血だまりの追憶


『素晴らしい……さすがは〝偉大なる勇者〟。未だ真の力に目覚めていなかったとはいえ、こうも容易く〝将来の災厄候補〟をほふるとは』

『大いなる高位神……天月てんげつ様よりのありがたいお言葉、光栄の極みでございます。このディベリウム……勇者としてこれ以上の喜びはありません』

 

 しゃらん。

 しゃらん。


 鈴が鳴る。


〝遊びをせむとや生まれけむ

 たわぶれせむとや生まれけむ

 遊ぶ子供の声聞けば

 我が身さへこそゆるがるれ〟


(なんだ……? 俺は、どうなった……?)

 

 闇と混ざり合った先。

 闇をその身に抱えた先。


 そこに響くは何者かの声。

 瞳に映るは血塗れとなって倒れる一人の女。

 

 歌が聞こえる。

 

 何よりも守りたいもののため、底知れぬ闇を受け入れた無法の勇者カルマの心に――その傷ついた魂に。


 何処いずこより聞こえし、わらべ歌が。



『まったくけしからんことだ。我が神として日々この世を守るために尽力しているというのに、邪悪の芽はいくら摘もうとも無限にわき出てくる……嘆かわしいことよ』

『同感です。私も勇者として数多の邪悪を討ち果たして参りましたが、いくら倒しても倒しても、異世界全てに平和をもたらすことは叶いません。我が聖剣も、魔王どもの血で乾く暇が無いほどです』


(なんだこいつら……? 俺はなにを見てるんだ……?)


 ぼんやりと歪む闇の中。

 無条の闇をその身に奪い、一つとなって砕け散ったはずのカルマは、闇の中で不思議な光景を見ていた。


 一人は、ディベリウムと名乗る騎士然とした男。

 そしてもう一人は、明らかに人ならざる神力と眩いばかりの光輪をその背に顕現させた、天月という名の神官装束の男だった。


 だがそれよりも異様なのは、二人が談笑するその場は目も背けたくなるような〝凄惨な血だまりの中〟だったことだ。


 血だまりの中央。そこには、薄汚いボロ布をまとっただけの……しかし生前はさぞ美しかったであろう美貌と、ガラス玉のようにくすんだ浅緑せんりょくの瞳を自らの血に沈めた一人の女人が、亡骸となって倒れていた。


『ふむ……だがそういう割には、我には汝が殺戮を楽しんでいるように見えたが?』

『ふふ、天月様に隠し事はできません。仰るとおり、私はこの勇者という立場が気に入っているのですよ。貴方たち神々から力と大義を与えられ、様々な邪悪に思うまま鉄槌を下す……この充実は、他のどのような行いにも勝る至上の喜びでしょう』

『なかなかに言うではないか……この女もいずれは災厄の魔女となったのであろうが、今はまだただの〝薄汚い芸妓げいぎ〟に過ぎなかったのだぞ? そのようなたわいもない相手を討ち果たしても、そう喜べるものなのか?』

『当然でしょう? 今はそうでなくても、いずれこの世に災いをもたらす存在であれば、倒すのは早いほうがいいに決まっております』


(こいつら……!)


 二人のやりとりに事の次第を悟ったカルマが、思わず闇の中で舌打つ。

 

 この二人は神と勇者だ。


 そしてその二人によって惨たらしく殺されたこの女人は、恐らく神の力でこの先に世の厄災となることを予見された……しかし今はまだ〝無実無力のただの人間〟だったのだろう。


 カルマは知らぬことだが、勇者の中にはごく希に〝神の力を借りずとも異世界を自由自在に行き来可能となる者〟がいる。


 他ならぬ新九郎しんくろうの母、エリスセナはまさにそういった存在であり、彼女はその力をもって、当初召喚された異世界以外の二つの世界を救済に導いた英雄だった。


 恐らく、今ここに現れているディベリウムという名の勇者もその力に目覚め、己の意思で様々な異世界を回っていたのだろう。


『さて……私はそろそろ次の悪を滅ぼしに向かいます。もし再びこの世界に闇が現れれば、またいつでも呼んで下さい』

『なんとも頼もしいことだ。ならばその時はまた汝に――』


 カルマの意識の向こう。

 女人のしかばねには目もくれず、勇者ディベリウムは次の邪悪を求めてその場を後にしようとした。だが――。


『――くだらぬ』


 その時だった。

 二人が立つ闇の外れから、もう一人の影がぬうと現れる。


『勇者などと……いつまでこんなくだらん真似を続けるつもりだ?』

『な、なんだと……!? 汝は、まさか……!?』


(……っ!? どうして〝時臣ときおみのおっさん〟が出てくんだよ……っ!?)


 現れた影。それはカルマも良く知る巨躯の剣士、龍石時臣りゅうごくときおみ

 この光景がいつのものかは定かではないが、現れた時臣にカルマの知る姿と違うところがあるとすれば、〝独眼ではない〟ということのみだろう。


『はて、貴方は……?』

『お前のようなクズに名乗る名は持ち合わせていない。だが〝始まりの勇者〟と……そう伝えれば十分か?』

『っ!? は、始まりの勇者ですって……!?』

『な、何をしに来たのだ〝神を超えた剣士〟よ!? わ、我はなにもやましいことなどしていない! 我はただ……この世界を守るために!!』


 だがどうしたことか。時臣の姿と言葉を聞いたディベリウムと天月は、ともにその顔色を変えて後ずさる。

 特に神であるはずの天月の顔面は蒼白となり、今にも両手を地について平伏せんばかりの怯えようであった。


『〝俺を真似てお前たちが作った〟勇者などというくだらぬ仕組み……お前たちが本当に世の平穏を守るために使うというのなら、俺も大目に見てやろうと思ったが……』


 現れた時臣は、そこで片膝を突いて血だまりに沈む女人の顔に手を添える。

 そして次の瞬間。時臣は猛烈な怒気と嫌悪とを混ぜ合わせた阿修羅あしゅらのごとき表情でディベリウムと天月を睨み付ける。


『まさか、その女のことで怒っているのか……!? だが、その女はいずれ世を滅ぼす災厄になると……』

『もういい……もう十分だ。お前たち神の詭弁きべんは聞き飽きた……血と力で罪なき命を間引かねば維持できぬ世の平穏など……勇者などというふざけた存在ごと、この俺が全て叩き壊してくれようッ!!』

『ば、馬鹿な……っ!? なんだこのでたらめな力は……!?』


(どうなってんだ……? 俺は一体、ここで何を見せられてんだ……!?)


 時臣の身から溢れ出す怒気に、高位神である天月も、勇者であるディベリウムも一瞬にして震え上がる。

 それは、遠く離れた闇からそれを見るカルマですら、恐怖を感じるほどの怒りだった。だが――。


『おっ……かぁ……?』

『っ!?』


 声。

 その声は、つい先ほどまでカルマの耳に響き続けていた声。


『わらべだと……?』

『まさか、この女には子供がいたのか……?』

『そ、そういえばそうであった……! だが所詮は人の幼子、気にかけるほどのものでも――』


 しかし、天月がそれ以上の言葉を発することはなかった。


 時臣も、ディベリウムも。

 二人の勇者にも、何が起きたのかを把握することはできなかった。


『どうしたのおっかぁ……? どうして動かないの……? どうして、つめたいの……? おっかぁは……ずっとお病気で……ぼん、山からお薬を取ってきて……おっかぁに……元気になって貰いたくて……っ』

『て、天月様が……神が……〝喰われた〟……!?』


 気付けば、天月はその上半身を少年によってまるごと喰われていた。


 数多の神々の中でも高位とされる十二神……その一柱であった神は、突如として現れたわらべによって、その存在ごとむさぼり喰われてしまったのだ。


『おっかぁが……死んだ……なんで……? どうして……?』


 むしゃむしゃ。

 ばりぼり。


 その少年がそこに現れたとき。

 その時はまだ、間違いなく少年は〝ただの子供だった〟。


 しかしそれは変わった。

 神と勇者によって突然母を殺され、変わってしまったのだ。


『ちがう……殺されたんだ……おっかぁは殺された……。うん……うん……こいつを食べたら、だんだんわかってきた……ぼんのおっかぁを……殺したのは――』


 神の力をその小さな口で噛み砕きながらも、わらべの発する言葉は世界全てから響いた。そして――。


『殺したのは……オマエダ、ユウシャ――!!』

『ヒィッ!?』 

 

 闇に輝くは、神を喰い殺した幼いわらべの赤い瞳。


 偉大なる勇者ディベリウムが最後に見たのは、そのわらべの大きく開いたあぎと。そしてその先に広がる、終わりなき闇だった――。


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