命の対価


「この度はお世話になりました。本当に、どうやってお返しすればよいのか……」

「お礼なら、いっぱいお給金を頂きましたからっ! これ以上頂いたらばちが当たるってもんですよ」


 時は暮れの七つ半。

 遠くから夕暮れの納豆や魚、漬け物などを売る〝棒手振り〟のかけ声が響く江戸の黄昏時たそがれどき


 月海院つきみいん前での金五郎かねごろう一味との戦いから二日。

 金五郎が御用となった後も、奏汰かなた新九郎しんくろうは念のため月海院の用心棒を続けていた。

 しかしついに義幸よしゆきから金五郎の牢入りが決まったとの報せを受けたことで、晴れてお役御免となったのである。


「本当ならもっとお支払いしたかったのですけれど……私も用心棒様の相場には詳しくないものですから」

「元はと言えば俺たちから頼んだことですから。お金を頂けるだけでもありがたいです」


 お互いに話し合って決めた額よりも相当に多い給金の重さに、奏汰はむしろ申し訳ないような表情で何度も頭を下げる。

 一方、用心棒働きの代金が収まる小包を手渡された新九郎は、満面のほくほく顔でそれをぎゅっと胸に抱いていた。


「奏汰と徳乃とくのがこう言っているのだから、ただ働きでも良かったんじゃないかい? そもそも、二人を月海院に置いていた間の食事や経費のもろもろは、ルナが出していたんだろう?」


 ちまたの相場より多いであろう支払いに、クロムはルナに疑問の声をかける。

 しかしルナは穏やかに首を振り、そんなクロムの頭をそっと撫でた。


「そういうわけにはいきませんよ。もしもお二人に出会わず、私一人であの方たちにかたくなに抵抗していたら、今頃どうなっていたか……」

「それはそうだけどさ……」


 ルナの穏やかな眼差しに見つめられ、クロムは頬を染めてばつが悪そうに視線を逸らす。

 

「ずっと昔……私がまだここに来て間もなかった頃。私も自分の行いに疑問を持ったことがありました。皆さんへの恩返しのために始めた医師としての行いで、こんなにも沢山のお礼を頂いてしまっていいのだろうかと……」


 クロムに優しく手を添えながら、ルナは夕暮れの江戸の空の先――どこか、遙か遠くの景色を見ているかのように語った。

 

「けどそんなとき、この町で出会った〝大切な友人〟に言われたのです……私が皆さんから手渡された沢山のお礼は、〝命の対価なんだよ〟って……」

「命の、対価……? それって……」


 ルナのその言葉に、それまで奏汰の隣で笑みを見せていた新九郎の表情がにわかにその色を変えた。


「今回、お二人は私たちのために命を賭けて戦って下さいました。命とは、この世の何よりも尊く重いもの……本来であれば、たとえどのような品であろうと対価にはなりえません」


 ルナの語る命の重み。

 その言葉に思う所があったらしい新九郎とは別に、奏汰は神妙な表情で頷いた。

 戦士と医師という立場の違いはあれど、ルナの語る命の尊さは、奏汰にも共感できるものであった。


「そしてだからこそ、私はありったけの感謝を込めて……喜んでお二人に対価をお支払いします。つるぎさん、徳乃さん。この度は私たちのために……この町のために戦ってくれて、本当にありがとうございました――」


 ――――――

 ――――

 ――


「命の対価か……考えさせられるな」


 家への帰り道。

 賑やかな宿場街しゅくばがいを外れ、曲がりくねった細い路地が続く裏道を抜ける。

 そのまま砂利粒じゃりつぶのないあぜ道に出ると、町中のむしむしとした空気が晴れ、涼やかな風と神田川かんだがわのせせらぎ――そして何重にも木霊こだまする、ひぐらしの鳴き声が二人を出迎えた。

 

「ですね……僕も色々思い出しちゃいました……」

「思い出したって?」


 夕日に照らされたあぜ道。

 肩を並べる二人は、その背に影の尾を引いて歩いていく。


「僕の母上も、ルナさんと同じ事を言っていたんです。世のため人のために働くことは、命の対価を受け取ること……だから胸を張って、思いっきり喜んで受け取りなさいって……」

「新九郎のお母さんも……」


 横を向いた奏汰の目に、じっと前を向く新九郎が映る。

 夕焼けの赤を受けた彼女の横顔は息を呑むほどに美しく――そして、どうしようもないほどに寂しげだった。


「きっと、すごく優しいお母さんなんだろうな。新九郎を見てると、なんとなくそんな気がするよ」

「はい……とっても優しくて……本当に素敵な、大好きな母上でした……っ」

「え……?」


 新九郎の言葉に、奏汰はすぐさまその意味を悟る。


「ごめんなさい、奏汰さん……っ。せっかく……僕たち二人の記念すべき初仕事がうまくいって……奏汰さんも、何度も励ましてくれたのに……っ。それなのに、どうしても思い出しちゃって……っ」

「そうか……新九郎のお母さんは、もう……」


 いつしか新九郎は、その瞳から大粒の涙を零していた。 

 鼻をすすり、嗚咽を漏らし、何度も何度も肩を震わせ。

 その端正可憐なかんばせをくちゃくちゃにして、ルナから渡された給金の包みを落さぬように、必死に抱えて泣いていた。


「母上は……僕が子供の頃に、お城を襲った鬼から僕を庇って亡くなりました……なのに僕は、その時のことをなにも覚えてなくて……っ!」

 

 ひぐらしの歌が響く川沿いのあぜ道。

 しぼりだすような新九郎の言葉に奏汰は足を止めると、泣きじゃくる彼女の背にそっと手を添えた。 


「あの時も……金五郎さんが〝お母さんに申し訳ない〟って言ったから……っ。だから、それで……っ」

「そうだったんだな……」


 いかに新九郎がお調子者の青二才とはいえ、あの場でなんの備えもなく憐憫れんびんの情を表に出すことは通常ならばありえない。

 金五郎が苦し紛れに口にした母という言葉。

 結果としてその言葉が偽りだったとしても――新九郎の亡き母への強い思いが、彼女をあのような行動に駆り立てた真相だったのだ。


「本当は、僕が見て貰いたかったんです……っ。僕が奏汰さんと二人で立派に働いて……ルナさんからもこんなに感謝されて、自分の力でお金を稼いで……江戸一番の人気者になって……〝さすが私の娘だね〟って、いっぱい……褒めて欲しかったんです……っ!」 

「見てるさ……きっとお母さんは、新九郎のことを見てくれてる。新九郎がみんなのために頑張ってるところを、今も見てくれてるよ……」


 最愛の人を失ったのは奏汰も同じ。

 勇者となった奏汰が今日まで戦い抜けたのも、亡き父と母に懸命に生きる自分の姿を見て欲しかったからに他ならないのだから――。


「ごめんなさい……っ。僕……本当はこんな……うぅ……えぐ……うわぁぁあああああんっ!」

「大丈夫だよ……俺も、新九郎と同じだから……」


 かつて守れなかった命と。

 ここで守り抜いた命に。


 どこまでも赤く染まる夕焼けのあぜ道。

 共に命の尊さを知る年若い二人は、澄み渡る江戸の夕空の下で身を寄せ合う。

 そして今この時、腕の中にある互いの命のあたたかさを噛みしめたのだった――。

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