泡沫の現


太助たすけさんっ!!」

つるぎっ! 徳乃とくの華姉はなねえも無事か!」


 日が暮れ、静まりかえった公正館こうせいかんの道場。

 鬼による騒乱を鎮め、無事に現れたエルミールの姿に、道場の中に残っていた公正館の〝全ての門下たち〟は一斉に沸き立ち、笑みを浮かべて奏汰かなたたちを出迎えた。

 

「ただいまもどりましたっ! みなさん……ずっと待ってて下さったんですね……」

「この馬鹿野郎……!! 俺たちがどれだけ心配したと思って……!!」

「良かった……!! 太助さんが無事で……!!」

「ありがとうございます……剣さんや徳乃さん、それに……緋華ひばなさんのお陰で、こうして無事に戻ってくることができました」


 恐るべき鬼の襲撃から帰還したエルミールを囲み、涙すら流して喜びを分かち合う公正館の面々。


 結果から見れば、台覧試合たいらんしあいは公正館の優勝で終わったも同然。

 だが誰一人として、もはや試合について口にする者はいない。


 彼らが心から慕い、信じる小さな師範……エルミールが生きて再び戻ってきてくれたことこそが、彼らにとっての一番の大事だった――。



 ――結局、現世に逃れた奏汰たちを無条むじょうは〝追ってこなかった〟。


 それが果たして現世への道を破壊されたからなのか、はたまた別の意図によるものかはわからない。

 だがともかくとして、奏汰たちはひとまず底知れぬ無条の闇から脱することが出来たのだ。


「いやぁー! 今回もほんっとうに大手柄だったねぇ! 鬼を倒した上に勇者二人を引き下がらせ……ついでに得体の知れないなにかとまで戦って調伏ちょうぶくせしめるなんて!!」


 闇から抜け出した奏汰たちを待っていたのは、神官装束に丸めがねをかけた優男――寺社奉行じしゃぶぎょう上代夕弦かみしろゆうげんだった。


 夕弦はぺしりと手に持った扇子で自分の頭を叩き、台覧試合で巻き起こった様々な災厄を見事押しとどめた奏汰たちに頭を下げた。


「頭を上げて下さい、寺社奉行様。それより、寺社奉行様にお伝えしなければならないことが……!!」

「……それってもしかして~、皇族の無条親王むじょうしんのうが鬼や異世界人と繋がってますよ~ってことでしょうか?」

「……知ってたのか?」


 無条親王の底知れぬ正体。

 その事実を伝えようとしたエルミールに、夕弦は広げた扇子で口元を隠しながら笑みを浮かべた。


「もちろん知っていますよ。私だけでなく大老たいろう鍋島なべしま様も、町奉行まちぶぎょう長谷部はせべ様も……当然、上様もね」

「そんな!? ならどうしてあの人を野放しにしてるんですっ!?」

「それは心外! 私たちはあの男を野放しになんてしてませんよ? だから上様は、ちゃーんと姫様を彼の手と目が届かない場所に〝逃がした〟んじゃないですか。ねぇ?」

「逃がした……? じゃあ父上は、最初からそのために僕を城下に……!?」


 扇子の向こうから鋭く覗く夕弦の瞳。

 明かされた父の想いに、新九郎しんくろうははっとなって押し黙った。


「そういうことです。そして残念ながら……私たち幕府の力では、あの男に正面から太刀打ちすることなど到底無理筋。今のこの均衡も、〝上様と母君の二人の力があって初めて成り立った〟もの……それまでの歴代将軍方は、常にあの男の言いなり……飼い犬のような有り様でしたから。あ……今の話はどうかここだけでお願いしますよっ!?」

「そんな話、御庭番おにわばんのわたしでも知らなかった……どうしてそこまで秘密にするの?」

「そりゃもちろん、あの男が何をしてくるかさーっぱりわからないからですよ。あの男は、例えるなら〝天災〟のようなもの……その名を口に出すだけで現れたかと思えば、何十年も人前に現れないときもある……そういう手合いなのです」


 緋華の問いに、夕弦は声を潜めて言葉を続けた。


 無条親王の正体は幕府でも掴めていないこと。

 記録にある限りでは、無条親王は数百年に渡ってその身と名を変えて上方かみかたから日の本の全てを意のままにしてきたこと。


 しかしその目的はとらえどころがなく、異世界の勇者や鬼と深く繋がっていながら、現世を破壊しようなどという意思は〝さっぱり見えない〟ということを。


「まさに、触らぬ神にたたりなし……少なくとも日の本における被害という意味では、あの男による実害はぜーんぜん大したことないのです。鬼や勇者勢の方々にやられた案件の方が、よっぽど酷いってわけでして。ねぇ、山上やまのうえさん?」

「…………」


 夕弦のその言葉に、エルミールはあの闇の中で見た祖国の最後を想起した。

 夕弦の話が確かならば、では祖国と最愛の人が手に入れていた幸福を飲み込んだ、あの闇はなんだったというのか。


 緋華の叱咤激励しったげきれいで立ち直ったとは言え、エルミールの内面には今も十年ぶりに味わった故郷のぬくもりがはっきりと残っている。そして、それが跡形もなく破壊される喪失感も――。



〝今お主が目にしている光景は、決して夢幻ゆめまぼろしなどでは無い。まごうことなく、すべてがここで起きたうつつの出来事よ〟


〝我はただお主を故郷に送り帰し、お主が無事に戻れたかどうかを見に来ただけぞ。まさかその道すがら、このような恐ろしい天災に出くわすとは……〟



 もし、あの光景が無条の言葉通り現実であったのなら。

 そう考えるだけで、エルミールの心は張り裂けんばかりに痛み、叩きのめされた。だが――。


「もう諦めない……そうでしょう?」

「緋華さん……」


 俯くエルミールの手を、緋華は目も向けぬままに強く握った。


「わたしはあなたに力を貸して欲しいと言った……そして、あなたはそうしてくれた。だから、ここからはわたしの番。わたしも一緒に、あれがなんなのか確かめてあげる。どうするかはそこから」

「……はいっ!!」


 ――――――

 ――――

 ――


「ほむ……? ここはどこぞ……?」

「起きたか」


 同時刻。

 江戸城内に用意された、皇族一行をもてなすための寝所。

 

 明るく輝く月光の差し込む畳間たたみまで、無条親王は大きなあくびと共に目を覚ました。


「よく寝ていたな」

「ふぁ~~……なんぞなんぞ、我はまた寝落ちておったのか。例の試合があまりにもつまらんと、眠気の誘惑に勝てんかったわ」

「…………」


 目覚めた無条の前には、いわおのような時臣ときおみの背。

 時臣は無条に目を向けぬまま、無言で愛刀の手入れを続けた。


「しかしの、寝ている間に見た夢は実に愉快なものであったぞ。見上げるほどに大きな浄瑠璃人形じょうるりにんぎょうや、見目麗しい天女が我のために見事な舞を披露しておった……我の横には乙女椿おとめつばき吉乃姫よしのひめもおってのう……」

「そうか……」

「ふふ……久方ぶりに、心からまた見たいと思える夢であったわ。のう時臣よ、お主にも見せてやれぬのが残念なほどぞ……」


 にこにこと。


 まるでわらべのように無邪気に、夢で見た〝幸せな光景〟を語る無条。

 それを受けた時臣は静かに頷くと、無条に背を向けたまま、手入れを止めてまぶたを閉じた。


(あと僅か……お前の夢は、必ず俺が終わらせてやる。それが俺に出来る、最後の務めだ……)


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