二人の先へ


「――父上っ! 僕……徳川吉乃とくがわよしのは、こちらにいる剣奏汰つるぎかなたさんと夫婦になりますっ!!」

「…………」


 見事な冬晴れが広がる神無月かんなづきの空。

 世の滅びを目論む時臣の企て、その決行が刻一刻と迫る最中。


 江戸城奥の離れで、分厚い部屋の壁を突き抜ける勢いで放たれた新九郎しんくろう――乙女椿おとめつばきの姫君と謳われる、将軍徳川家晴しょうぐんとくがわいえはるの一粒種の大宣言は、今まさに目の前に座る家晴の心を大いに動揺させ――ることはなかった。


「おう……めでてぇな。好きにしろ」

「やったーっ! ありがとうございます、父上っ!」

「あ、ありがとうございますっ!(新九郎の言ってたとおり、本当にあっさりだった……)」


 突然の愛娘の来訪と輿入れ宣言にも、家晴は特段驚く様子もなくただ頷くのみ。

 変化と言えば、居住まいを正して座る二人を見る目はいつもよりも柔らかく、心なしか口角に笑みの色が濃い様に感じるくらいである。


「前にも言っただろ。とうに俺はお前らのことは認めてる……緋華ひばなを下げさせたのも、あれ以上覗かせるのは野暮だったからだ」

「本当に嬉しいですっ! 僕、奏汰かなたさんと二人で絶対に幸せに……というか、今もとっても幸せなんですけどっ!!」

「俺も吉乃よしのさんと一緒に、これからも二人で支え合っていきます」

「そうしろ……どうせ誰が止めたって、お前らは聞くようなたまじゃねぇだろ」


 夫婦めおととなる。

 

 想い人という概念はあっても、彼氏や彼女といった概念が存在しない江戸の世にあって、相思相愛として通じ合った二人がそうなるのは実に自然なことである。


 だからこそ奏汰も、想いを伝えた際に新九郎が口にした〝それは自分と夫婦になるということか?〟という問い返しに、迷わず〝そうだ〟と答えたのだ。


「それで? 祝言はどうする?」

「そのことなんですけど……祝言を挙げるのは少し先にしようと思ってます。今はみんなも俺たちも、生きるか死ぬかの瀬戸際ですから」

「輿入れのことも、僕が奏汰さんに無理を言ってお願いしたんです……もしみんなで頑張っても駄目で、それで何もかも終わりになっちゃったとしても……その時に、悔いを残したくなくてっ!」 


 家晴に問われ、奏汰と新九郎は共に正直な思いを口にした。


 新九郎の悔いを残したくないという気持ちも、それを受け入れた奏汰も。どちらも互いの気持ちを尊重し、よく話し合って決めたことだった。

 

 そんな二人の姿に、家晴はいよいよもってその笑みを深める。

 そして堪えきれなくなったのか、彼にしては珍しい大きな笑い声を漏らしたのだ。


「くっ……ぷははははははっ! わかったわかった……そういうことなら、お前らの〝二回目の祝言〟は俺に任せておけ。お前らはお前らで、俺たちのことは気にせず好きに祝言を挙げりゃあいい」

「二回目の祝言?」

「どういうことでしょう?」 


 新九郎ですらそう覚えがない家晴の心からの大笑い。

 家晴は足を崩したままにひとしきり笑うと、実に感慨深げな様子で二人に暖かな眼差しを向けた。


「なに……〝俺とエリスも同じ〟だったんでな。どこまで親に似るつもりなんだと思ったら、おかしくて仕方がねぇ」

「父上と母上に?」

「そうだ。俺も将軍になってからエリスと夫婦になるんじゃ、〝色々と面倒〟だったからな。だから俺がまだ〝徳乃新太郎とくのしんたろう〟の間に、さっさと城下で祝言を挙げちまってたのさ」

「ええーーっ!? そうだったんですか!?」


 家晴が語る驚きの事実に、新九郎は目を見開いて声を上げた。


「新太郎として城下で挙げた祝言と、世継ぎとして城で挙げた祝言……俺とエリスはそれで二回も祝言を挙げてんだよ。特に、城下の祝言は幕府もなんも関係ねぇ……気の合う奴らだけ呼んで、好き放題に騒いだもんだ……お前らだって、そっちの方が気が楽だろ?」


 言いながら、家晴の表情はどこまでも優しかった。


 立派に成長した愛娘が、こうして二人の血と想いを立派に受け継いでいるという確かな事実が、家晴の胸を暖かく満たしていた。


つるぎの言うとおり、〝将軍家の吉乃〟として正式な祝言となりゃ相当な手間と根回しがいる。だが〝徳乃新九郎の祝言〟に俺たちは関係ねぇ……お前ら二人、好きにすりゃいい」

「父上……っ! ありがとうございますっ!!」


 そこまで言うと、家晴はそれまで崩していた足を正した。

 そしてその背をぴしゃりと伸ばすと、鋭くも暖かな父としての瞳で目の前の奏汰をまっすぐに見つめた。


「あいつに似て〝どやどやふんす〟と騒がしい娘だが……吉乃は俺とエリスの一番の宝だ。俺たちの娘を頼んだぞ……つるぎ

「はい……っ!!」



 ――――――

 ――――

 ――



「――と、いうわけでっ!! 今までみなさんにはずーっと黙っていましたが……実は僕って、〝江戸一番の天才美少女剣士〟だったんですよっ!! どやーっ!!」

「…………」


 そして翌日。早朝から稽古に集まった勇者屋の面々を前に、新九郎は〝コケコケと鳴くにわとり〟もかくやという晴れ晴れとした声で自らの性別をついに明かした。のだが――。


「うむ」

「知ってたけど」

「とうに〝ばればれ〟であったが?」

「おいおい……今さらなに言ってんだ?」

「あ、あれ……? なんだか、僕の思ってた皆さんの反応とだいぶ違うような気がするんですけど……?」

「う、うん……。多分、こうなるだろうなって俺も思ってた……」


 新九郎にとってはまさに一世一代の告白だったのだが、それを受けた勇者屋一同の反応は実にあっさりとしたもの。

 何を今さらと言わんばかりに、誰一人として驚く者はいなかったのである。


「だって最近の徳乃とくのさん、もう〝どこからどう見ても女の子〟だったし……」

「あまりにも〝あからさま過ぎる〟ゆえ、徳乃殿にもなにか深い理由があるのであろうと、俺も触れずにいたのだが……」

「そ、そうだったんですかっ!?」


 なんということか。日に日に奏汰と男女の仲を深めに深めた新九郎は、その身から溢れ出る日の本一の姫君としての所作と気とを、もはや〝全く隠せていなかった〟のだ。


 奏汰との語らいで見せるあまりにも可憐な笑みも。

 かいがいしく奏汰と勇者屋の面々の世話を焼く細やかな気配りも。

 咄嗟に出る高貴な生まれの女子しか持ち得ぬ所作も。


 その姿を間近で見続けた勇者屋の面々に対して性別を偽り続けるには、どれもあまりに無理筋な振る舞いであった。


「じゃ、じゃあもしかして……ここにいる皆さんだけじゃなくて、町の皆さんにも、もう!?」

「〝大いにばればれ〟であろうな! かっかっか!」

「ぴええっ!? ど、どうしましょう奏汰さん!? 僕が今まで必死に築き上げてきた天才美少年剣士としての評判が、ぼろぼろに崩れちゃいますよ~~っ!?」

「あははっ、それならそれでいいよ。〝俺たちのこれから〟のことも……どうせみんなには話すんだからさっ!」


 その後。


 奏汰の口から打ち明けられた〝もう一つの話〟は、その場にいた一同を今度こそ大いに沸き立たせた。


 未だ現世の行く末は闇。

 

 しかし、たとえ向かう先が闇だとしても。

 必ずその〝闇の先に至る〟ために。

 

 また一つの大きな決断を成した二人は、深い闇と破滅の狭間にあって、眩く輝く門出を迎えたのであった――。

 

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