勇者二人


「俺はカルマってんだ。君と同じ、異世界帰りの勇者だよん」


 江戸の夜空に輝く月。

 その月を背に現れた仮面の男。

 カルマと名乗ったその男は、奏汰かなた新九郎しんくろうを見おろしながら名乗りを上げた。


「奏汰さんと同じ……〝いせかい〟帰りの方?」

「そういうこと。俺はもっと前にここに落ちてきたんだけど、まだ元の世界に帰れなくて困ってるってワケ。それで、君の名前は?」

「……剣奏汰つるぎかなただ」


 屋根の上に立つカルマは無防備に両手を広げ、敵意がないことを二人に示す。


「奏汰ね。じゃあ〝かなっち〟でいい? 同じ迷子の勇者同士、仲良くしよーよ。ねぇ?」

「…………」


 だがしかし。友好的な態度を示すカルマに対し、奏汰は明らかに警戒していた。

 奏汰は無言で新九郎の前に出ると、屋根の上に立つカルマを射貫くように見つめる。


「なんで俺を探してたんだ?」

「もとの世界に帰れなくて困ってるんっしょ? だったら俺と一緒に来なよ。俺と俺の仲間とで、かなっちを元の世界に帰してあげるからさ!」


 カルマは言うと、仮面に覆われていない口元に笑みを浮かべ、音も立てずに路地へと降り立つ。


「奏汰さんがお家に……? やった……やったじゃないですか! 良かったですね奏汰さんっ! お家に帰れるんですよっ!?」


 奏汰が故郷に帰れる。その話を受けて真っ先に喜んだのは、奏汰ではなく新九郎だった。

 すでに奏汰の辛い心情を誰よりも察していた新九郎にとって、カルマの言葉は純粋に喜ばしいものだったのだ。


「そうそう、そーいうこと……っていうか、そっちの君めっちゃかわいくない!? ねぇねぇ、どこに住んでんの? 今度遊びにいってもいい?」

「ひえっ!?」


 喜びも露わに可憐な笑みを見せる新九郎に、カルマは吸い寄せられるようにずずいと歩み寄った。しかし――。


「――新九郎に近づくな」


 カルマの歩みを奏汰がさえぎる。

 鈴虫の鳴き声が響く路地に、皐月さつき終わりの湿った風が流れた。


「あれれ、まだ警戒してんだ?」

「一つ答えてくれ。〝お前〟を信じるかはそれで決める」

「なになに?」


 それは、新九郎が初めて聞く奏汰の冷たい声だった。

 そのあまりの鋭さに、新九郎は思わずごくりと唾を飲み込む。


「……どうして〝この町を襲った〟?」

「えっ?」

「おっと……」


 奏汰のその問いに、口元に覗くカルマの笑みが消える。


「……なんでわかったん?」

「昨日の鬼と同じ力をお前からも感じる……お前が直接やったわけじゃなくても、あの鬼と無関係じゃないはずだ」

「まーじか……〝においを隠す〟のは自信あったんだけどなぁ」

「こ、この人が鬼を? けど鬼を操ってる人がいるなんて、聞いたことありませんよ!?」

「もう一度聞く……どうしてこの町を襲った? それがお前の言う、元の世界に帰るために必要なことなのか?」


 抜き身の刃のような奏汰の言葉に、カルマは肩をすくめてくるりと背を向ける。

 そして自らの肩越しに二人を振り返ると、やがて変わらぬ笑みのまま、事も無げに言い放った。


「……だったらなんだっての? かなっちも俺も、この世界に知り合いなんていないよねぇ? そこで誰が何人死のうが、別にどうだって良くなーい?」

「そんな……なに言って……?」


 カルマの笑みが深まり、その口からこの世界に住む人々をあざけるような言葉が放たれる。


「かなっちの予想通りよ。俺たちが元の世界に戻るためには、この〝しょぼい世界〟を滅茶苦茶にぶっ壊す必要があるんだわ。だから俺は鬼を使って、昨日みたいに汗水たらして頑張ってるってワケ」

「そんな話を聞いて……俺が協力すると思ったのか?」

「思ったよ? 現にこっちには、俺以外にも自分の家に帰りたいって勇者が何人かいる……かなっちはそうじゃないのん?」

「はわわ……っ」


 おどけるようなカルマの笑みに、奏汰の拳がぎりと握られた。

 奏汰にかばわれるままの新九郎は、思わず発した小さな悲鳴と共に、彼の背をきゅっと掴んだ。


「あ~? もしかしてかなっちは、ここが自分の生まれた世界かもって思ってる? なら安心してよ、実は俺の仲間にそういうのに〝詳しい子〟がいてさ」


 なおもカルマはへらりと笑い、奏汰をなだめるように手を差し出した。


「かなっちも知ってると思うけど、割と異世界ってどれも似てるんだよね。だから間違えて別の時代に帰ってきたのかも……って思う子も多くてさ」

「なら、ここは俺の生まれた世界じゃないのか?」

「〝異世界ごとに時間が変わったりはしない〟んだってさ。だからここは、かなっちの故郷に似てるだけの〝別の世界〟ってわけ。どう? これならかなっちも、安心してここをぶっ壊せる――」


 まるで戯れのように紡がれるカルマの言葉。

 しかし、それを受けた奏汰は――。


「……――ふざけるな」


 ぞわりと。


〝凍てつくようなような怒気〟と共に、音もなく奏汰の黒髪がわずかに逆立つ。


 奏汰は決して声を荒げたわけではない。

 むしろその逆。

 どこまでも深く、どこまでも冷たい。

 しかしその声を聞いた者全てが震え上がるような、地獄の業火を思わせる〝絶対的な拒絶〟だった。


「〝話は終わり〟だ……お前らが元の世界に帰ろうとするのを止めたりはしない。けど、そのためにここの人を苦しめるっていうのなら、どんな理由があろうとお前は俺の敵だ」


 奏汰の放った静寂の怒気は突風となって江戸中の戸を揺らし、優雅に響いていた虫たちの鳴き声がぴたりと止む。

 もし奏汰の背をつかんでいなければ、新九郎は腰を抜かして倒れていただろう。


「なんでなん? 元の世界に帰っちまえば、まじで関係ないやつらじゃん。そんな奴らが何人死のうが苦しもうが、どーでもいいっしょ?」

「そんなわけないだろ……俺を信じてくれた同心様だって、旦那さんと女将さんだって、新九郎だって――」


 たとえ、もう二度と会えないとしても。

 たとえ、はるか遠く離れた地に分かたれたとしても。

 奏汰の胸に失われた父と母の姿が浮かび――静かに消える。


「みんな……もうとっくに俺の大切な人なんだ。ここが俺の世界じゃなくたって、それでも俺を受け入れてくれた大切な場所なんだ。お前がそれを傷つけるって言うのなら……容赦はしない」


 その言葉と同時。カルマを射貫く奏汰の双眸そうぼうに、かすかな〝虹色の光〟が灯る。


「ふーん……かなっちってば、思いっきり〝そっち系の勇者〟ってワケか。なるほどねぇ、やっぱり俺が思った通りの――」


 並の武士もののふであれば、その眼光だけで昏倒こんとうするであろう奏汰の怒気にあてられながら、それでもカルマは笑みを浮かべる。

 そうして再びゆっくりと奏汰たち二人に背を向け、残念そうにため息を一つ。そして――。


「一番厄介な奴じゃんねぇッッ!!」

「っ!? 奏汰さん!!」


 瞬間。目にもとまらぬ一撃が奏汰と新九郎を襲った。

 一度は背を向けたカルマが、振り向きざまに〝明確な殺意〟が込められた手刀を二人目がけて抜き放ったのだ。


「大丈夫か、新九郎!」

「ひええっ! な、なんとか!」

「さすがは勇者サマ……余裕じゃん。しかもそっちの君もばっちり反応できてるし」


 しかしカルマの不意打ちは空を切る。

 対峙していた奏汰はもちろんのこと、奏汰に庇われていた新九郎もまた即座に反応し、独力で後方に飛びすさっていた。


「仲間からも言われてんのよ。もし君が俺たちの敵になるようなら、〝遠慮なく殺せ〟ってね」

「そんな……! そんなの、あまりにも勝手すぎます!!」

「そりゃそうっしょ? 君らに大事なもんがあるように、俺たちだって大事なもんがあるからこんなことしてんのよ……それを君らが邪魔するって言うなら、勝手にやるしかなくない?」


 畳四枚。

 双方飛びすさり距離を置いた段階で、余裕の笑みを浮かべたカルマがその手を月光の下にゆらりとかかげる。


「来なよ、カルニフェクス……久しぶりに暴れさせてやる!!」


 次の瞬間。カルマの呼び声に呼応して星天が砕け、まばゆく輝く光芒こうぼうが墜ちる。

 光はやがて一点に収束。かかげられたカルマの手の中で、大きく湾曲した一振りの聖剣を形作った。


「光が剣になった!?」

「下がれ新九郎! 勇者の始末は俺がつける!!」


 それと同時。新九郎を再び背後に下がらせた奏汰もまた、その手を高々と天に向けて叫ぶ。

 

「来い! リーンリーン!!」


 奏汰の叫びが江戸の夜に響く。

 次に訪れるのは一瞬の静寂。

 しかしそれは、天を割る巨大な光の柱によって打ち破られる。


 銀色に輝く閃光が奏汰目がけて降り注ぎ、それはカルマが見せた物と同じく、一瞬にして鈍色にびいろの長剣へと収束。

 奏汰はそのまま彼自らの勇気を具現化した聖剣――リーンリーンを光の渦から掴み取ると、力強く眼前の闇を切り払った。


「いいねぇ……! ご立派な勇者サマの力、同じ勇者の俺が味見してやるよ!!」

「勇者だろうと魔王だろうと、〝人の家異世界〟を壊す奴は止める。それが俺の……超勇者の役目だ!!」


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