商いの種


「さあさ、どんどん食べておくれよっ!」

「こんな暑い日には蒲焼かばやきが一番だ。特につるぎ新坊しんぼうは鬼とやりあった後ってんだから、しっかり精をつけてもらわねぇとな」


 時は夕暮れ。

 仕事を終えた大勢の客で賑わう神田どぜう屋の奥座敷。

 三本の串で差し抜かれた香ばしい鰻の蒲焼きを前に、舌つづみを打つ奏汰かなたたちの姿があった。


「うっまあああああいっ! 俺が食べてた蒲焼きよりも、むちゃくちゃ歯ごたえがある! それにさっぱりしてて、全然脂っこくないし!」

「うむ。神田屋といえば天ぷらとばかり思っていたが、なかなかどうして。この蒲焼きも見事な腕ではないか」


 以前天ぷらを口にしたときと同様、奏汰はその蒲焼きのあまりのうまさに喜びの声を上げた。

 そんな奏汰の隣では、粋でいなせな小銀杏髷こいちょうまげに、高価な仕立ての着流しをびしりと着こなす壮年の男――豪商と岡っ引きの二足のわらじをこなす、岡っ引き三人衆の筆頭格、市島伸助いちじましんすけが実に満足そうな笑みをこぼしていた。

 

「天ぷらだけじゃ、暑い日は胃もたれしちまうでしょう? なんで、隣町の蒲焼き屋台のじいさまに教えて貰ったんでさ」

「本当に十次郎とうじろうさんは勉強熱心ですよね。しかもこうして、すぐに覚えて自分でも作れるようになっちゃうんですからっ!」

「けどよう、どぜう屋なのにうなぎはおかしくねぇか? どじょうの蒲焼きも食ってみてぇなぁ」


 奏汰と伸助の席から卓を挟んだ正面には、盛夏となってやや薄着姿となった新九郎と、元力士の為三郎ためさぶろうが座る。

 新九郎の着流しはそれまでよりも首回りが大きく開けており、さらり流れる黒髪とそこに覗く白くなめらかな首元は、同性異性を問わずどきりとさせる健康的な美しさを醸し出してる。

 一方の奏汰と言えば、まだ着物を買う余裕がないためか、上着を脱いだだけのシャツ姿となっていた。


「それがなかなか難しんでさ。天ぷらと同じ下準備じゃ、どうしても臭みがでちまうんで」

加賀かがでどじょうの蒲焼きを食べたって人の話を聞いたんで、うちでも出せないか主人と試してるとこなんですよ」

「へぇ~~! 蒲焼きってどじょうでも作れるんですね。僕も一度でいいから食べてみたいなぁ~!」

「さすがの俺も加賀まで聞きには行けねぇからなぁ。ま、気長に待っててくれよ」


 そう言って笑みを見せる新九郎。

 頃合いを見計らい、主人に続いて座敷へと出てきた女将のおひまが麦茶の入った湯飲みを置いて回った。


「ところでつるぎよ。江戸でどのような商売をするのか、考えがまとまったらしいではないか」


 食事が一段落ついた頃。

 奏汰の隣に座った伸助がおもむろに口を開く。


「はい。弥兵衛やへえさんにも相談したんですけど……やっぱり俺は、鬼退治をしようかなって」

「鬼退治と?」

「退治っていうか、鬼が関わってそうな事件の相談を受けたり、解決したりする仕事を考えてます」


 伸助に問われた奏汰は、この一月で見聞きした鬼に関する実情を改めて説明した。


 鬼による事件はそこまで頻発するわけではないものの、月に何人かは江戸でも犠牲者が出ていること。

 鬼への対処は町奉行の管轄だが、あまりにも江戸が広大なために対応が後手に回っていること。

 そして時折現れる強大な鬼にはもはや町奉行では手に負えず、最終的には幕府軍任せになっていること。

 今年に入り、鬼による江戸各地への襲撃事件が〝急増している〟ことなどである。


「俺なら強い鬼の相手もできるし、みんなの力になれると思うんです」

「もちろん、僕も奏汰さんと一緒に頑張りますよっ!」

「なるほどな。俺も先の月海院つきみいんの一件で、お主の腕はしかと見せて貰った。伊達や酔狂でそのような考えを口にしているわけではないのであろう」


 奏汰の話を聞いた伸助はあご先に手を当ててふむと頷き、何事かを思案するように目を閉じる。


つるぎが強ぇのもそうだけどよ、まさか新坊まであんなに強いなんてなぁ! 刀から火がぶわーって……俺もびっくりしちまったよ」

「なーはははっ! 為三郎さんにも、ようやく僕が真の天才美少年剣士だということがわかって貰えたみたいですねっ! どやっ!」

「だがつるぎよ。鬼退治をあきないとするには、まず決めねばならぬ事がある。なにかわかるか?」


 思案を終えた伸助は、再び隣の奏汰に目を向けて尋ねる。

 しかし奏汰はその問いをすでに想定していたのか、一つ頷いて淀みなく答えた。


「〝報酬〟だと思います。鬼退治をして、俺たちがお客さんから報酬をいくら貰うか……これを決めないと」

「実は、それについては弥兵衛やへえさんからも言われてたんです。だからこうして、商いに通じる伸助さんに助言を頂こうと思いましてっ!」

「やはりそうか。他に似た仕事があるならまだしも、鬼退治を専業とする商いなど俺も聞いたことがないからな」


 その話を聞き、伸助の顔がそれまでの岡っ引きのものからにわかに商人あきんどのものへと変わる。

 元より、幼い頃より悪党を捕える岡っ引きに憧れていた伸助は、その〝地位と市島の姓〟とを商いで得た資金を幕府に奉じることで手に入れた男だ。

 その経緯から、かつては銭で地位を買ったと陰口を叩かれたこともあった。

 しかし彼はその実直な働きぶりで、木曽きそ同心の信もあつい岡っ引き筆頭格にのし上がったやり手なのである。


「よし……たしかお主は、木曽様より奉加帳ほうかちょうを授けられておったな?」

「あれは今、弥兵衛さんに預けてますっ! 江戸中を回って、書ききれないくらいの寄進きしんを集めてくるぜ~! って仰ってましたので!」

「そうか。ならば、報酬の仔細は弥兵衛が集めた奉加帳の寄進者名簿を吟味して決めるが良かろう」

「名簿をですか?」


 不思議そうな顔で首を傾げる新九郎に、伸助は商機を得たりとばかりに得意な表情を浮かべてみせる。


「奉加帳名簿とは、それ即ちどこの誰がその商いを欲しているかの表明に他ならぬ。その者たちの顔ぶれを見れば、自ずと適切な対価の値も定まろう」

「なるほど……勉強になります」

「さっすが伸助さんっ! その小粋な髷は伊達じゃありませんねぇ!!」

「お主はまたそのように調子の良いことを……いかに剣の腕が立とうと、先のような失態をしているようでは、まだまだきゅうり侍の名は返上出来ぬのだぞ?」

「ひゃ、ひゃいっ!?」

「わっはっは! そうだぞ新坊、おめぇはやっぱり線が細すぎらぁ。ほれほれ、もっと食ってでかくなれっ!」


 四人の笑い声につられたように、赤く輝く提灯ちょうちんが軒先で揺れる。

 今も町を生きる人々の雑踏と談笑とに包まれ、奏汰と新九郎は今日も江戸の町に生きていた。しかし――。


「て、てぇへんだ! 伸助と為三郎はいるか!?」

「弥兵衛さん? 何かあったのか?」


 その時である。

 神田屋の軒先を風のように駆け抜け、小兵こひょうの弥兵衛が奏汰たちのいる座敷に飛び込んできた。


「な、何かどころじゃねぇっ!! か、金五郎かねごろうが……金貸しのやつが死んだ……牢屋ん中でぶっ殺されちまったんだよ!!」


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