勇者の帰還


つるぎ……吉乃よしの……あいつら、ついにやりやがったな」


 弾けた光と闇の先。

 あらゆる光景を抜けた先。


 自らの戦いを終えた将軍家晴いえはるは、平時の姿を取り戻した江戸城で、七色の虹が架かる暁の空を見上げていた。


「神の力が、流れて落ちていく……クロムさん……」


 家晴の傍で同じくその光景を見つめていたルナは、真皇しんおうによって破壊された世界を癒やす膨大な力が、自分たち勇者ではなく神のものであることに気付く。


 そしてただ一言、『すぐに戻る』とルナに伝えて天に飛び立った大切な少年の姿を想い、彼が下した〝決断の重み〟を想って自らの胸を押さえた。


 今、その場だけでなく江戸に住む全ての人々が夜明けの空を流れる数千、数万の光をその目で見ていた。


 江戸の空を埋め尽くす数多の流星。


 その正体は、全ての力を異世界の修復に注ぐ神々の光。

 そして真皇の闇から解放され、ついに自らの望む地へと帰還する、偉大な勇者たちの光だった。


「すごい……なんて綺麗……」

「どうやら、つるぎたちは闇を討ち果たしたようだな」

つるぎが勝った……! これからはもう、誰も鬼に怯えて暮らさなくていいんだ!!」


 最後まで死力を尽くして戦い抜いた春日かすが、そして宗像むなかた三郎さぶろうといった勇者屋の面々がその光景の真相に気付き、喜びの声を江戸城の内庭に轟かせる。


 やがてその声は江戸城の石垣と塀を越え、江戸の全てを歓声と祝福の連鎖で満たした。そして――。


「…………」


 歓喜に沸く侍たちの輪から外れ、目の前に広がる光景に全てを悟った龍石時臣りゅうごくときおみは、敷き詰められた白州の上で一人神妙な表情を浮かべていた。


「ようやく大人しくなったな……この期に及んで腹でも切ろうもんなら、もう一発ぶん殴ってやるつもりだったが……」

「……俺は取り返しのつかぬ過ちを犯した。自刃などと……俺一人でその咎から逃げるつもりはない」


 たった今目の前で起きた全ての奇跡をその目に焼き付けた時臣はそう言うと、現れた家晴に己の首を差し出した。


「承知のとおり、此度の騒乱はこの俺が招いたこと……全ての責は俺にある。この命……いかようにでもするがいい」

「チッ……前言撤回だ。だったらテメェが本当にこれからやらねぇといけねぇことを、自分の目で確かめてみるんだな……」


 時臣の言葉を聞いた家晴は忌々しげに舌打ちすると、視線で時臣に後方を見るよう促した。


「父上ぇえええええっ!! 徳川吉乃とくがわよしの、立派に務めを果たして只今無事に戻りましたぁあああああっ!!」


 家晴に促された時臣が振り向いた先。


 そこにあったのは、虹色の光翼を展開した剣神リーンリーンが、その純白の巨体に奏汰かなた新九郎しんくろうを初めとしたマヨイガへの突入組を乗せて暁の空から舞い降りてくる光景だった。

 

「にゃはははは! 今まで溜めに溜めた俺の鬱憤、全部まとめてぶっ放してきてやったよん!!」


 暁の日を浴びて燦然さんぜんと輝くリーンリーンの肩を見れば、そこには最愛の妹であるツムギを救い出したカルマが、妹とともに笑みを浮かべて手を振っている。


「囚われていた勇者たちも全員無事です……これでようやく、彼らも故郷に帰ることが出来るでしょう」

「…………」


 同じくリーンリーンが穏やかに差し出した手のひらの上には、己の責務を果たした充足感に力強く頷くエルミールの姿。

 しかし彼の隣に立つ緋華ひばなはなんとも言えぬ表情を浮かべ、じっとエルミールの横顔を心配そうに見つめていた。


「いぇーい!! 僕もやっと帰って来れたよー!!」

「このドヤ女……さんざん待たせやがって……っ」


 そして江戸城の内庭へと舞い降りたリーンリーンの頭部からひょいと顔を出し、そのままの勢いで躊躇無く家晴の元へと飛び降りる緑髪の小柄な女性――エリスセナ。

 彼女の姿を見た家晴はその言葉とは裏腹に喜びも露わに両手を伸ばすと、十年ぶりに最愛の妻の身をその腕に抱きしめた。


「えへへ……ただいま。ごめんね……ずっと新太郎を一人にして……」  

「まったくだ……もう、どこにも行くんじゃねぇぞ……っ!」


 そして――。


「――時臣さん」

「超勇者……」


 帰還した勇者たちの中央。

 リーンリーンの胸部から放たれた光から、新九郎と共に〝一人の少年〟を抱いた奏汰が時臣の前に現れる。 


「ひかるを……救ってくれたのだな……」

「いや……この子を助けたのは〝俺たちじゃない〟よ」

「……?」


 奏汰は新九郎と共に時臣の前に進むと、すやすやと穏やかに眠るひかるをそっと時臣の腕に預けた。


「この子を助けたのは〝時臣さん〟だ……俺たちは、時臣さんの言葉をこの子に伝えてきただけだから」

「俺の、言葉だと……?」 

「はいっ! ひかる君を助けて欲しいっていう時臣さんの気持ちを、僕たちみんなでひかる君に伝えたんですっ! ひかる君も、とっても嬉しそうでしたっ!!」

「ほーーっほっほっほ! そのとおりぞ時臣よ! この我ですらお主のあの言葉かみんぐあうとには歓喜の涙を抑えられぬほどであったが……当のひかるにとっては、それ以上の意味を持つ言葉であったということよ……」

「む、無条むじょう……!? なぜ……!?」


 自分たちは、時臣の想いを伝えただけ。

 そう言って笑う奏汰と新九郎に続き、何事も無かったかのように五体満足で現れた無条の姿に、時臣は思わず目を丸くして呻いた。


「闇に囚われていたみんながこの世界に残した〝最後の願い〟……それは、時臣さんとその子がまた一緒に暮らせるようになることだったんです。誰も、時臣さんとひかるさんにこれ以上苦しんで欲しいなんて思っていませんでした……っ」

静流しずる……お前も、無事だったのだな……」


 声を上げたのは無条だけではない。

 時臣に偽りの真実を教えられ、それによって更なる苦しみを味わったはずの静流もまた、全てを知った上で時臣とひかるの行く末を案じていたのだ。


「これでわかったか……? てめぇに断を下すのは、はなから俺たちじゃねぇんだよ……」

「それでも、もし時臣さんが少しでも何かしたいと思うのなら……これからは、その子の傍にいてあげて欲しい。それが俺たちが見た、その子の一番の幸せだったから……」

「ひかるの……幸せ……」


 すでに、奏汰も家晴も。

 闇に囚われていた数万の勇者たちも。


 誰も時臣を断罪しようなどとは思っていない。


 最愛の妻を奪われ、鬼によって苦しめられた家晴の憎悪は先に放った渾身の一太刀に乗せて散華した。


 奏汰を初めとした勇者たちの想いも同じ。


 他ならぬ時臣自身こそが、神々の始めた世のことわりの果てで〝この地に囚われた一人の勇者〟だったのだと――とうに答えは出ていたのだから。


「わかった……俺はもう二度とひかるの傍を離れぬ。ひかるの父として……二度と我が子から目を背けるようなことはせぬと、この恩にかけて誓う」

「無論、今後は我も二人と一緒におるぞよ! 時臣を父と思うておるのは我も同じ……ひかるも時臣も、我にとっては大切な家族じゃからのう!!」

「家族……? そうか……俺たちは家族……俺たち三人で、家族なのだな……」


 家族。


 穏やかに眠るひかるを腕に抱く時臣と、その時臣に涙ながらにしがみつく無条。

 数奇な運命の果てに生まれ、しかし千年もの間決して交わることのなかった三人の家族の道が、ようやく一つに交わったのだった。


「超勇者……いや、剣奏汰つるぎかなたよ」

「なんだ?」

「感謝は要らぬと……お前たちは俺にそう言ってくれたな。だがそうだとしても、やはりこれだけは言わせてくれ……ひかるを……無条を……〝俺の家族〟を救ってくれて……ありがとう」


 その言葉と共に、時臣は奏汰を初めとした現世の者達全てに対して頭を下げる。

 やがて時臣は再び顔を上げると、家晴との対峙で叩き折れた自らの刀を、腰帯から外して奏汰へと差し出した。


「そして、俺はここに〝力と剣とを置いていく〟……たとえお前たちが俺の責を問わぬとしても、俺がこの剣で多くの命を奪い、多くの運命を狂わせてきたことは紛れもない事実……この程度で到底済むものではないが……そのけじめはつけさせてもらう」

「時臣さん……」

「家族と共に暮らすに剣は要らぬ……思えば、同じ力を持った者として、お前はこの地に墜ちたあの時から、すでに俺などよりもはるか高みに至っていたのだな……」


 時臣のけじめとは、かつて奏汰が迷い苦しんだ、強大な力を持つゆえの苦悩と驕りからの決別。

 力によって自らの願いを通し、他者の願いを潰して進む因果の螺旋からの決別だった。だが――。


「そんなことないよ……俺だって、時臣さんと同じだった。ずっと一人で全部やろうとして……色んな人の願いから目を逸らして戦ってきたんだ。だけど――」


 だが、そうして来たのは超勇者である奏汰もまた同じ。


 時臣がこの地で成そうとした行いと、奏汰が百の異世界で成した行いに、果たしてどれほどの違いがあるというのか?


 時臣から差し出された刀を受け取った奏汰はそう思い至り、しかしやがて自身と時臣とを〝決定的に隔てた存在〟――今この時も彼にぴったりと寄り添う最愛の少女――新九郎へと目を向けた。


「……ありがとな、新九郎」

「ええええっ!? い、いきなりどうしたんですっ!? 僕、またなにか奏汰さんに感謝されるようなことしちゃいましたっ?」

「いつだってしてくれてるよ。初めて会ったあの時から……ずっと!!」


 最愛の家族をその腕に抱き、ついに剣を置いた時臣。

 その時臣と同様。奏汰もまた、この地で出会い繋がった新たな家族に微笑み、その身を優しく抱き寄せた。


 太平の時を取り戻した江戸に、七色に輝く朝日が昇る。


 後の歴史書に〝文政ぶんせい大暗たいあん〟と呼ばれ記された恐るべき〝天災〟は、現世に生きる者たちと、この地に集った数多の願いによって退けられたのである――。


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