素顔の決意


「なぜです!? なぜ私たちの助力を拒むのですか!?」


 それは、無限に続く回廊の先。

 闇に塗り込められ、曲がりくねった道の最果て。

 時も場所も定かではない巨大な拝殿はいでんの奥。


 濃紺のうこんの着流しをまとい、流麗な銀の仮面を付けた小柄な体躯の青年が、目の前に座る狐面の法師――彼岸ひがんに向かって疑問の声を投げかけていた。


「それについては何度も申し上げたはず……いかに此度こたびの私の計画が成されようと、未だ江戸には〝二つの結界が残る〟のです。ここで皆様の存在が明るみとなってしまえば、残る結界の破壊はより一層遠ざかりましょう……」

「待ちなよ彼岸ちゃん。だからって、俺たちにここで大人しく見てろってのは違うっしょ。前までならともかく、今はかなっちまで出張ってくるんよ?」


 青年と彼岸の応酬を遠目からみやりつつも、やはり彼岸に異を唱えるのは、褐色肌に赤茶けたざんばら髪のカルマだ。


「後のことを心配するのもわかるけどさ、彼岸ちゃんが危ない目に遭う方が俺もエルミールもずっと嫌なワケ。わかるっしょ?」


 カルマは相変わらずのへらり顔でエルミールと呼んだ青年の横を通り過ぎ、微動だにしない彼岸の前にしゃがみ込んで視線を合わせる。


「存じているからこそ、こうして念押ししているのですよ……山王祭さんのうまつり襲撃が決行されれば、その成否にかかわらず、私はしばらく表舞台には立てないでしょう……そうなれば、また何年もの間時を待たねばなりません」

「だったら、なおさら無茶はだめだよ……この三年で必死こいてため込んだ君の力を全部ぶち込んで、ようやく一個の結界が壊せるかもってとこまできたんだろ? 変な意地張ってないでさ……俺たちみんなで、ど派手にやってやろうじゃねーの!」


 そのカルマの言葉に、普段の茶化すような色は一切ない。

 カルマは計画遂行を前に気をたかぶらせる彼岸をなだめるように、支えるようにして自分も力になると伝えた。しかし――。


「いいえ。もし皆様が私の意思を汲んで下さらないのであれば、私は此度の日程を変更し、独力で実行に移します」

「なんでさ!?」

「なにをそこまで焦っているのです!? これまで誰よりも慎重に計画を前に進めてきた貴方が、なぜ今になって急ぐ必要があるのです!?」


 だがしかし。彼岸はがんとして首を縦に振らなかった。

 座敷の上にりんと座り、居住まいを正す彼岸の佇まいには、どこまでも強固な意思が感じられた。


「……〝超勇者と会った〟のだな」

「…………やはり、貴方に隠し事はできませんね、時臣ときおみ様」


 その時。彼岸の背後から大きな人影がぬっと現れる。

 それは派手な紅蓮ぐれんの着流しをまとった筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの大男。

 時臣と呼ばれた大男は、そのままどっかと彼岸の目の前に腰を下ろすと、憤怒ふんぬの隈取りが施された漆黒の仮面越しに彼岸をじっと見つめた。


「それほどの相手だというのか、あの男は」

「ええ、そうです。彼が現れなければまだ猶予もあったでしょうが……現れてしまった以上、時をかけるわけにはいきません。それに、気がかりは〝彼だけでは〟……」


 だがしかし。奏汰かなたに続き、懸念を抱く〝もう一人〟についての言葉を続けようとしたところで、彼岸は不意に口をつぐむ。

 その際の彼岸の脳裏には、先日教団の屋敷で対面した新九郎しんくろうと、その記憶の中に見た〝一人の女性〟の姿があった。


「ならばなおのこと、私たちの総力をもって彼を打倒し、その上で改めて結界を壊せば良いではないですか!?」

「はてさて……そうしたところで勝てる相手でしょうかねぇ? 私の見立てでは、あの方は今ですら私どもと互角か、それ以上かという底知れぬ強さをお持ちです……時が経てば、その力はいや増すばかりでしょう」

「今ならば、お前一人でも倒せるというのか?」

「一つだけ〝奥の手〟がございます……しかし私の奥の手は、敵味方のへだてなく滅ぼす禁忌きんきの力……皆様がいては使えませんので……」


 時臣の射貫くような視線を正面から受け止め、彼岸は一切の淀みなく自らの覚悟を口にした。


「この三年、私はこの世の命から膨大な闇を吸い上げました。いかにあの方が勇者を越えた勇者……超勇者といえど、そう易々とは打ち破れぬはず」

「死ぬことは許さんぞ……たとえお前に〝帰る理由がなくとも〟、共に我らの大願成就を見届けると……そう誓ったではないか」

「死にませんよ……ここにいる皆さんを、無事に元の世界に送り届けるまではねぇ……」

「彼岸ちゃん……」


 それは、仲間である勇者たちですら言葉を失うほどの壮絶な決意。彼岸はただまっすぐに前を向き、迫り来る己の運命にただ一人対峙していたのだ。


「どうか、私を信じてお任せ下さいませ……私はここで皆様と出会い、生まれて初めて心から安らげる日々を過ごすことができました。今の私がこうしていられるのも、皆様のおかげなのです……」


 彼岸はそう言うと、その細い両手で自らの顔を覆う狐面に手を添え――ゆっくりと外した。


「みんな……今までありがとう。ずっと嘘つきだった私だけど……この気持ちだけは、絶対に嘘じゃありません。私が持つ〝天恵てんけいの勇者〟の名にかけて……必ず、みんなの力になってみせます」


 不気味な狐面から現れたのは、黒く長い前髪がなびく、かつて奏汰と新九郎の前で静流しずると名乗った少女の柔らかな素顔。

 前髪の下に隠された少女の瞳には、決して揺るがぬ勇気と決意の火が灯っていた――。



〝舞へ舞へ勇者

 舞はぬものならば

 魔の子や鬼の子にゑさせてん 

 踏みらせてん

 まことに美しく舞うたらば

 生まれし世まで帰らせん〟


 しゃらん。

 しゃらん。


 鈴が鳴る。

 何処いずこより聞こえしわらべ歌。


 一人。

 それは超勇者――剣奏汰つるぎかなた

 

 一人。

 それは天恵の勇者――柚月静流ゆづきしずる


 共に生まれし世から神の手によって連れ去られながら、今日まで必死に生き抜いてきた二人の勇者の道。

 そのどちらかが江戸の地で潰える時が、刻一刻と近づいていた――。

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