信はまだ成らず


「おはようございます!!」

「よろしくな、えるみー……じゃなくて、太助たすけさん!」

「ふわぁあああ~~……おふぁようごじゃいましゅ~~……」


 まだ陽も昇りきっていない早朝の神田上水かんだじょうすい

 にも関わらず、はつらつした挨拶を発するのは、濃紺のうこんの道着を着た童顔どうがんの好青年――エルミールもとい、山上太助やまのうえたすけだ。


 互いを理解するには時間も言葉も全く足りないと判断したエルミールは、熟考の末、しばらくの間奏汰かなた新九郎しんくろうが営む勇者屋に、〝奉公人ほうこうにん〟として手伝いに赴くことを決めた。


 それから数日で互いはもろもろの準備を終え、今日はエルミールも交えた初めての稽古を行うことになっていた。


「ここではそう呼んで頂けると助かります。江戸のみなさんには、あくまでこの国の生まれと伝えてありますから」

「たしかに、太助さんのお顔って僕たちと一緒ですもんね!」

「太助さんは剣の道場もやってるんだよな? そっちはいいのか?」

「道場のことなら心配ありません。師範代しはんだいも立派な人物ですし、私もこうして早朝稽古を終えたら、そのまま道場で指導にあたります」


 朝焼けの下、奏汰の問いにも自信に満ちた笑みを浮かべるエルミール。

 聞くところによると、彼は江戸の西に位置する市ヶ谷いちがやで〝正当十御琉九流せいとうとおるくりゅう〟という名の剣術道場を営んでいるらしい。


 ちなみに、十御琉九とおるくというのはエルミール自身の姓に漢字を当てはめただけである。なんたる適当さか。


「お二人との交流も重要な使命ですが、私自身の剣の道もまだまだ途上です。歴戦の勇者であるつるぎさんと、天才剣士と名高い徳乃とくのさんとの合わせ稽古は、私にとっても実りあるものになるでしょう」

「ええーっ!? 〝江戸一番の天才美少年剣士と名高い僕〟ですか!? まさかもうそこまで有名に!?」

「もちろんです。そもそも、徳乃さんの天道回神流てんどうかいしんりゅうは武士だけに伝わる秘剣……その太刀筋をこの目で見れる機会なんて、そうそうありませんからね」

「いやぁー! そうですかそうですかっ! やっぱり僕は、江戸一番の天才美少年剣士だったんですねっ! 実は僕も〝うすうす〟そうなんじゃないかと思っていたところだったんですよー! どやっ!!」


 エルミールの素直な賞賛に、高笑いと共に胸を張ってどやる新九郎。

 そんな新九郎を横目に、エルミールはいおり軒先のきさきに自身の荷物を置くと、〝二振りの木刀〟を手に戻ってくる。そして――。


「じーー……」

「さあ、緋華ひばなさんもどうぞ」

「いらない……自分のがあるから」

「そうでしたか、いらぬお節介でしたね」

「…………」


 エルミールが笑みと共に声をかけたのは、それまで会話にも参加せず、庵の横に腕組みをして立つ抜き身の刃のような女性――新九郎の側仕そばつかえ隠密おんみつである緋華だ。

 三人をじと目で見つめる緋華の格好は、普段彼女がまとう身軽な忍び装束ではなく、濡羽色ぬればいろ道着袴姿どうぎはかますがたである。


「お人好しの二人はだませても、私の目はごまかせない。日本橋の鬼から新九郎を助けたように見せたのも、ぜんぶあなたが操っていたんじゃないの?」

「私はそのような卑劣なことはしません。断わっておきますが、この世界に現れる鬼は、そのほとんどが〝自然に発生しているのです〟……江戸で起きた鬼の襲撃も、私たちの手によるものはほんの僅かです」

「その言葉、信じられると思う?」


 真剣な表情で弁明するエルミールに対し、緋華は奏汰へと向ける物の〝数十倍は鋭い眼光〟を向けていた。


「こ、これが緋華さんの本気か……むちゃくちゃ怖いな……」

「ひええっ!? 姉様のお気持ちもわかりますけど、その……もう少しこう……手心というか……」

「二人は黙ってて。こいつは敵……おなじ勇者でも、そっちの剣奏汰つるぎかなたとはわけが違う。幕府が帯同を許しても、わたしにはこいつを監視する役目がある」


 あの夜の後。


 纏まりかけたエルミールの申し出に待ったをかけたのは、三人のやりとりを屋根裏から監視していた緋華だった。

 信頼形成も何もない。のこのこと姿を現わしたエルミールを、緋華はすぐに引っ捕らえて〝ちょん切ればいい〟と強く主張した。


 だが結果として、そうはならなかった。


 エリスセナを救い、現世から鬼の脅威を除きたいと思いながらも、まったく手がかりのない家晴いえはるを初めとした現世勢力と、静流しずるの想いに従い、対話を望むエルミールとの利害がこの機において〝奇跡的に一致〟したのである。

 

「私を信じられないというのなら、それで構いません。そもそも私は、その信頼を作るためにここに来ているのですから」

「ずっとこそこそ隠れていたくせに……少しでも怪しい真似をしたら、すぐに殺すから」

「どうぞご自由に。この世界と私の仲間たち……かけがえのない大勢の命を救い、愛する祖国へ胸を張って帰還するためなら、私はどんな対価でも背負う覚悟です」


 果たして――幕府は緋華を目付役とし、同じ勇者である奏汰を武力的なエルミールへの抑止とすることで、対話を望む彼の要求を飲んだのだ。

 だが、だからといって緋華が納得したわけではない。


「ふん……あなたも、〝剣奏汰と同じ目〟をしてる。他の人になにを言われても折れる気のない……気に入らない目」

「それはそうでしょう。私も彼も勇者ですから」

「……そういうところが気に入らない」


 なおも一触即発いっしょくそくはつの気配を見せる緋華とエルミール。

 だが一方、その様子を固唾を呑んで見守る奏汰と新九郎は――。


「なるほど~~? たしかに姉様の言うとおり、奏汰さんと太助さんの目って、とってもよく似てる気がします……。あ……でもでもっ! 僕は奏汰さんのお目々はぜんぜん嫌じゃないですよ!? むしろ見てると安心するというか……すごく大好きというか……」

「ちょっ!? し、新九郎……!?」

「ひゃわっ!? ご、ごめんなさい奏汰さん! 今のは別に変な意味じゃなくてですねっ!?」

「いや、その……俺も驚いただけで……ぜんぜん嫌じゃないし……!」

「…………」

「…………」


 対峙する二人の空気など一切読まず、新九郎から飛び出した謎発言。

 それは張り詰めた空気を一瞬にして〝桃色時空〟へと変えてしまった。


「ぎり……ッ! 前言を撤回する……やっぱり剣奏汰も敵。あのお方が認めても、わたしは絶対に認めない……!」

「ふふ……剣さんと徳乃さんは、本当に仲が良いんですね」


 二人の掛け合いが助け船となり、緋華とエルミールは一度気を緩め、互いの間合いを離す。


「申し訳ありません緋華さん。無礼な物言いしてしまいました……改めて、よろしくお願いします」

「……勝手にすれば」


 気を取り直し、エルミールは緋華に頭を下げる。

 緋華もふいと目を逸らしながらも、それ以上はなにも言わなかった――。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る