逃し続けた決断


「貴方の妹が、真皇しんおうに囚われているのですか!?」

「そーいうこと……ま、正直しんどいよ……」


 それが無法の勇者、カルマの理由。

 彼は勇者としても非常に希な、〝兄妹二人で勇者となった存在〟だった。


 しかしカルマと彼の妹は共にこの牢獄へと誘われ、カルマだけが助かり、妹は真皇の闇に飲まれた。

 カルマは闇に囚われた妹を救うため、己の手を血で染めてまでこの地で必死に足掻いていたのだという。


 エルミールがそれを聞いたのは、彼が江戸に来て数年が経った頃。

 すでにエルミールの存在は市ヶ谷いちがやの人々に知れ渡り、もはや隠れ住むことなど出来なくなった後のことだった。

 

「どうしてそんな大事なことを今まで黙っていたのですっ!? もし貴方にそんな事情があったと知っていれば、私も――!!」

「エルきゅんも俺やおっさんみたいに、江戸のやつらをガンガン殺して、ゴリゴリに苦しめてやったのに……ってか? にはは、無理しなくていーよ。そんなの……エルきゅんにできるわけねーっしょ」

「……っ」


 いつもいつもへらりと笑い、決して真意を見せようとしないカルマの言葉に、エルミールはただいきどおることしかできない。

 だがカルマはその仮面越しの横顔に疲れた笑みを浮かべ、隣に立つエルミールの肩をぽんと叩いた。


「こんなクソみてーな場所で、クソみてーなことしてさ……そんなもん、〝やれる奴〟がやりゃいーのよ。それにエルきゅんには、使い方一つで真皇も吹っ飛ばせるかもしれない〝エグいスキル〟がある……汚れ役は俺たちに任せて、エルきゅんは出番まで休んどきなって」

「拒否します……!! 貴方が私を仲間と呼んでくれているように、私にとっても貴方は大切な仲間です!! たとえこの手を血に染めようと、これからは私も貴方たちの力に――っ!!」


 思えば、カルマという男はずっとこうだった。

 自ら汚れ役を引き受け、常に自分を他人より下に語る。

 エルミールはそんなカルマの思いに気づけなかった己を恥じ、すぐさま共に戦うべく気勢を上げた。だが――。


「……はっきり言った方がいいかな? ぶっちゃけ、アンタみてぇに綺麗で真っ当な奴に無理して弱い者イジメを頑張られるのって〝邪魔〟なんだわ。どうせそのうち勝手にメンタルやられて、いきなり日和ひよりだすに決まってる。そんな奴に、てめーの命を預けられるわけねーっしょ?」

「そんな……!? 私は、そんな……!!」

「わかってるって……エルきゅんの気持ちはちゃんとわかってる。大丈夫、アンタのことは俺もおっさんも頼りにしてる……だからここは役割分担かなんかだと思ってさ。エルきゅんも俺たちのことを信じて、まずはここで自分に出来ることを探してみなよ。ね?」


 この時もカルマは、頑なにエルミールの申し出を拒絶した。

 カルマの言葉と厳しい眼差しにエルミールはなにも言えず、やがて多忙を極める江戸の暮らしに流されていったのだ――。


 ――――――

 ――――

 ――


「ねえ、エルミール……次はいつ戻られるのですか?」

「西方の防衛は次の戦いで終わります。冬が明け、来年の春にはここにまた戻ってこれるはずです」

「そう……また、長く会えなくなるのですね」


 遙かなる地平を望む雄大な光景。

 それは、エルミールが忠誠を誓う女王シェレン・ファルランタの居室から見える景色だった。


 王国の騎士であるエルミールと、王族であるシェレン。

 二人は生まれたときから共に城で暮らし、片時も離れることなく共に育った。


 周囲を無数の外敵に囲まれた祖国は常に危機に晒されていたが、少年から騎士へ、騎士から勇者へと立派に成長した英雄エルミールの活躍で、年若き女王となったシェレンと愛する祖国は、無事に繁栄を謳歌おうかしていた。


 そう、エルミールはその時から勇者だった。

 しかしそれは、奏汰かなたやカルマのような勇者とは違う。

 国を救い、主を愛し、ただの少年として生きる勇者。

 少なくともこの時は、まだ――。


「春……貴方がここに戻ってくる頃には、私は東方のライナス皇太子の妻になっているのですね」

「はい、シェレン様……」

「小さく弱い私たちの国を守るには、私の婚姻は必要なこと……そうですよね、エルミール」

「…………」


 まるで確認するかのようなシェレンの言葉。

 その言葉に、エルミールは俯いたまま肩を震わせ……そして、なにも言うことが出来なかった。


「……なにも、言ってくれないのですか?」

「……っ。私は……!」


 震えるままに、ようやく絞り出した声。

 しかしその声は、全てを言葉として伝えるより前に、エルミールを見つめるシェレンの微笑みによって遮られた。


「今までありがとう、エルミール……貴方は、もう十分に私たちのために戦ってくれました。この戦いが終わったら……それからはどうか、貴方の望むように生きて下さい。それが……〝貴方の友人〟、シェレン・ファルランタの願いです」

「シェレン様……」


 結局……彼は祖国の安寧を決める西方遠征からの帰路で異世界に召喚された。


 婚姻を終えたシェレンが、その報せを受けてなにを思ったのか。

 勇者エルミールを失った祖国が、その後も繁栄を続けられたのか。

 闇の中に迷い込んだ今の彼には、知る術もない――。


 ――――――

 ――――

 ――


 神判しんぱんの勇者、エルミール・トゥオルク。


 物心ついた頃より国の存亡を背負っていた彼にとって、誰よりも正しく、立派であろうとすることは義務だった。それが彼の誇りであり、判断の全てだった。


 だがしかし。

 その価値基準のために、彼は数多の決断を逃してきた。


 自らの益となることも。

 不利益となることも。


 正しくあろうとすることが彼の願いを殺し、彼の決断を殺してきた。



〝ちょっとは自分勝手にやってみたらどうなん? それがエルきゅんの言ってる、勇者ってやつなんじゃねーの?〟


〝お願い……あなたがそっち側で動けないのなら、私たちに力を貸して……! わたしたちと一緒に……わたしとあの子の、大好きなお母さまを助けて……っ!〟


〝この戦いが終わったら……それからはどうか、貴方の望むように生きて下さい〟



 今、エルミールの脳裏によぎるのはカルマの言葉。

 緋華ひばなの懇願。敬愛する主の思い。そして――。



〝わたしの仲間が来たら……伝えてください……〝戦ってはだめ〟って……つるぎさんと……あなたをしんじて……おはなしを……して――〟



 命を賭して自分たちのために戦い消えた……もう一人の友の言葉だった。 


 小さくとも正しくあろうとする彼を想い、伝えられたいくつもの言葉。

 それは石像のように固まり動けなくなっていたエルミールの足を前に……確かな一歩を踏み出す後押しとなった。

 

「わかりました……緋華さん」

「……?」


 カルマが去った道場裏。

 近づいてくる門下たちの足音を耳に受けながら、エルミールは呟くように言った。


「〝貴方たちに協力します〟……そうすることが、私の大切なもの全てのため……そして、私自身のためだと信じます……!」 


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