歩み進むということ


「よし! 今夜はこのまま酒盛りだ! 昨日の決起会じゃ、一滴も飲めなかったからな!!」

「そうだろうと思い、拙者たちで何もかも用意しておいたでござるぞ!!」

「ええっ!? 少しは自重しなさいよっ! 太助たすけさんもつるぎさんも、みんな鬼と戦って疲れてるのよ!?」

「……いいえ! 私のことなら心配はいりません。今夜は騒ぎましょう! 今日は私も、みなさんと一緒にこの喜びを分かち合いたいと思っていたんです!!」

「わはははは! さすが師範! 話がわかる!」


 帰還したエルミールを迎えた道場は、そのままなし崩し的に宴の賑わいとなった。

 普段であれば門下たちをいさめる立場のエルミールだが、今夜の彼はどこか吹っ切れたかのように自ら仲間たちの輪に飛び込み、共に勝利と互いの無事の喜びを分かち合った。


「エルミールさん……とってもいい顔で笑うようになりましたね」

「だな。もしかして、緋華ひばなさんがなにかしたのか?」

「別に……わたしはなにもしてない。あれがあいつのもともとだっただけ。きっと……たぶんそう」


 いまだ現世を覆う闇は晴れていない。

 その正体すら掴めていない。

 

 しかしそれでも……今や共に死地をくぐり抜けた友となったエルミールの心からの笑顔は、それを見る奏汰かなたたちの心に暖かな気持ちを灯した。


「あーっ! そういえば奏汰さん、試合の後で僕にお話しがあるって仰ってませんでしたか?」

「えっ!? あ、ああ……えーっと……」

「話……? まさか……」

 

 しかしその時。なんとも間の悪いことを言いだした新九郎しんくろうに、奏汰は思わず隣に立つ緋華をちらと見た。

 奏汰の話とは、言うまでもなく新九郎に自らの想いを伝えることに他ならない。

 緋華の立場からすれば、決して許されない話であることは明白だったからだ。だが――。


「……なら、わたしも少し飲んでくる。さっさと終わらせて戻ってきて」

「あれ……?」

「はいっ! でもなんだか、姉様がそんなこと言うなんて珍しいですね? みんなでわいわいするの、苦手じゃありませんでしたっけ?」

「そういう日もある。それに……わたしの願いは、あなたがずっとあなたでいられること……だから、これ以上は止められない」

「????」

「緋華さん……」


 最後……緋華はちらと奏汰に鋭い眼差しを向け、しかしそれ以上はなにも言わず、公正館こうせいかんの輪の中に入っていった――。

 

 ――――――

 ――――

 ――


「はわ~……今日の僕も江戸一番の美少年剣士らしく、大活躍してしまいましたっ! それで、お話ってなんでしょう?」

「う、うん……」


 そして所は変わり道場の裏手。

 煌々こうこうと輝く月明かりの下。


 辺りからは夏虫たちの最後の残響ざんきょうが聞こえ、二人の間を流れる風はほんのりと肌寒かった。


「あの……? 大丈夫ですか? 奏汰さんのお顔、へのへのもへじみたいになってますけど……」

「いや、その……」


 奏汰は明らかに挙動不審だった。

 新九郎はそんな奏汰を心配するように近づき、その浅緑せんりょくの瞳で彼のことをまっすぐに見上げた。


(うぐ……もう覚悟は決めたと思ってたのに……っ)


 奏汰を見上げる新九郎の瞳には、当然ながら奏汰しか映っていない。


 吸い込まれそうなほどに透き通った彼女の瞳に奏汰は釘付けとなり、不安と切なさ……そしてあまりにも大きな愛おしさによって、それ以上の言葉を紡ぐことができなくなっていた。

  

(誰かを本気で好きになるって、こういうことなのか……)


 もはや、今の奏汰に迷いはないはず。


 よそ者としての自分も、根無し草としての自分も。

 新九郎の身分も、彼女を取り巻く重責も。

 そして、この世界の命運も。

 

 全てを背負い、新九郎と共にありたい。

 その覚悟は、とうに出来ているはずだった。


 にも関わらず、あまりにも大きすぎる新九郎への気持ちは、まるで奏汰の喉元につまるようにして口に出すことを阻んでいたのだ。


「奏汰さん……?」

「…………」


 だがそこで奏汰は深呼吸を一つ。

 胸にこみ上げる思いを一度なだめ、新九郎の瞳を正面から受け止める。


 今ここで感じている新九郎への想いは、決して軽薄なものではない。


 初めて出会ったあの江戸の夜。

 二人で鬼を退治し、朝日の中で初めて歩いた江戸の街並み。

 傷ついた奏汰の心を察し、少しでも力になろうと新九郎が連れ回してくれた、神田屋かんだやを初めとする江戸の人々との触れ合い。


 そしてその後に続いた二人の日々と、数々の死線――。


〝わかってたんです……奏汰さんと初めて会ったあの時から、奏汰さんはずっと無理をして……いっつも一人で、僕やみんなのことばかり考えて……まるで、自分のことなんてどうでもいいみたいに……! まるで、自分だけがこの世界にいないみたいに……!〟


 あの山王祭さんのうまつりの夜。


 静流しずるの決死に敗れ、力尽きて倒れた奏汰は、遠い意識の向こうでたしかに新九郎の声を聞いていた。

 

〝だったら僕は勇者なんて認めない……っ! 僕の大好きな奏汰さんを……僕に優しくしてくれた静流さんを傷つける勇者なんて……僕は絶対に許さないっ!!〟


 あの時。自らも瀕死に追い込まれながら、それでも奏汰を守ろうと叫ぶ新九郎の想いを、奏汰は確かに聞いていたのだ。


(新九郎はとっくに、何度も俺に気持ちを伝えてくれてる……)


 空から落ちた勇者と城を飛び出した姫。

 江戸で出会った二人が、今日まで共に過ごした日々。


 その全てがこの大きすぎる想いを形作り、言葉となって伝えられるのを今か今かと待っている。奏汰はそれを改めて理解し、だからこそ――。


「新九郎、俺は――!!」

「あーーーーっ!? ちょっと待って下さい奏汰さんっ!!」

「ぬあっ!?」


 だがいかなることか。


 奏汰がついに意を決して想いを口にしたその瞬間。

 それまで奏汰を見つめていた新九郎が、まるでお気に入りの玩具を見つけた猫のように飛び跳ね、道場裏の壁面にぴょいと駆け寄ったのだ。


「かたつむりー! かたつむりですよ奏汰さんっ!! しかもとーっても大きいですっ! うわー! うわうわーー!? さすがの僕でも、こんなに大きなかたつむりは初めて見ましたっ! いったい何を食べたらこんなに大きくなるんでしょう!?」

「か、かたつむり……?」


 見れば、そこにはたしかに新九郎の言葉通りの大ぶりなかたつむりが、道場の壁に張り付いてのそのそと亀の歩みで這っていた。


 そして一方の新九郎はといえば、まるでわらべのようにその瞳を輝かせ、現れたかたつむりの背を手に持った枝でつんつんとつつき始めたのだ。


「そ、そういえば……新九郎ってかたつむりの歌ばっかり歌ってるもんな……」

「えへへ……あの歌は、子供の頃にかたつむりが好きだった僕のために母上が作ってくれた歌なんです……だから今も大好きでっ!」

「そっか……」


 ふんふんと鼻歌を鳴らし、上機嫌でかたつむりをつつく新九郎。

 そのあまりにも無防備かつ無邪気すぎる姿に、奏汰はなんとも言えない笑みを浮かべた。そして――。


「俺……新九郎が好きだよ」

「え――?」


 ――――――

 ――――

 ――


「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ――っ!? そ、そそそそ、それって……それってもしかして、ぼ、ぼぼぼぼ、僕と夫婦めおとになりたいとか……そういう意味の!? はわわわわ……っ!?」

「め、夫婦っ!? あ、いや……そう、そうだよ! 俺は新九郎と、これからも死ぬまでずっと一緒にいたいって思ってる……そういう好きだ!!」

「どひゃーーーーーー!?」


 公正館の道場裏から響き渡る新九郎の絶叫。

 そしてその様子を、道場の影から静かに見守っていた影が二つ。 


「まったく……伝えるだけであれじゃ、先が思いやられる」

「立派です。きっとあのお二人なら、どんな困難も乗り越えていける……そう思います」


 二つの影。

 それは宴を抜け出した緋華とエルミールだった。


 てんやわんやの大騒ぎとなった新九郎と奏汰の様子に、二人はそれぞれ異なる反応を見せ、静かに背を向けた。


「……私も、もう後悔はしません。奏汰さんのように……緋華さんに言われたように、私にとって大切なものを守る。祖国も、シェレン様も……この世界で出会ったみなさんも、何もかも……必ず取り戻して見せます!」

「好きにすればいい。あなたは……少し我慢がすぎる」


 満点の星空がきらめく江戸の夜空。


 その下に小さな光が灯る公正館の古びた道場。

 今宵、その道場から響く大勢の人々の笑い声は、遅くまで止むことはなかった――。


 ――――――

 ――――

 ――

 ――

 ――

 ――



〝舞へ舞へ勇者

 舞はぬものならば

 魔の子や鬼の子にゑさせてん 

 踏みらせてん

 まことに美しく舞うたらば

 生まれし世まで帰らせん〟


 しゃらん。

 しゃらん。


 鈴が鳴る。  


 永久とこしえに輝く星を越えて。

 迷い惑う弱さを抱いて。


 それでも諦めぬと、歩み進む決意と共に。


 神判しんぱんの勇者エルミール・トゥオルク。

 

 一度は全てを失い。

 闇に囚われていた彼は今、再び光の中に帰還した。


 だが、彼の戦いはまだ始まったばかり。


 新たに得た仲間と共に、失った全てを取り戻すまで。

 彼の勇者としての戦いは、終わることはないのだから――。



 勇者商売

 エルミール編――完。



 無法の最期に続く。



※次回の更新は一週間後を予定しております。

 最後まで全力で頑張ります!!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る