決断の先へ


「では皆さん! 明日の台覧試合たいらんしあいの勝利を祈願し、今夜は心ゆくまで鋭気を養いましょう!!」


 粗末だが広々とした公正館こうせいかんの道場。

 すでに外は日が暮れ、夏虫の鳴き声に秋の鳴き声が混ざる。


 師範にして道場主であるエルミールのかけ声を合図に、道場に集まった門下たちは、道場の板間いたまに並べられた豪勢な料理に次々と手を伸ばす。


 市ヶ谷八幡宮いちがやはちまんぐうでの台覧試合はいよいよ明日に迫った。

 今夜の宴は、その決起集会である。


「頑張れよ春日かすが! 俺たちは応援しかできんが、必ず赤龍館せきりゅうかんのやつらを倒してくれ!」

三郎さぶろう殿も、拙者たちの師範代は伊達ではないところを今度こそ目に物見せてくれ!」

「もちろんよ! この二週間、木刀での稽古はめいっぱいやってきた。さんざん威張り散らしてるあいつらに、どっちが上か思い知らせてやる!」

「公正館と太助たすけの名を落とすような無様は二度と見せねぇ。つるぎ徳乃とくのがいるのは心強ぇえが、二人はあくまで助っ人……先鋒次鋒せんぽうじほうの春日と俺で片を付けてやるぜ」


 公正館代表として意気を上げるのは、剣術小町の春日と師範代の三郎だ。

 三郎の言葉通り、公正館の代表は実質彼らとエルミールの三人。


 本来であれば師範代の三郎が座るのは副将だが、奏汰かなた新九郎しんくろう……特に剣においては無双を誇る新九郎に頼りきりではあまりにも不甲斐ないと、三郎自ら次鋒での出場を申し出ていた。


 二人の前にはこんがりと焼かれたたいの塩焼きが置かれ、他にも様々な魚介や握り寿司がずらりと並べられている。

 試合の前日とあって酒は禁じられていたが、それ故に門下達の士気はいやがおうにも高まり、和気藹々わきあいあいとしながらもぴんと張り詰めた緊張感が漂っていた。


「今回のこと……ありがとな、太助たすけさん」

「……私が皆さんと共に歩むと、そう決めたことですか?」


 そしてまた別の一角。

 そこにはエルミールと奏汰、そして新九郎と緋華ひばなが円を組んで食事に興じていた。


「それだけじゃない。俺たちの所に最初に話し合いに来てくれたのは太助さんで、その後一緒にいてくれたのも、俺に剣の稽古をつけてくれたのも、全部太助さんだろ? 世話になりっぱなしだ」

「僕もそう思います……太助さんとお話ししてみて、静流しずるさんがどうしてあんなに必死に戦ったのか、すごく良くわかりました。きっと静流さんにとっても、太助さんは大切な友達だったんだと思います」


 そう言って、奏汰は改めてエルミールに頭を下げる。

 

 カルマの来訪の後、エルミールは現世勢力への協力を決意した。

 いまだ家晴いえはる夕弦ゆうげん以外の者にはエルミールの協力は伏せられているが、彼がもたらしたいくつかの情報は早速緋華を通じて幕府へと伝達されている。


 道場に現れたカルマが予告した、〝江戸襲撃計画〟の標的となるであろう場所や、日枝神社ひえじんじゃに施された真皇しんおうの封印がすでに決壊寸前であることなど。


 それまで受けに回らざるを得なかった幕府側も、エルミールの協力によって能動的に警戒を行うことが可能となっていた。


「そんなことはありません……緋華さんからも言われました。ここに来て七年……私は数え切れないほどの人々に助けて貰ったのに、皆さんが苦しむのを傍観ぼうかんしていたんですから……」

「……けど少し時期が悪かった。今の幕府は〝皇族のもてなし〟で動けない。あなたとの詳しい話も、台覧試合の後にならないと無理」


 俯くエルミールの気落ちを遮るように、緋華は幕府の現状を語る。

 それは彼女にしては珍しい、己の咎を悔やむエルミールへの気遣いのようにも見えた。


「でもでもっ! 事前に鬼が出るってわかっただけでも良かったですよ! なんの備えもないのとじゃ、天と地ですもん!」

「だな。おかげで俺たちも、試合に来る〝偉い人たちの護衛〟って理由で試合に参加できる。明日に鬼が出るかはわからないけど……きっと可能性は高い。気を引き締めていこう」


 緋華の言葉通り、現在の幕府城内は〝皇族ご一行〟の警護ともてなしで忙殺ぼうさつされていた。

 現代の感覚であれば、現世の崩壊がかかる状況でなにをと憤るところであろうが、文政ぶんせいの世にあっても皇族の重みは決して軽んじることはできない。


 まつりごとに関与せぬ家晴ですら、皇族に対しては表だって刃向かうことはしない。

 それほどまでに、上方かみかたの権勢はこの国に脈々と受け継がれていた。そして――。


「ねぇ……どうしてわたしたちを助ける気になったの?」

「それは……たった今お話ししたとおりですよ。私は、ここで皆さんから受けたご恩をお返ししようと……」

「違う。わたしが聞きたいのは、そうするって決めた理由」


 そしてその時。

 円となって座る四人の中で、ちょうどエルミールの正面にいた緋華が切り出す。


「あなたが恩を返したかったのは、ずっとそうだったはず。でも今までそうしなかった……それなのに、どうして?」

「……緋華さんには、私のすべてを見透かされてる気がします」

「答えて。わたしはとても気になってる」


 緋華の言葉に、二人の様子を横から見る奏汰と新九郎は思わず息を呑む。それほどまでに緋華の言葉は鋭く、真っ直ぐだった。

 

「……カルマのためです」

「あいつの?」

「はい……カルマは、私よりもずっと重い理由を背負ってここで戦っています。それなのに彼は、私が皆さんと深く関わることを許し、皆さんを傷つけることを止めようとしました……そんなことをすれば、彼の願いは〝遠ざかってしまう〟はずなのに……」


 そんな緋華の問いに、エルミールもまた彼女の視線を正面から受け止めて応じた。


「でもそうじゃなかった……カルマが私をずっと守ってくれていたのは、もしかしたら、いつか〝こうなった時のため〟だったのではと……そう気付いたんです」

「こうなった時って……どういうことだ?」

「それって……カルマさんは最初から、太助さんを〝僕たちと協力させようとしてた〟……ってことですか?」

「そうです……カルマはきっと、私たちの方法以外の術もずっと探していたのでしょう。そこにつるぎさんが現れ、あの静流さんが貴方たちに道を託した……」


 エルミールの語るカルマの真意。

 カルマという男を良く知るであろうエルミールの言葉に、まだ彼をよく知らぬ三人もそれぞれに思いを巡らせた。


「一度黒に染まりきれば、黒以外の道は選べなくなる……だからあの男は、あなたを黒に染めずにいたかった……?」

「そういう人です……そしてそういう人だということに……私はカルマにあそこまで言われて、やっと気付いた……」


 それは果たして、エルミールの自分勝手な解釈だったであろうか?

 しかし今の彼の言葉に、そのような疑念はない。


 静流のために。

 カルマのために。

 闇に囚われた仲間のために。


 これまで己が動かなかったことで失われた、大勢の命のために。


 奏汰たちと共に全てを救う。

 どちらか一方のみを救うよりも、遙かに過酷な道を進むと。


「きっと私は、これからも何度となく迷うでしょう……ですがそれでも、今度こそ私は私の大切なもののために戦う……! みなさんと……今日まで私を守ってくれたカルマたちのために戦います!!」


 ようやく己の道を歩み始めた少年。

 友と仲間によって灯された少年の決意の篝火は、今まさに彼の心で燃えさかっていた――。


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