弐之段
壱
流行り神
〝
思へばいとこそあはれなれ
ならば
しゃらん。
しゃらん。
鈴が鳴る。
「ついこの前
「ほんに、不憫でならねぇよ……」
いよいよ梅雨は明け、青く広がる空にはもくもくとした入道雲がそびえ立つ。
左右を背の高い稲草に囲まれたあぜ道。
その上を、悲しみに暮れた人々の長い列がちりん、ちりんという鈴の音を立てて進んでいた。
それは葬列。
列の中程、簡素な
「あたしゃ、二人がこんな小さな頃からずっと見てきたんだよ……その二人がこんな目に遭って、飯も喉をとおらなくなっちまった……」
「
葬列の主である女人の名は〝おみや〟と言う。
つい五日ほど前、幼馴染みで相思相愛の青年――次太郎とついに結ばれ、ささやかながら、村の誰からも祝福される祝言を挙げたばかりであった。
しかし、今やおみやの心に喜びはない。
江戸からほど近い村と江戸市中とを結ぶ
「物盗りはまだ捕まってねぇってんだろ? 怖いねぇ……」
「おいらは許せねぇよ……! ついこないだまで、あんなにも幸せそうだったってのに! いくらなんでも酷すぎらぁ!」
「この世には、神も仏もありゃしねぇ……!!」
その葬列に集う誰しもが、深い悲しみと憤りを抱えていた。
どうしようもない現実の
「もし……そこを行かれます皆々様。もしや、この長い行列は弔いの道行きでございましょうか……?」
「なんだおめぇら?」
だがその時。
粛々と歩みを進めていた葬列の前に、面妖な装いの一団が姿を現わす。
その者たちは皆一様に黒い僧衣に身を包み、手にはやはり
着衣からわずかに覗く肌以外は全て黒一色という、見るからに異様な集団であった。
「なにもんだ?」
「おめぇらの言うとおり、儂らは川近くの火葬場に行く途中だ。邪魔すんじゃねぇ」
足を止めた葬列の先頭。
村長らしき初老の男が一団に尋ねる。
すると葬列を止めた一団の奥から、やはり漆黒に身を包み、〝蒼白の狐面〟で顔を覆う男とも女ともつかぬ一人の法師が進み出る。
「お忙しいところを申し訳ございません……私の名は〝
彼岸と名乗った法師は、村長の前で深々と頭を下げた。
「祈祷者だって? そんなもんが、儂らになんの用だ?」
「いえいえ……実は私には〝特別な力〟がありまして。みなさまが今まさに弔いをなさろうとしているそちらの棺……その棺から、〝私を呼ぶ声〟が聞こえたのですよ……」
「こ、声が聞こえただぁ……? なに気味の悪いこと言ってんだおめぇは……?」
突如として現れた彼岸の不気味な言葉に、それを聞いた村人たちの表情が変わる。
「〝助けてくれ。俺はまだ死んでいない。妻と共に生きていたい〟――そのような声でございます」
「や、やめろやめろやめろっ! そんな恐ろしいことがあってたまるかい! 次太郎は死んだんだ……儂らも、他の者もみんなこの目で見た……!!」
「私は彼岸……死生の境界を司る者。私には、皆様には聞こえぬ声が聞こえ、見えぬ物が見えるのです」
村長はすっかり顔を青ざめさせて後ずさる。
しかし法師はそんな村長の様子を気にもとめず一礼すると、漆黒の一団を引き連れて葬列の奥へ奥へと進んでいった。
「あ、あなた様は……?」
「なんと深い悲しみでしょう……私にはわかりますよ。貴方は心の底から旦那様を愛していたのでしょうねぇ……しかし今、最愛の伴侶を失ったその心は、海よりも深い闇に沈んでいる」
やがて法師は喪服姿のおみやの前までやってくると、黒絹で覆われた彼女の顔をじっと見つめ、満足したように頷く。
「貴方の心を満たす深い闇……その闇を我が神に捧げるのです。怒り、悲しみ、そして絶望。心の闇は悪ではありません。闇こそが、人に真の救いをもたらす力なのですから……」
「そんな……あの人が失ったこの苦しみが、救いになんてなるわけないでしょう……っ!?」
「やめろって言ってんだろうが! それ以上わけのわからねぇことを抜かすなら、儂らみんなでてめぇをこの村から追い出すぞ!!」
得体の知れない法師の言動に、ついに村人たちは亡骸の収められた棺を置いて怒りと共に一団を取り囲む。
しかしそれを見た法師は狐面の下でくつくつと笑い、その両手に〝灰の輝き〟を灯したのだ。
「私には力があると申しました……貴方の心を満たすその〝闇を対価とし〟、私の力で貴方の伴侶を現世へと呼び戻してご覧に入れましょう……!」
瞬間。法師の両手から閃光がほとばしり、あぜ道に置かれた棺桶目がけて晴天の空からまばゆいばかりの
驚いた村人たちはみな腰を抜かして倒れ込むが、法師に従う一団だけは、聞き慣れぬ不気味な呪文を唱えながらうやうやしく頭を下げた。そして――。
「ここは……? 俺……どうしてこんなところに寝かされてるんだ……?」
「え……っ!? そ、そんな……次太郎さん……? 本当に……本当にっ!?」
その光が収まった時。
光の衝撃で砕かれた棺桶から、か細いがはっきりとした青年の声がたしかに聞こえてくる。
その声を聞いたおみやは一目散に棺桶へと走ると、それまでたしかに死んでいたはずの伴侶の元に飛び込んだ。
「次太郎さん……っ! 本当に次太郎さんなの!? あぁ……本当に帰ってきてくれたのっ!?」
「お、おみや……? おめぇ、どうして……」
「うわあああああああああ――――!! 次太郎さんっ!! ああああああああ――っ!!」
「う、嘘だろ……? ほ、本当に……次太郎のやつが生き返ったのか……?」
「物盗りにやられた怪我のあとも、嘘みてぇに消えてやがる……!」
「し、信じられねぇ……信じられねぇよ……!! なんなんだこいつはぁ!?」
「ふふ……」
やがて――驚愕に腰を抜かす村人たちと、おみやと次太郎の抱擁を見届けた法師は静かに頭を下げると、なにも言わずにその場に背を向ける。
「お、お待ちください――! 私たちは、まだあなた様に何もお礼をしておりません!! どうか、私の夫を生き返らせてくれたお礼をさせてくださいませ……!!」
「いえいえ……お礼ならば、とうにいただいておりますよ。先ほどまで貴方の心を満たしていた深い悲しみ……私の力は、そういった世の
未だに事態を飲み込めぬ夫を抱きしめながら、おみやはその両目から滝のように涙を溢れさせ、去りゆく法師を呼び止める。
しかし法師は僅かに振り返ったのみ。
その代わり、法師に付き従っていた一人が一枚の紙きれをおみやへと手渡した。
「その方を現世に呼び戻したのは私ではありません。その方を想い、悲しみに暮れる貴方の心が奇跡を成したのです。〝貴方が捧げた想いが続く限り〟……きっとお二人は、末永く幸せにあれることでしょう……ふふ」
「ああ、法師様……っ! ありがとうございます……本当に、ありがとうございますっ!!」
〝
思へばいとこそあはれなれ
ならば
しゃらん。
しゃらん。
鈴が鳴る。
去りゆく法師の一団を追うようにして、どこからともなく
彼らがその場に残した一枚の紙にはただ〝
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