迫る終局


「――それで、時臣ときおみさんと無条むじょうの様子は?」

「時臣は相変わらずさ。けど、〝無条は日に日に不安定さが増している〟。私が見たところによると、京にいる〝無条の本体〟の様子もおかしいようだ」

「きゃははっ! 新九郎しんくろう〝姉ちゃん〟、こっちこっちー!」

「鬼さんこちらー!」

「うわわっ!? みんな別々の方向に逃げるなんてずるいですよーっ!」


 時は昼下がり。

 所は新橋しんばしの近く、月海院つきみいん前の通り。


 今日も今日とて大勢のわらべたちと共に遊ぶのは、それまで偽っていた性別を明かし、名実共に〝勇者屋の若女将〟となった新九郎だ。

 とはいえ、その身なりは相変わらずの着流し姿であり、女子であることを公言した後も特段大きく変わってはいない。


 そしてそんな新九郎とわらべたちの姿を笑みと共に見やるのは、奏汰かなたとクロム。そして公正館こうせいかんの師範であるエルミールと、隠密の緋華ひばなであった。


「無条の様子がおかしい?」

「あれだけの異世界を飲み込めばおかしくもなるさ。無条に飲み込まれたなにもかもは、捕えられた勇者たちと同じですぐに消えたりはしない……今も意識を保ったまま闇の中を漂っている。この世界に急に神の気が満ち始めたのも、ここ数日で鬼の出現が一気に増えているのも、全部そのせいだからね」

「食い意地のせいでおかしくなるなんて、あの変態にはお似合い」

「まあ、いくら無条でも普通ならおかしくなる前に自分でコントロールするところさ。だけど多分、無条には〝それが出来ない〟……」


 神としての力を取り戻したクロムは、時臣と無条にも気付かれぬ形で無条の闇と繋がり、常時彼らの動きを探り続けている。

 奏汰たちも事前に計画した策の準備を進めながら、逐次マヨイガの状態をクロムと確認しあっていた。


「無条には出来ないって、どういうことだ?」

「これは〝私の推測〟だけど……恐らく無条には、自分が〝周りの異世界を滅ぼしている自覚がない〟んだ」

「それだけのことをしておいて、そんなことがありえるの?」

「そういえば……緋華さんも覚えていませんか? 私と一緒に無条の闇に囚われたとき、無条は私の祖国が滅びる様子を見て恐ろしいと……〝まるで人ごとのように〟話していました……」

 

 クロムが語る〝無条の変化〟に、エルミールは思わずクロムへと目を向けた。


「あくまで推測だけどね。きっとあの時臣という男は、〝そうすることで〟あの闇を今日までずっと押さえ込んできたんだ。母親を目の前で殺された子供の怒りと憎悪……この世界の闇を生んだ〝強烈な負の感情〟をあの子から切り離し、〝忘れさせる〟ことでなんとか制御した……だから今の無条には、自分が生んだ闇が何をしてるかなんてさっぱりわからないのさ」

「そういうことか……」


 クロムの話に、奏汰は深いため息をついて腕を組む。


 もしも奏汰が事故ではなく、何者かによって両親を惨殺されていたら。

 もし今ここで、突然最愛の新九郎の命が奪われでもしたら。


 そうなった時。

 果たして奏汰は……超勇者と渾名される最強の勇者は、〝絶対に無条のようにならない〟と言い切れるだろうか?


「難しいな……俺も新九郎がそんな目にあったらって思うと、考えただけで頭に血が上りそうになる……」


 奏汰はそう思いを巡らせ、時臣と無条が歩んできたであろう数奇な運命に同情とも哀れみとも異なる、やるせない感情を抱いていた。


「それでいいんだよ。自分にとって最も大切なものを決めて、そのために短い一生を懸命に生きる……それは心を持った命として、実に正しい姿だ。なにも思い悩むことはない」 


 思わず呟いた奏汰に、クロムはちんちくりんのわらべ姿のまま、大人びた笑みを浮かべた。

 

「どちらにしろ、無条の闇の膨張率から逆算することで、時臣が動くであろう時は推察可能だ。私の見立てでは……時臣は早ければ〝三日後〟には動く。多少の誤差を考慮すれば、私たちは明後日までには〝奏汰の策〟を実行に移す必要があるだろうね」

「さすがクロム、ほとんど最初の予想どおりだな」

「なーっはっはっは!! そーだろーそーだろー!! さすが私だともっとあがたてまつっていいんだよ!! なーはっはっは!!」


 残された刻限は明後日。

 すでに、奏汰の提示した策はその形を成している。


 当初は難色を示したクロムも、今は奏汰の策を最善とし、万が一奏汰の策が阻まれた際に限り、神々の犠牲による策を次善とすることで了承していた。後は、その時を迎えるばかりである。


「たとえどのような結果になろうとも、私は最後までつるぎさんと共に戦います。貴方は今日まで、何度となく挫けそうになる私に希望を指し示してくれました。心から……感謝しています」

「けど……太助たすけは本当に〝それでいいの〟? 剣奏汰つるぎかなたの策はたしかに悪くない。だけど、そうしたらあなたは……」

「いいんです……祖国とシェレン様を救えるのなら、私はもう……それ以上は何も望みません」

「太助……」

「…………」


 台覧試合たいらんしあい以降、緋華がなにかとエルミールのことを気にかけていたのは奏汰も知っていた。

 そして今、誰よりもエルミールの心情を理解しているであろう緋華の懸念に、奏汰はあえて口を挟まず、押し黙ったまま頷いた。 

 

「よし。なら俺と新九郎は午後から作戦の決行をみんなに伝えてくる」

「私も最後まで出来る限りのことはしておきます。今度こそ、絶対に失敗は許されませんからね!」

「あの夕弦ゆうげんとかいう男の話だと、現時点で無条の闇に対してまともに結界の役割を果たせているのは〝江戸城の結界〟だけだ。時臣は自分で張った最後の結界の破壊することで、勇者たちもろとも無条を滅ぼそうとしている……だから当日は江戸城の守りを固める者と、マヨイガに乗り込む者とに分かれる。そこは作戦どおりだよ」


 四人は改めて各々の覚悟を確かめ合うと、小さく頷いて背を預けていた月海院の壁から離れた。すると――。


「あら? もうお話は終わったのですか?」

「あ、ルナさん」

「こんにちは、先生。お邪魔しています」


 まるで話が終わるのを見計らっていたかのように、月海院の中から藍色あいいろ着物姿に丸めがねの女性――月海院のルナがやってくる。


「最近はすっかり寒いので、湯が沸くのも遅くなってしまいました。お茶を入れましたから、どうぞ中に入って飲んでいって下さいね」

「ありがとうルナっ! ところで、私のお団子は……?」

「ふふ、もちろんありますよ。でも食べる前に、ちゃんと手を洗ってくださいね?」

「わ、わかってるよそんなことっ! 私はこれでも神……じゃなくて、頭脳明晰な超天才ちびっこなのだからねっ!」

「ええ。クロムさんは本当にお利口さんです」

「むぅ……」


 現れたルナに小さな手を引かれ、しかしどこか嬉しそうに親子もかくやという様子で院内に消えるクロム。

 そんな二人の背を、奏汰は微笑えましく思いながら見送った。


「はは。ルナさん相手じゃクロムも形無しだな」

「本当に……ところで、〝今夜〟は神田屋かんだやでしたよね?」

「うん、夕方くらいから始めるって」


 クロムが去った後。

 エルミールは念押しするように奏汰に尋ねた。


「わかりました。私も道場の皆さんと一緒に必ずお伺いします」

「ありがとな。こんなぎりぎりで申し訳ないんだけど……」

「気にしなくていい……やることをやっておきながら、いつまでも夫婦にならないような〝へたれ〟だったら、今度こそ本気でちょん切ってた」

「うえっ!? が、頑張ります……!」


 それは当然、夫婦となる奏汰と新九郎の祝言の話だ。

 

 晴れて夫婦となる勇者屋の二人を盛大に祝うべく、江戸中から多くの人々が神田屋に押しかけるのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る