逃避の果て
しゃらん――。
しゃらん――。
――――――
――――
――
〝舞へ舞へ勇者
舞はぬものならば
魔の子や鬼の子に
踏み
生まれし世まで帰らせん〟
しゃらん。
しゃらん。
鈴が鳴る。
闇の先。
記憶の先。
聞こえるは、歌に不慣れな父の声。
「すぅ……すぅ……」
「むぅ……苦し紛れに元の歌から〝詞と拍子を変えてみた〟が、まさかそれだけでこうも寝入りに違いが出るとは……わらべの機微は、俺には理解しがたい……」
それは、
闇との対話を望んだ
深い闇の果て。
小さなたき火を囲み眠る少年と、その少年を優しく見守る巨躯の男――
少年はまだ三つか四つという年頃。
その時期の幼子の気は難しく、ことさら素直で無邪気な時もあれば、何かに怯え、手もつけられぬほどに泣くこともある。
ましてや、時臣が連れる少年は一度は目の前で最愛の母を惨殺され、その闇を封じるべく、時臣の手によって記憶を失っているのだ。
自らが何者かも分からず、身寄りも無い少年の情緒を男手一つで安らかにするのは並大抵のことではなかった。
「そこでだ……ついに四天王を倒した俺の前に、今度は大魔王が現れた。そいつは頭に二本の角が生えていて、背は俺よりも大きかった。足はたこのようにいくつもあってな……」
「わぁ……」
闇の向こう。
時臣と少年の日々は、静かに流れていった。
「ときおみは、おっとぉ……?」
「やめろ……俺はお前の父ではない」
「ふぇえ……っ?」
「なっ!? ま、待て……! くっ……! わかった……お前がそう呼びたいのなら、好きにしろ……」
「わぁ……! おっとぉ……!」
それは、端目から見れば本当の親子そのもの。
しかし当の時臣は、常に少年に対してどこかよそよそしく――否、〝どう接すれば良いのかわからぬ〟という有り様で、たどたどしく接していた。
「考えたのだがな……いつまでも〝お前〟では不便ゆえ、ひとまず俺がお前に名をつけることにした」
「……?」
ある日。
深い森に流れる清流のほとりで、時臣は少年にそう告げた。
「〝ひかる〟……これから俺は、お前のことをひかると呼ぶ」
「ひかる?」
「そうだ……こうしている間にも、お前の闇はお前という主を求めて彷徨っている。お前につけたその名は、少しでもお前が闇から逃れられるようにと……そう思い考えた」
「ひかる……ひかる……」
与えられた名を不思議そうに繰り返す少年――ひかるに、時臣はしかしなんとも言えぬ表情を浮かべ、彼のふわりとした髪の毛にその大きな手を重ねた。
「おっとぉ……?」
「すまんな……元よりお前には、こんな〝くだらぬ名〟よりも良い〝本当の名〟があったであろうに……俺にはその名を探し、お前に教えてやることもできん……」
無力感に満ちた時臣の声が響き、遠ざかる。
無力感。
そう、無力感である。
神を超えた剣士と呼ばれ、始まりの勇者となり。
たとえ力及ばずとは言え、それでも神すら喰らった少年の闇を封じて見せた男が滲ませたのは、少年を保護する者として至らぬ自らの無力だった。そして――。
「ぐっ……! やはり……このままでは……っ」
遠ざかる闇の先。
次に飛び込んできたのは、その身をずたずたに傷つけられ、血塗れとなった時臣の姿。
見れば、傷ついた時臣の前にはやはり傷だらけとなった少年――ひかるが意識を失って倒れていた。
「このままでは、ひかるはすぐにでも闇に飲まれよう……もはや、これ以上逃げることは叶わぬ……闇からひかるの存在を隠し、欺く術を……」
逃避。
穏やかに見えていた時臣とひかるの日々は、実際はどこまでも追いすがるひかるの闇からの逃避行だった。
たとえ時臣がその強大な力で闇とひかるの繋がりを断ち切ろうとも、闇を滅ぼすことが出来ぬ以上、やがてその傷は癒え、ひかるという無垢な魂は闇に飲まれる。
それは即ち全ての破滅。
神も人もなにもかもが闇に飲まれ、全てが消え去る終焉を意味していた。ゆえに――。
「――お前という汚れを知らぬ魂魄を、お前から〝最も遠い人格で覆い隠す〟。この荒れ果てた都には、おあつらえむきに〝お前が喰らうことのできる魂魄〟が無数に漂っているからな」
「おっ……とぉ……?」
「許せとは言わぬ……全ては、俺の無力さゆえ。全てが終われば、俺もお前と共にこの咎を果たそう――」
――――――
――――
――
「目覚めたか……」
「ふぁ……ここはどこぞ……? 我は、誰ぞ……?」
途切れた記憶の先。
それまでとは違いよりはっきりと、より色鮮やかになった光景が無条の闇に広がった。
「お前の名は無条……京に住む皇族の縁者だ」
「我は無条……? ほむ……そう言われれば、そうであったか……?」
「…………」
気付けば、〝ひかるはいつしか無条になっていた〟。
京に生きる皇族の一人として。
贅と楽とをひたすらに求め、自らのことにしか興味を示さず、気に食わぬことがあればすぐに癇癪を起こし八つ当たる……かつての少年とは大きく異なる〝魂魄の衣〟を纏った存在となっていた。
無条自身も、周囲の人々も誰もそれをおかしいとは思わず。
誰も無条を糾弾することも無い。
まるでこの世界において、初めから無条という存在が組み込まれていたかのように――。
「舞え舞え勇者、舞わぬものならば――むふふ。不思議なものよの……我はなにも覚えておらなんだが、なぜだかこの歌だけははっきりと覚えておるのよ……のう時臣よ、お主はなぜ我がこの歌をこうも覚えておるのか、知ってはおらんかの?」
「……それは、〝お前の母〟が幼いお前に歌い聞かせていた歌だ。それ以上は、俺も知らん」
「おお……そうであったか。そうかそうか……我の母上がのう? そう言われれば、確かに我の記憶の奥底に愛しい母上の面影が見えおる気がするの……」
二条の御所に舞い散る桜の花。
うららかな春の陽射しの下、広大な御所に広々と続く縁側で、無条と時臣はその光景をゆるゆると眺め、共にいた。
「ふふ……ならば、我の父上は時臣であろうな」
「なんだと……?」
「ほっほ……だってそうであろう? 我が覚えておったのはあの歌だけではない……時臣よ、お主のこともこうして我は覚えておる」
「…………」
もはや少年ではなくなり。
かつてとは似ても似つかぬ
しかし暖かな日の下でころころと笑うその姿は、時臣が必死に不慣れなわらべ歌を歌い寝付かせた少年の物と全く同じだった。
「……俺はお前の父ではない。〝前にも〟そう言ったはずだ」
「ほむ? そうであったかの……? まあどちらでも良いわ……たとえ時臣が我の父上でなくとも……我はお主とおるこの時が好きなのよ。ほっほっほ……」
それは、ひかると名付けられた少年が闇に飲まれるまでの時を稼ぐために〝逃げ続けた時臣〟が生んだ、闇を偽るための苦肉の姿だった。
やがて時臣は、稼いだ時の中で数多の勇者と共に闇を滅ぼす策を見いだし、そのために千年もの間、無条となったひかるの傍に立ち続けた。そして、今――。
『時臣は……どこぞ……? 我とずっと一緒におったはずの……〝あの子〟はどこぞ……? ここは暗く、何もない……我がおらねば……あの子もきっと……さびしゅうてさびしゅうて……ひとりで泣いておるであろうに……』
時臣が施した無条親王という〝偽りの絹衣〟は、目覚めたひかるの自我と溢れた闇から〝置き去りにされ〟、残骸となって必死に救いを求めていたのだ。だから――。
『――わっかりました! そういうことなら、無条さんも僕たちと一緒に行きましょうっ!!』
『ひかり……? 我も、一緒に……?』
その支えと心とを抜かれ、もはや崩壊を待つばかりだった無条の闇に、どこまでも明るく、日向のように明るい少女の声が響く。
闇に差した一条の光。
その光に向かって無条はもう一度だけ手を伸ばし。
そして今度こそ、暖かな光をその手に握った――。
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