が出た後も、三人は顔をつきあわせて互いに案を出し合う。

 しかしその時、奥座敷からにこにこと笑みを浮かべたルナが盆に湯飲みを乗せてやってきた。


「お話しに夢中になるのもいいですけど、水を飲むのも忘れないでくださいね。特に、今日のような暑い日は脱水に要注意なんですから」

「そ、そんなのわかってるよっ! だから今日は、ちゃんとルナの言うとおりに三杯も水を飲んだし……」

「まあまあ、三杯じゃ全然足りませんよ? みなさんの分もありますから、一緒に飲みましょうね」

「ありがとうございます、ルナさん」

「お邪魔してますっ」


 ルナの持ってきた湯飲みを受け取り、三人はなみなみと注がれたほうじ茶を口にした。

 ほどよく冷まされた茶は喉にやわらかく、暑さと会話で疲れた喉にじんわりと染み渡る。


「ぷはーっ! ご馳走様でした!」

「ご馳走様です。あれから、月海院やルナさんの回りで変わったことはありませんか?」

「ええ。おかげさまで以前よりも大勢の方に喜んで頂いています。これもすべて、お二人のおかげですね」

「それもそうだけど、やっぱりルナの腕がいいからだろうね。変な神通力になんて頼らないで、みんなここに来ればいいのさ!」

「あらあら、そんなに大勢の方に来られても困ってしまいます」


 三人の輪にルナが加わり、それまでの神妙な空気は和やかな談笑の場に変わる。

 相変わらず笑みを絶やさぬルナの姿に、奏汰と新九郎の二人も互いに顔を見合わせて微笑んだ。だが――。


「あの、お医者様……いますか――」


 だがその時。

 開け放たれたままになっていた月海院の軒下から、まさに蚊の鳴くようなか細い声が四人の耳に届く。


「あら? お客様でしょうか?」

「す、すみません……あの、怪我を診てもらいたくて……」


 月海院入り口へと目を向けた先。

 そこには地味な小袖こそでに身を包み、俯き気味に話す一人の少女の姿があったのだ。


「診察をご希望ですね。どこを怪我されたのでしょう?」

「あ……いえ、わたしは平気です。怪我をしたのは、この子です……」

「え……?」


 少女は俯いたままにそう言うと、駆け寄ってきたルナに前足を怪我した子猫をそっと差し出して見せたのだった――。


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