四
夏祭り
正式名称を
祭りは二日にかけて行われ、江戸の町中を壮麗な山車と祭礼行列が練り歩く。
その途上では本来平民が立ち入ることの出来ない江戸城内へと行進し、時の将軍への上覧すら許されているほどであった。
「わぁー! 見て下さい
「じゃあ、俺はこっちの丸いやつで」
「わかりましたっ。ではこっちのうさぎさんと、この丸いのくださいっ!」
「へいまいど!」
「ん……この飴、懐かしい味がする……」
「これはしょうが飴ですね。僕も子供の頃、お城の女中さんに作って貰ってました」
「しょうが飴か。それなら俺も食べたことあるかも」
すでに空は暗く沈んでいる。
しかしその闇は江戸から放たれる祭りの灯と、ひっきりなしに打ち上げられる花火によって払われていた。
行き来する人の多さは、足の踏み場も定まらぬほど。
いつしか二人は自然と互いの手を取り、人混みの中をはぐれぬように歩いていた。
「雰囲気は俺の知ってる祭りと同じだけど、やっぱりお店は全然違うんだな……
「どれもこれも、お祭りのために用意した
物珍しげに辺りを見回す奏汰に、頭に〝三つものお面〟をくくりつけ、奏汰と繋いでいない方の手に串団子と焼き魚、さらには飴菓子までも持った新九郎が満面の笑みで答える。
「そんなに食べて大丈夫か?」
「僕のことなら心配ご無用っ! 腹が減ってはなんとやらってやつですよ。もぐもぐ、うまうま……ぷはー!」
「はは、相変わらずいい食べっぷりだな」
時刻は間もなく
このまま宴は夜通し続き、夜明けと共に江戸市中をぐるりと回る
二人が歩く街道では今も
本陣の祭列が江戸城内で将軍への
「
「あれから、
「うん……」
少年の母を無事助け出してすぐ。
彼岸の正体を勇者と看破した奏汰は、即座に教団の本部に赴いた。だが――。
「クロムの言ったとおり、彼岸はどこにもいなかった……俺が来るのもわかってたのかもしれない」
彼岸が残した〝灰の光〟と対峙してから祭りまでの二日間。
結果として、奏汰とクロムの力をもってしても彼岸の居場所は掴めず、教団の企てを事前に阻止することはできなかった。
「その……ここまできてなんですけど。本当に彼岸さんは悪い人なんでしょうか……? お母さんの目が覚めなかったのも、もしかしたらなにか別の理由があったとか……」
「彼岸も俺みたいに、ここに〝迷い込んだだけの勇者〟で……カルマとも無関係で、純粋にみんなを助けようと思ってあんなことをしてるのか……俺も本当なら、それを祭りの前に確かめたかったんだけどな」
「奏汰さん……」
新九郎のそれは、とうに遅すぎる迷いだった。
しかしそれでも、思いがけず彼岸の心を垣間見た新九郎は今もまだ彼岸の善悪に対して悩み、決意を固めきれずにいた。
彼岸が救済と称して誰彼構わず力を埋め込み、よからぬ事を企んでいたのなら……なぜ新九郎には〝それをしなかった〟のか?
新九郎にはもう一度彼岸と会い、直接尋ねたいことが山ほどあったのだ。だから――。
「僕……もっと強くなりますね……」
「……急にどうしたんだ?」
「母上のこと……彼岸さんが思い出させてくれたんです。まだ、全部を思い出したわけじゃないんですけど……」
彼岸との
思えば、新九郎が自らを〝僕〟と呼ぶようになったのも。
将軍である父に
全ては、最愛の母を鬼の手で失ったことが切っ掛けだった。
「強くなってみんなを守りたい……それは、僕自身が二度とあんな辛い思いをしたくないって思ったからなんです。それなのに僕は、今も奏汰さんや姉様や、他のみんなにも守られてばかり……それどころか、もしかしたら彼岸さんにも……」
「…………」
「だから……今よりももっと強くなりたいんです。僕のこの剣で……奏汰さんや、みんなのお力になりたいんですっ!」
その新九郎の言葉に、奏汰はいつのまにか自分が彼女を戦友ではなく、〝守るべき存在〟として見ていたことに気付く。
江戸一番のお調子者で青二才。
自分にも他人にも、なにもかにも甘く。
優しすぎるその性格は、情無用の戦いにおいて全くの不向き。
だがそれらの性質は戦いには不向きでも、過酷な戦いで傷ついた奏汰の心の癒やしであり、新九郎の長所でもあった。
だからこそ
「わかった……じゃあこの仕事が終わったら、俺が前にやってた稽古を一緒にやらないか?」
「お稽古……ですか?」
だがここまで来て、奏汰はその認識を再び改めた。
なぜなら新九郎は〝自らの意思〟で剣の道を志し、自らの意思で命がけの
「俺も新九郎と一緒に鍛え直すよ。それともしよかったら、新九郎も俺に剣術を教えて欲しいんだけど、いいかな?」
「僕の剣を奏汰さんに!? いいにきまってるじゃないですかっ!」
奏汰の言葉に、新九郎は身を乗り出して意気込む。
その言葉はもちろんのこと、奏汰が自分の気持ちを汲んでくれたことが何よりも嬉しかったのだ。
「ぜひお願いしますっ! 僕も絶対に強くなって見せますから!!」
「ならその前に、まずは初仕事を成功させないとだな」
「ですねっ!」
すでに奏汰は新九郎と寝食を共にし、死地を共にし、
ならば今の自分に出来ることは彼女を支え、共に前に進むことだと――奏汰はそう信じ、新九郎の決意を受け止めた。けれど――。
「でも今夜だけは……やっぱりこのまま何も起きないで、奏汰さんと一緒のお祭りがとっても楽しかったなーって……それだけで終わってくれればいいのに……」
その時。
奏汰と繋がれた新九郎の手が、強く握られた。
「……そうだな」
「僕……もしまた彼岸さんに会ったら、聞きたいことが沢山あるんです。それと、やっぱりお礼も……彼岸さんのおかげで母上のことを思い出せて、ありがとうございましたって……」
瞬間。もはや何度目かもわからぬ花火が江戸の空を照らした。
赤く輝く提灯の火と、夜空に咲く花火の光。
その双方に照らされた新九郎の澄んだ横顔から、奏汰は目を逸らすことができなかった。
「……? 僕の顔になにかついてます?」
「うえっ!? い、いや……その……別に……」
「そうですか? あ……見て下さい奏汰さん、次はあのお店に行ってみましょうっ!」
思わず見とれていた……などと口に出せるはずもなし。
問われて
奏汰はそんな新九郎の姿に高鳴る鼓動を自覚すると、ふうと息をついてその後に続いた。だが――。
「あれ? あの人って、もしかして……?」
「……しずるさんか?」
「…………」
だがその時だった。
数十万を越える人々が集まる祭の夜。
尋常ではない人混みの中で、奏汰と新九郎は見知った少女の顔をみとめたのだった――。
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