迷いの切っ先


「返しの型、刃流はながし――始め!」


 道場に響くエルミールの一声。

 それを合図とし、互いに向き合った胴着姿の門下たちが一斉に袋竹刀ふくろしないを打ち下ろす。


 うるさいほどに鳴いていたせみの声はすでにまばらとなり、代わりに大きく開かれた道場の扉からは、涼やかさを増した風が流れ込んでくる。


「ほいさっさー!」

「ぐわー!?」


 型稽古に励む一般門下たちとは別に、道場の奥では台覧試合たいらんしあいに参加する五人が共に実戦形式の稽古を行っていた。

 今もまた、二振りの袋竹刀を鋭く突き込んだ新九郎しんくろうが、巨漢の三郎さぶろうをまたたく間に叩き伏せたところだ。


「い、痛……くねぇ!? あんなに派手に吹っ飛ばされたのに……俺が受け身をとれるように斬ってくれたってのか!?」

「お見事です徳乃とくのさん! 惚れ惚れする剣の冴えですね」

「あの三郎さんが子供扱いなんて……! 私と同じくらい体格なのに……」

「なーーーーっはっはっは! このくらい僕にかかればお茶の子さいさいですよーっ! なんと言っても……僕は江戸一番の天才美少年剣士ですから! どやーっ!」


 倒れた三郎に手を差し出し、新九郎は喜色満面のどや顔でその瞳をきらきらと輝かせる。

 だが実際新九郎の剣術は公正館こうせいかんにあっても群を抜いており、勇者の力を抑えているとはいえ、師範のエルミールにすら剣のみの立ち会いでは勝利するほどの圧倒的強さを見せつけていた。


「新九郎はマジで凄いよな。俺も練習すれば、いつかは新九郎みたいになれるのかな?」

「もちろんなれますよっ! 今だって、奏汰かなたさんは十分に剣を使えてますし!」

つるぎさんはこのまま受け技の稽古を続けましょう。受けとは即ち、対峙する相手の動きを見極めるということ。受け技の基礎を掴めれば、つるぎさんならそのまま攻め手にも応用できるはずです」


 言いながら、エルミールは奏汰が握る木刀に自らの木刀を打ち込み、わずかな手首の動きのみで刃先を奏汰の首筋へと添えて見せる。


「こうです。わかりますか?」

「なんとなく……太助たすけさんや新九郎の動きは、攻めと受けが一度にくるんだ。斬ったと思ったら突かれてるし、受けたはずなのに斬られてたりする。攻防一体っていうか……」

「さっすが奏汰さん、飲み込みが早いですっ! 攻撃は最大の防御なり! 受けながら踏み込み、攻めながら受ける! そのためには手首の返しとかねじりとか……刃先のひねりが大切です! たとえば、相手がこう打ち込んできたらこう……」


 エルミールと新九郎という日の本屈指の剣士に指南を受けたことで、奏汰の動きもたった数日で相当に見違える物となった。


 元より、奏汰が攻め技に偏った戦型を確立したのには理由がある。


 恐るべき魔術やスキル、時には全く予期せぬ力をもったマジックアイテムを駆使する巨悪に対しては、相手がそれらを行使するより前に打倒する〝先手必勝が基本〟。


 先のカルマや静流しずるとの戦いのように説得を狙っているならまだしも、異世界そのものを崩壊へと導くような敵対者に対して、奏汰は守勢に回るような戦いをしてこなかったのだ。

 

「ええっと……こんな感じか?」

「お見事っ! ではでは、次はそのままこっちのお手々をですね……」

「う、うん……だけどなんか……その……ち、近くない……?」

「近いですか? あ、駄目ですよ奏汰さんっ! そんなにお体を固くしないで、もっと柔らかく、ふにゃふにゃした感じが理想ですっ!」

「無理だけど!?」


 それは文字通り手取り足取り。


 すでに剣において非の打ち所のない新九郎は、身を寄せる彼女の体温に狼狽うろたえる奏汰にまったく気付かず、実に熱心な指導を続けた。

 先の早朝稽古と同様、普段はお調子者の新九郎もいざ剣のこととなると熱が入りすぎるところがあるらしい。


「……では、私は井戸で顔を洗ってきます。その間、奏汰さんの鍛錬は徳乃さんにお願いしますね」

「はーい! 頑張りましょうね奏汰さんっ!」

「が、頑張れるかな……」


 二人の様子を微笑ましく見つめ、エルミールは春日かすがと三郎にも目配せして道場から外に出た。

 いかに夏の盛りを過ぎたとは言え、熱気のこもる道場は蒸し風呂のように暑い。


〝勇者の務めなら、もう果たしたはずです……! 私は勇者として命をかけて戦い、異世界を救いました……それなのに、どうして愛する祖国を救うことが許されないのですか……? 私がこの世で最も守りたいと願う人を、どうしてこの力で守らせてくれないのですか……っ?〟


 道場からやや離れた倉の軒先。

 エルミールは敷地内に設けられた井戸から冷たい地下水をくみ上げ、差し出した頭に豪快にぶちまける。

 鋭い冷気に思考が澄み渡り、エルミールはふうと一息をついた。

 だが……そこで脳裏に浮かぶのは、どうしようもない己の弱さだ。


「あんなことを口走ってしまうなんて……もう迷わないと、決めたはずなのに……っ」


 奏汰にとってエルミールがそうであったように、奏汰の存在は、それまで必死に迷いを振り払ってきたエルミールの心に変化をもたらしていた。

 

 静流が残した言葉。

 奏汰の持つ超勇者の名に恥じぬ強大な力。

 そして、わずか二月という間に奏汰と新九郎の周囲に集まる人々の力。


 それらの存在が、一度は目をつむり、握り潰した〝現世も救いたい〟というエルミールの願いを再びくすぶらせていた。


「シェレン様……私はどうしたら……」

「なにしてるの?」

「っ!?」


 井戸の木枠に両手を突き、ずぶ濡れの黒髪から水滴を滴らせるままに歯を食いしばるエルミール。

 しかしそんな思い悩む彼の背に、氷柱つららの如き鋭さの声が届いた。


「貴方は……緋華ひばなさん?」

「ひどい顔。今なら簡単に殺せそう」

「…………」


 振り向いたエルミールの視界に、濡羽色ぬればいろの胴着を着た緋華が映る。

 緋華は細く白い指先で鈍色にびいろのクナイを一つ握ると、その刃先をほんの僅かに帯電させて見せた。


「……緋華さんは稽古には参加されないのですか? 私は見てのとおり、少し頭を冷やしていたところです」

「つまらない……もっと慌てて欲しい」

「〝つるぎさんの監視役〟を幕府から任されるほどの貴方です。もしその気になれば、私はとうに殺されているでしょうから」

「ふん……」


 奏汰の監視役。


 それは、新九郎の素性をエルミールに明かさぬ為に用意した緋華の仮の素性である。

 緋華の出現に驚きはしても動揺は見せぬエルミールに、緋華は心底つまらないとばかりに〝じと目〟を向けた。そして――。

 

「まあいい。少しあなたに話がある……あなたがなにを考えてるのか聞きたい」


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