臆病者


「がっ……あう……っ」

「ほう……事前に〝命を二つに分けていた〟か。だが傷が塞がらぬところを見るに、〝俺の剣の真髄〟までは見透かせていなかったようだな」


 鬼と武士たちの死闘が続く江戸城内庭。


 衝撃と共に江戸城の内庭へと墜落するのは、その純銀の羽を無惨にも鮮血で染めたクロムだ。

 だがたしかにその身を両断されたはずのクロムはしかし、深手を負いながらもなぜか小さな〝わらべの姿〟へと変化して命を繋いでいた。


「く、そ……っ。まさか、君の力は……っ」

「そうだ。我が剣は俺が認める〝全ての事象を断ち切る〟。俺は今、お前の肉体ごと神の力そのものを斬った。大方その〝二つ目の命で俺の不意を突く狙い〟だったのだろうが……もはや、お前に俺と戦う力は残されていない」


 小さなわらべの姿となって傷つき倒れたクロムに、刃を構えた時臣ときおみがじりと歩み寄る。


「我が大願成就のため、やはりお前を見逃すわけにはいかん……俺が神を憎んでいるからではない。俺はお前の存在を脅威と断じたからこそ殺すのだ」

「この私としたことが、しくじったね……こんなことなら、もう少し始まりの勇者について勉強しておくんだったよ……っ」

「さらばだ。お前のような神もいたこと……記憶の片隅に留めておこう」


 振り上げられた時臣の刃が、倒れ伏すクロムめがけて振り下ろされる。

 戦場の喧噪に紛れ、窮地のクロムを救える者はいない。

 人と共に歩もうとした一人の神の命運は、今度こそここで潰えるかに見えた。だが――。


「――おやめ下さい、時臣様」

「なに?」

「うっ……?」


 その時。凜と響く美しい声と共に、美しい青髪をなびかせた〝一人の女性〟が、クロムの元に現れる。


「お久しぶりです、時臣様……やはり貴方は、どこまでも孤独の道を進むおつもりなのですね」

「お前は……生きていたのか」

「る……ナ……っ?」


 現れた女性……その横顔を見たクロムが驚愕に目を見開く。

 その女性こそ、クロムがこの江戸の地で共に過ごし、誰よりも絆を深めた相手……ルナ・トリスティアその人だったのだ。


「大丈夫……すぐに私が治してあげますからね」

「どう、して……? この力……まさか、君は……っ!?」

「…………」


 目の前に時臣がいるにも関わらず、現れたルナは傷ついたクロムを抱きかかえると、その手に暖かな青い光を灯してクロムの体にゆっくりと重ねる。


 するとどうだろう。時臣に断ち切られたクロムの身が徐々に癒やされ、断ち切られた神の力までをも修復し始めたのだ。


「ずっと黙っていてすみませんでした。お気づきの通り、私は勇者……けれど私は、つい先ほどまでこの力を〝失っていた〟のです」

「勇者の力を失った……?」

「十年前……〝日向ひなたの勇者〟に敗れたお前は、あの場でとうに死んだものとばかり思っていたが……」

「私は彼女に……エリスセナ様に助けられていたのです。彼女は敗れた私を生かし、私の勇者の力を封じるに留めました。エリスセナ様は私に……贖罪の機会を与えて下さったのです」


 クロムの傷を癒やしながら、ルナは神々しい勇者の力を放つ。

 クロムの目から見ても、ルナの持つ勇者の力はあの奏汰かなたにすら匹敵しうる程の強大さだった。


「贖罪だと?」

「そうです……エリスセナ様に力を封じられ〝ただの人〟となった私は、勇者として〝全てを救えると思い込んでいた私の高慢さ〟を知りました……そして、たとえ勇者の力などなくても、この地で精一杯に今を生きる人々の強さを……」

「ルナ……じゃあ、君も……」


 時臣の刃からクロムを庇いながら、勇者の光をその身に帯びたルナが口にした言葉……それはまさしく、クロムがこの地で学び、他ならぬルナから教えられたことと全く同じだったのだ。


「けれど、どうか信じて欲しいのです……私がクロムさんと出会ったのは偶然の巡り合わせ……そして私は貴方と過ごした幸せな日々の中で、それまで憎く思っていた神も、結局は私たちと同じ弱さと孤独を抱えていたのだと……クロムさんは、そう私に気付かせてくれたのです……」

「ルナ……っ」

「ふん……今さら何に気付こうとも、あと僅かで無条むじょうの闇は現世もろとも消え去る定め。お前がかつて憎んだ神も、その余波で多くの者が死に絶えることだろう」


 時臣はそう言うと、かつては同志であったはずのルナに対しても躊躇無く刃を向け、今度こそクロムの息の根を止めようとその歩みを進めた。


「もうやめて下さい時臣様……!! かつて私は、たった一人で囚われた勇者たちを救おうとする貴方を支えようと、貴方と共にこの地に生きる多くの人々を苦しめました……!! でも――!!」


 恐るべき殺気を漲らせる時臣を前にしながら、ルナは聖剣の召喚すら行わず、その瞳に涙を浮かべ、クロムの身をひしと抱きしめながら懇願する。


「私が本当にしなければならなかったこと……それは貴方に寄り添い、貴方と他の皆さんの架け橋になることだったのです……! どれだけ貴方一人が強くても……! この地で起きた、あまりにも深い罪を貴方以外に背負う者がいなかったとしても……!! それでも貴方一人では……なにも成すことはできないのですからっ!!」

「出来る……!! 俺は今日まで、幾星霜の時をそうして生きてきた。神も勇者も、立ちはだかる者全てをこの剣で切り抜けてきたのだ!! 無条の……神と勇者に踏みにじられたわらべが願う小さな望みなど、俺一人の力で叶えてみせよう!!」

「ハッ! そいつはまた、随分と笑える冗談じゃねぇか……!」


 だがしかし。

 時臣の歩みは二度遮られた。


 神の覚悟を正面から叩きつけられ、さらにはかつての同志であるルナからの懇願を受けて尚聞く耳を持たぬ時臣の背に、時臣に勝るとも劣らぬ殺気に満ちた声が響いたのだ。


「……来たか」

「てめぇの〝あれこれ〟はそこにいる餓鬼からあらかた聞いた……だがまさか、エリスの仇がこんな肝っ玉の小せえ〝びびり野郎〟だったとはな……がっかりだ」

「なんだと……?」


 現れたのは、ざんばらの黒髪にはだけた着流し。

 そして無造作に握った二刀をだらりとぶら下げた男――あまねく全ての武士の頭領にして、かつて時臣によって最愛の妻を奪われた剣鬼――徳川家晴とくがわいえはる


「聞こえなかったか……? てめぇはそこらの犬畜生にも劣る、根性無しのびびり野郎だ。てめぇのそのびびり散らした情けねぇ生き様……今度こそここで、この俺が終わらせてやるよ……!」


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