定まらぬ善悪
そして、その
夢かうつつかもわからぬ心持ちのまま。
「――というわけでですね、なにもされなかった……ってわけでもないのですけど……なにもされませんでしたっ!」
「そんなことないだろ!?」
夕暮れ前の昼下がり。
〝おやつの時間〟となって
「お母さんを生き返らせるなんて……そんなことを言われて、平気なわけあるか! くそ、やっぱり俺が行くんだった……っ」
新九郎から屋敷での出来事を聞いた奏汰は、彼としては珍しく声を荒げていた。
新九郎から聞いた彼岸の提案に、後悔と怒りを覚えているのだ。
「で、でもでもっ! 僕は本当になにもされてませんし……ちょっと……というかど派手に泣いちゃいましたけど、それについては彼岸さんも謝ってくれましたし……変な話なんですけど、僕にはあの人が悪い人には思えなくてっ!」
「新九郎……」
だがしかし。奏汰の激情を受けてもひるまぬ新九郎のすがるような訴えに、奏汰はそこで初めて自分が冷静さを欠いていたことを自覚する。そして――。
「ごめん……たしかに言いすぎた。新九郎が戻ってきたとき、むちゃくちゃ辛そうな顔してたから……つい……」
そこで奏汰は深呼吸を一つ。
自らの胸に手を置いて、落ち着いて言葉を句切る。
(だめだな……さっきもそうだったけど、新九郎のことになると気持ちが先走っちゃって……クロムが変なこと言うから……)
一拍、二拍……己の鼓動に耳を澄ませ、奏汰は〝新九郎に恋愛感情を抱いている〟というクロムの指摘にぐさぐさと
「そ、そんなっ! 僕の方こそ、ご心配をおかけしてすみませんでした……それに僕、さっきは奏汰さんの仰るとおりの〝凄い泣き顔〟で出てきちゃいましたし……」
「ま、まあな……正直、あれで新九郎が彼岸になにかされたんじゃないかって、かなり焦っちゃってさ……」
二人は向き合ったまま、互いにしゅんと肩を落した。
新九郎は彼岸との対面で心を乱され、奏汰は久しく感じていなかった、〝心から大切だと思う相手〟への執着によって心を乱されていた。
だが当然、奏汰がここまでの焦りに駆られた理由はそれだけではない――。
「〝目を覚まさないお母さま〟……ですか?」
「うん……その子は、半年くらい前にお母さんの怪我を彼岸に治して貰ったらしいんだ。だけど数日前にお母さんが急に倒れて、それから目を覚まさないって……」
「そういえば、彼岸さんも僕に言ってました。自分の奇跡がどれくらい続くのかは、願いを願う人の闇次第だって……」
そう――クロムが感知を行っている際に奏汰に声をかけてきた少年こそ、かつて彼岸を信者たちの前で嘘つきと
「けどおかしくないか? その子のお母さんは生き返ったわけじゃない。怪我を治して貰っただけなんだ」
「たしかに……彼岸さんの言葉どおりなら、奇跡が終わったらまたお母さんの傷が開いてしまうとか、そういうのかなって思いますよね……」
「その子の話だと、他にも同じようなことになってる人が沢山いるらしいんだ。ただ、みんなそれを知ってて彼岸に助けて貰ってるから、あんまり騒ぎになってないみたいで……」
少年の話によれば、彼の母は畑仕事の最中に足を滑らせ、骨を折ってしまったのだという。
早くに父を亡くし、働き手が母と自分だけだった少年は、周囲の村人の勧めで彼岸の奇跡にすがったのだと――。
「けどその子、一人で大丈夫なんでしょうか? ずっとお母さんが目を覚まさないなんて、可哀想すぎますよ……っ!」
「俺もそう思ったんだけど、今は誰も信じられなくなってみるたいでさ……全然こっちの話を聞いてくれなかったんだよ」
「そんな……」
少年からしてみれば、彼岸の奇跡にすがることを勧めた村人たちもまた、彼岸と同様の嘘つきなのだ。
周囲の人々から裏切られたと思い込み、最愛の母すら失おうとしている少年の気持ちを思った新九郎は、胸も張り裂けんばかりの表情で俯く。
「そんな顔するなって……ちゃんとその時に、クロムがいつでもその子の居場所がわかるようにしてくれたんだ。だから明日にでも、また様子を見に行こうと思ってる」
「本当ですかっ!? ならその時は、僕もご一緒しますっ!」
奏汰はそんな新九郎を励ましつつ、しかしいまだ浮かぬ表情で思案を続ける。
「けどやっぱり、あの教団はなにかを隠してる気がする……たしかに奇跡の時間切れとかは、ちゃんと説明してるけど……」
「隠してるって、まさか奏汰さんが言ったとおり鬼と関係が……?」
「わからない……ただ、彼岸が前に戦ったカルマと同じ勇者なら、この世界を壊して外に出るっていう目的も同じはずだ。もしそうなら、絶対に止めないと」
「彼岸さんが……でも本当にそうだとしたら、どうして僕を……」
自分の考えすぎであれば良いと――教団の元に赴く前はそう言っていた奏汰だが、結果として屋敷への訪問は、彼の疑念と警戒を強めることになった。
「それに、クロムも最後にあの屋敷で妙な気配を感じてたんだ。結局その力が弱すぎて、どんな力なのかまではわからなかったんだけど……」
「はうぅ……彼岸さんも教団も、なんだかとーっても怪しいんですけど、これっていう証拠はさっぱりないのがもやもやしちゃいますよぅ……」
「だよなぁ……これが大魔王の城とかだったら、俺もこんなに迷わないでどかーんと行くんだけど……」
互いの顔をじっと見つめ、揃いの腕組み姿勢で教団と彼岸について話し込む二人。だがしかし、その話の最中のこと――。
「――ちょいと失礼。
「あれっ? どちら様でしょう?」
その時。ひび割れた木戸をとんとんと叩く音と共に、しわがれた老人の声が二人の耳に届く。
立ち上がった新九郎が庵の木戸を引くと、そこには簡素だが見事な仕立ての小袖を着た老人が一人。あご先の
「おお、あんたが
「い、いえいえっ! それで、あなたはいったい?」
新九郎の出迎えを受けた老人はふむと頷く。
そしてさりげなく彼女の肩越しに庵の中で座る奏汰の姿をみとめると、実に満足そうな笑みを浮かべた。
「ほっほ、これは結構。どうやら目当ての
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