剣と剣


「はぁ――っ! はぁ――っ! 僕の……勝ちだねっ!!」

「どうして……っ!? 勇者としての力は……私の方が上だったはずなのに……っ!」


 十年前。

 鬼の軍勢によって大火に見舞われた江戸城。


 その手に〝流水のごとき不定形の聖剣〟を握っていた青髪の勇者――ルナが、その身から勇者の力を霧散させながら地に倒れる。

 対するは、神々しくも暖かに輝く金色の短剣にバックラーと呼ばれる小型の盾を構えた緑髪の女性――エリスセナ。


 天地を揺るがす死闘の末、両者の勝敗は今まさに決したのだ。


「君みたいな強い勇者にも勝っちゃうなんて……やっぱり僕は、お母さんになってもすっごく強くて、とっても可愛いままだったみたいっ! どやーっ!」

「ま、待ちなさい……っ! 私は、まだ……!」

「ううん……君には悪いけどもう終わり! 僕のスキル……〝ライブラ天秤〟には、どんな異能力も〝さくっと消しちゃう力〟もあるから……僕が新太郎しんたろうを助けて戻ってくるまで、君にはそこで大人しくしててもらうよ!!」


 日向ひなたの勇者エリスセナ・カリス。


 彼女の持つ勇者スキルは、対峙した相手と自分自身を共に特殊な領域に飲み込み、全ての超常の力を封じた上で、本人が持つ技以外の力や速度、魔力といった力量を完全に互角に正す〝超決戦スキル〟である。


 一度彼女の領域に飲み込まれれば、たとえ神だろうと大魔王だろうと、その鍛え上げた〝技のみで戦う〟ことを余儀なくされる。

 ゆえにエリスセナは己の剣と体術、そして魔術においては氷雪と炎の二属性という基礎的な戦闘術を極限まで鍛え上げていた。


 勇者の力と与えられたスキルでは奏汰かなた静流しずるにも匹敵する力を持っていたルナだったが、超常を封じられ、エリスセナが展開した〝夕焼けの河原時空〟での殴り合いの末、ついに力尽きたのだ。


「無駄です……! いくら貴方が私より強くても、時臣ときおみ様と戦えば、貴方も貴方の夫も抗うことすら出来ずに死ぬことになるでしょう……!」

「そうなの? たしかにあの人って、見た目からしてムッキムキのバッキバキだもんね。でも、だったらなおさら急がなきゃ!!」


 力を封じられたルナの傷を手早く癒やし、エリスセナはその身を翻して夫である新太郎――徳川家晴とくがわいえはると時臣が戦う地へとその剣を構える。


「どうして……? なぜ貴方は、そうまでしてこの世界に肩入れするのです……? 貴方にだって、今も帰りたいと願う故郷はあるのでしょう? それなのに、なぜこの異世界のために……っ!?」

「なんでって――」


 追い縋るように問うルナに、エリスセナは泥と煤で汚れた純白の外套をはためかせ、その浅緑せんりょくの眼差しと迷い無き満面の笑みを彼女に向ける。


「僕……この世界のことが大好きなんだよ。だって僕はこの世界で新太郎とラブラブになって、吉乃よしのっていう僕よりも可愛い子のお母さんにまでなれたんだからっ!」

「そんな……勇者が異世界で子を成すなんて……」

「あははっ! それってそんなに珍しいことなの? そういうの、気にしたこと無いからわかんないや!」


 ルナが最後に見たエリスセナの姿。

 それはその身に鮮烈な緑光を灯し、激しい炸裂が巻き起こる戦場に向かう母の背中だった。


「ここは僕の大切な場所……そして、僕の大切な家族が生まれた場所なんだ! だから、絶対に壊させるわけにはいかないっ!!」

「家族の、生まれた場所……」


 その時のルナに、エリスセナの言葉の重みはまだわからなかった。


 だがこの戦いの後。

 大火を生き延びた彼女はなぜか時臣の元には戻らず、エリスセナの残した言葉の意味を求め、勇者の力を失ったまま……江戸の城下で町医者としての生を送るようになったのである――。


 ――――――

 ――――

 ――


「この十年……俺はてめぇの息の根を止めることだけを考えて生きてきた。俺と吉乃からエリスを奪ったてめぇを……この手で八つ裂きにするためにな……!」

「この方が……エリスセナ様の……っ」


 あの日から十年。


 勇者としての力を取り戻し、あの時と同じ江戸城へと舞い戻ったルナの目の前に、当時はその目で確かめることが無かった男が姿を現わす。


 徳川家晴。

 

 彼こそは当代の徳川将軍にして、武士もののふの頭領。

 日陰者の将軍と呼ばれ、政の才も、施政者としての才もない。


 しかしその剣は絶人にして鬼人。


 さらには異世界の勇者エリスセナを生涯の伴侶として愛し、彼女との間に儲けた一人娘――吉乃姫を、人付き合いすらまともに出来ぬ不器用さのままに父として立派に育て上げた男だった。


「俺を臆病者と、そうのたまうか……剣鬼よ」

「ああそうだ……だが、どうせてめぇみてぇな臆病者には言ってもわからねぇんだろう? だったら……この剣で教えてやる」


 言うと同時、家晴は渦巻く殺気と共に片手にぶら下げた二刀を抜き放つ。それを見て取った時臣もまた、標的をルナとクロムから家晴へと明確に変えた。


 それは十年ぶりの対峙。


 家晴は、時臣の正体が無条むじょうの護衛として常に侍る巨躯の剣士ではないかという報せは当然聞き及んでいた。


 しかしそれでも彼が復讐を堪え続けたのは、すべて最愛の娘である吉乃のため。そして日の本全土に生きる民のため。


 長らく日の本を影から支配する無条を相手に、時臣は自らの復讐心を必死に堪え、彼にとって最も過酷な堪え忍ぶ時を過ごし続けてきたのだ。


「ま、待ちたまえ家晴っ! 君の気持ちは分かるけど、その男はあまりにも危険すぎる!! ここは計画通り、もう一度私が時間を……!!」

「私も今ならクロムさんと一緒に皆様のために戦えるはず……! どうか、私にも共に戦わせて下さい!!」

「下がってろ……てめぇらじゃ、俺の〝足手まとい〟だ」

「なんだって!?」


 助太刀を申し出るクロムとルナに、しかし家晴はその二刀をだらりと構え事も無げに言い放つ。

 一方の時臣ももはやなにも言わず、じり――じり――と家晴に対して間合いを計った。


「あの時臣が、〝ただの人間相手に間合いを〟……? まさか……はったりじゃないのか……?」


 それは、先ほどまでのクロムとの戦いとは全く異なる様相。

 神をも超える力を持つ時臣の戦いとはとても思えぬ、剣の達人同士によるいくさの成り行き。


 しかもどうだろう。


 家晴と対峙する時臣の表情は硬く、その気配は神であるクロムと対峙していた時よりも、はるかに油断無く研ぎ澄まされていた。


 それは、一瞬の緩みが己の命を脅かすと……そう確信している者の顔であった。


「僅か十年でよくぞここまで……お前が俺の背後から現れたとき、すでに俺はお前の間合いに囚われていたのだな」

「ご託はいい。来な――」


 刹那、対峙する二人の姿が朧のようにぼやける。

 時臣はともかくとして、家晴の身体能力は常人の範疇のはず。

 にも関わらず、それを見るクロムとルナには、家晴の踏み込みの影すら掴むことができなかった。


「やはり……! お前も俺と同様の境地に至っていたか――!」

「前と同じだと思うな――!!」


 激突。


 互いに放たれる神速の太刀。

 そして一瞬にして交わされる数十の剣刃。

 

 寸分違わず時臣の致命を狙う家晴の刃。それは時臣が纏う始まりの勇者としての超常を完全に貫き、切り裂く。

 そしてそれと同様。時臣が薙ぎ払う大太刀の軌道は家晴の目と鼻の先をかすめ、そこに存在する虚空ごと――空間や大気といった事象全てをまとめて消し飛ばす。


「すでにお前は世のことわりにすらその刃を届かせている。お前がそうと望めば、その刃で神を斬ることすら叶おう」

「知るか……!! 俺の剣は、〝てめぇ一人ぶった斬れれば十分〟なんだよ――!!」


 そう。家晴の剣はすでに、その間合い内であればたとえ勇者や神であろうとも断ち切る〝因果破断の境地〟に到達していた。

 この剣こそ、エリスセナを失った家晴がこの十年で到達した、天道回神流てんどうかいしんりゅうの極意――終型ついけい


 千年前より徐々に世に紛れた勇者や鬼といった超常の暴威に立ち向かうべく、先人たちがその命と技と想いとを繋いで磨き続けた護国の剣……人の剣。


 もはや、この境地に到達した家晴には超常の力も、星すら砕く膂力りょりょくも意味を成さない。

 家晴の間合いに踏み込んだが最後。それがたとえ神であろうと、始まりの勇者であろうと、頼みとなるのは磨き上げた己の技量のみ。


 そして家晴が到達したその境地は、奇しくも彼が愛した妻――エリスセナが、勇者として顕現させたスキルの持つ特性によく似ていた。


「見せてやる……!! これが俺の……俺とエリスが二人で至った、俺たちの剣だ――!!」

「面白い……二人がかりで俺に敗れたお前が、一人となってどこまでやれるのか。せいぜい俺に示して見せろ――!!」


 家晴は叫び、時臣の放つ超常の暴威に恐れず踏み込む。


 十年の時を経て、時臣と対峙する家晴は一人。

 しかし今、彼の傍には淡く輝く浅緑の光がまるで寄り添うように灯り、彼の背を力強く押していた――。


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