勇者の確信
「――失礼します。こちらの方が、目を覚まされないというお母様ですね?」
「お、おいっ! 本当に、おっかあを助けられるんだろうな!?」
うだるような暑さの夏。
江戸の街中を離れ、
今、その村のさらに外れにある一軒の家に、
「出来る限りのことはやる……俺たちを信じてくれ」
「っ……ちくしょう……たのむよ……おいらはなんでもするから……おっかあを起こしてくれよっ!!」
「すぐに診察を始めます……申し訳ありませんが、皆さんにもお手伝いをお願いしてもよろしいですか?」
「は、はいっ! もちろんですっ!」
「頼んだよ、ルナ」
ここは
自分達だけでは傷ついた少年の心を開けぬと判断した奏汰は、幕府公認の町医者である
全てから裏切られたと心を閉ざしていた少年だったが、町医者としてのルナの実績と優しさに、ついに母を診て欲しいと懇願したのだった。
「目立った外傷はなし……骨折したという左足首も、問題なく治癒しています」
「あの嘘つきは、たしかに奇跡には終わりがあるって話してた……けど、その後どうなるかなんて一言も言わなかったんだ!! こうなるってわかってれば……おいらもおっかあも、あいつに頼んだりしなかったのにっ!!」
「一つお尋ねしますが……貴方のお母さまは、こうして眠りについてから間もなく一月が経つのですよね?」
「そうだけど……」
「その間、満足に水を取ることも、食事を取ることも出来なかったはず……なのに、お母さまの体は健康そのもの……なぜこのようなことが?」
それは明かに異常な状態だった。
少年の母はこの一ヶ月、生命としてのあらゆる営みをせずに、まるで時が止まったかのように眠り続けていた。
それも、その肉体は一切の衰弱を見せぬままである。
「診てくれてありがとう、ルナ。ここからは奏汰に頼めるかい?」
「わかってる……ルナさん、次は俺が」
「お願いします。残念ですが、私の知識ではこれ以上のことは……」
診察を終え、困惑するルナに代わり奏汰が前に出る。
クロムに促された奏汰はその手に〝緑光の輝き〟を灯し、少年の母にそっと手を添えた。
「お、おい……!? おっかあに変なことするなよ!?」
「大丈夫です……奏汰さんなら、きっと!」
意識を集中させる奏汰。
そしてその横で、クロムもまた奏汰と共に目立たぬように集中を行う。
奏汰の持つ緑の輝き――〝癒やしの緑〟は、ただ肉体が受けたダメージを治療するだけの力ではない。
呪いや毒、精神汚染や石化のような、心身に影響を与えるあらゆる外的障害に抵抗し、癒やしきる〝万治のチートスキル〟なのだ。そして――。
「〝見つけた〟……」
「俺にも見えた。やっぱりこの力は……」
「どうやら、
「わかった!」
瞬間。奏汰とクロムはほぼ同時に〝なにか〟に気付く。
奏汰がまとう柔らかな緑光が瞬時に紅蓮の炎に似た〝滅殺の赤〟に切り替わり、母の深部に潜んでいた〝それ〟を焼き尽くしたのだ。
「か、奏汰さん!?」
「おっかあ!?」
奏汰が放った赤い光が弾ける。
同時に母の体内から灰色の光が恐ろしげな影となって浮かび上がり、断末魔のような悲鳴を上げて木っ端微塵に砕け散った。すると――。
「あ……?」
「あ……ああ!? おっかあ!!」
「わ、わたしは……ここは……? こちらのみなさんは?」
なんということか。
奏汰の力を受けた少年の母はわずかなみじろぎと共に目覚め、彼岸の奇跡によって治癒した傷も開くことなく、歓喜のあまり飛びついた少年の体をひしと受け止めて見せたのだ。
「ふう……なんとかなったな」
「やった……やりましたよ奏汰さんっ!! よかった……本当に良かったですっ!!」
「すごい……本当に、何度見ても
涙を流して喜ぶ少年と、事態を飲み込めていない母。
奏汰とクロムはそんな二人の姿にまずは安堵の一息をつくと、しかしすぐに気を引き締めて互いに目を見合わせた。
「けど、これではっきりした」
「やはり……彼岸の力は、間違いなく〝勇者のもの〟だ」
「じゃあ、やっぱり彼岸さんは奏汰さんと同じ……」
縋るような目を向ける新九郎に目だけで頷き、奏汰は一人立ち上がって外の景色に目をこらした。
たった今、少年の母に巣くっていた灰色の光。
昨日クロムが行使した感知では探れないほどの奥深くに隠されていたそれは、まごう事なき勇者の力だった。
「でもそうだとしたら、どうして彼岸さんはこんなことを!?」
「さあね……だけどこの力は、これまでに彼岸が救った〝全ての人間に埋め込まれている〟可能性がある。君たちが話していた
クロムは真剣な面持ちのまま、何事かを考える奏汰に自らの目算を伝える。
彼岸の狙いは依然不明だが、先日奏汰たちの元を訪れた
「どうする奏汰……? 恐らく、今ので彼岸も君の存在に気付いたぞ」
「だろうな」
奏汰は呟き、たった今打ち砕いた灰色の光の
「勇者の始末は俺がつける……それが、超勇者の役目だ」
――――――
――――
――
「〝私の力〟が一つ消えた……まさか、こんなに簡単に壊すなんて……」
「みゃー……」
夏の夕暮れ。
涼やかな風が流れる隅田川のほとり。
ひぐらしの鳴き声が響くあぜ道の上に、一人の少女と前足を怪我した小さな子猫の姿があった。
「にゃー」
「良かったね……元気になって」
手当をされた前足を確かめるように動かすと、子猫はやがて少女に感謝を示すかのようにその白い手の甲に頬をすりつける。
「みゃー……みゃー……」
「ううん、それは先生のおかげ……私みたいな〝嘘つき〟とは違う。本当に命を救うことのできる、立派なお医者様のおかげ……」
少女はそんな子猫をもう一方の手で撫でながら、寂しそうに呟いた。
〝医者になりたいだと!? 医者は私たちの教義に反する悪魔の仕事だ……そんなことが許されると思ってるのか!?〟
〝そんなことをしなくても、毎日ちゃんと祈っていれば、神様はきっとみんなの命を救って下さいます。さあ、
〝嘘だとか本当だとか、こっちはそんなことどうでもいいんですよ! お願いします勇者様、一刻も早く私たちをお救い下さい!!〟
その少女の――
「本当は、私も先生みたいになりたかった……みんなの命を、本当に助けられる人になりたかった……」
「みゃー?」
「私には〝嘘しかない〟から……毎日必死に祈っても、勇者になっても……嘘つきの私は、嘘で助けることしかできない……」
それは――諦めにも聞こえる呟き。しかし静流はすぐに首を振ると、弱気を振り払うよう瞳を閉じる。
「だけど――」
そして再び彼女の
その前髪に隠れた澄んだ瞳に、強大な力を宿した灰色の光がはっきりと浮かぶ。
刹那。彼女の周囲でほんのわずかに大気が渦を巻き、背の高い草がざわざわとなびいた。
「それでも……私は負けません」
そう言い残し、静流はまだ足が治りきっていない子猫を優しく抱きかかえると、一人静かにその場から立ち去ったのだった――。
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