嘘と真

 

 嘘つきの子。


 その少女は――柚月静流ゆづきしずるは、物心ついた頃から周囲の人々にそう呼ばれて育ってきた。


 祈ればいいと。

 祈れば必ず救われると。

 祈っていれば、きっとみんなを助けられると。


 幼い頃の静流しずるは両親からそう教えられ、誰よりも熱心に、両親と共に神に祈りをささげていた。


 貧困ひんこんに苦しむ人々。

 難病なんびょうに涙する人々。

 怪我を負った人々。

 そして――愛する人の命を失った人々。


 静流はそんな人々のために祈った。

 その苦しみがなくなるようにと。

 みんなの願いがかなうようにと、一欠片ひとかけら疑念ぎねんも持たずに祈り続けた。


 そのために周囲の子供や大人から馬鹿にされ、たとえ嘘つきとののしられようと、誰はばかることなく胸を張り、神に祈りを捧げていた。


 それは、子供ゆえの純粋じゅんすいな思い。

 生まれつき優しく、利他的りたてきな性格だった静流は心から人々の幸せを願って生きていた。だが――。

 

「で、でも……っ。この猫さんは、お医者様が治してくれて……!」

「そんなことをしなくても、毎日ちゃんと祈っていれば、神様はきっとみんなの命を救って下さいます。さあ、今日も一緒にお祈りしましょうね」


 だがしかし、そんな彼女もやがて気付く。

 祈るだけでは、命を救うことはできないと。


 神を固く信じる両親に、静流の願いは届かなかった。

 そしてその時、静流はようやく自分の本当の夢に気付く。


 静流は、神に祈りたかったわけではない。

 静流は、誰かの力になりたかったのだ。


 やがて彼女は、両親に隠れて人並み外れた勉学を始めた。


 医師の資格を得るための道がどれほど困難こんなんで、どれほどの大金が必要なのかは知っていた。

 しかし静流は懸命けんめいに勉学にはげみ、進学のために必要な知識や制度も一人で調べ上げ、たとえ両親に反対されようとも、今度こそ自分の道を進もうと決めていた。


 誰かの助けになれる力を。

 苦しむ命を助けられるすべを。

 今度こそ、〝本当に命を助けられる人〟になりたいと。


 だが――。


「――危ないところでしたね。貴方の家は火事になったのです。残念ですが、異世界の神である私が救うことができたのは貴方一人だけ……そして貴方には、この世界を守る勇者となって、世をおびやかす邪神じゃしんと戦ってもらわねばなりません……」 

「え……?」


 異世界召喚いせかいしょうかん


 ある日目が覚めた静流は、突然見たこともない世界で神と名乗る存在にそう告げられ、勇者の力を与えられた。


 父と母は死んだ――らしい。


 家が火事になり、激しい炎の中で自分だけが助かったのだと。

 神はそう静流に告げ、彼女の中に眠る〝可能性の光〟を目覚めさせた。

 その力で邪悪と戦い、世界を救って欲しいと。


「お母さん……っ。お父さん……――っ」


 まるで、悪い夢を見ているようだった。


 祈るだけでは救えないと気づき、必死に勉学に励んできたはずなのに。

 静流は一夜にして全てを失い、その対価として、〝祈るだけで全てを救う〟奇跡の力を手に入れたのだ。


「力……みんなを助けられる、力……」


 両親を憎んでなどいなかった。

 たとえその思いは違おうとも――それでも静流にとっては、大好きで優しい父と母だった。だから――。


「やります……っ! わたしに、みんなを助ける力があるのなら……!」


 だからこそ、静流は神の懇願こんがんを受けた。

 天恵てんけいの勇者となって、えんもゆかりもない異世界のために戦うと決めた。


 たとえ静流の望むやり方ではなかったとしても……それでも、誰かの力になりたいと願う心を育ててくれたのは、大好きな父と母だったと信じたからだ。


「もう大丈夫……みなさんのことは、わたしが必ず守って見せます!!」

「勇者様だ!」

「天恵の勇者様がいらっしゃったぞ!」

「ああ! どうか私たちをお救い下さい!!」


 天恵の勇者、静流。

 その力はまさに圧倒的だった。


 静流が覚醒かくせいした勇者スキル――〝アセンショ昇天ン〟。

 それは他者が持つ負の感情を浄化じょうかし、奇跡を顕現けんげんさせる万能の力。  


 静流の手にかかればどんな病も傷もたちどころに治癒ちゆされ、果ては死者すらよみがえらせることができた。

 それは邪悪との戦いにおいても同様。大きな負の感情を抱える邪悪の軍勢は、みな静流の力の前にす術も無く打ち倒されていった。だが――。


「な、なんなの……これ? わたしの力は、みんなになにをしたの……っ!?」


 だがしかし。

 破綻はたんはすぐにおとずれた。


 静流が勇者としての戦いを始めてからしばらくして、静流が癒やしたはずの人々の傷は再び開き、病は再発し、蘇らせたはずの死者は、再び物言わぬ土塊つちくれへと戻ってしまったのだ。


 静流の力は、彼女が当初考えていたような万能の力ではなかった。

 負の感情を対価たいかとするその力は、永続えいぞくするものではなかったのだ。


 勇者が覚醒したスキルの真の効果は、神ですら把握はあくできない。

 静流もまた試行錯誤しこうさくごを重ねる中で、苦しむ人々のために良かれと思って力を使った。そうすることで、今度こそみんなを笑顔にできると信じたからだ。


「〝嘘〟だった……わたしは……ここでも嘘つきだったんだ……っ! わたしは、みんなをだましてしまった……っ!!」 


 思えば――両親を失い、見知らぬ世界で必死に自らを鼓舞こぶして戦ってきた静流の心は、とうに限界だったのだろう。


 助かったと思っていた者が再び絶望ぜつぼうし。

 最愛の人が二度三度と土にかえるる。


 それは静流の目から見て、悪魔の所業しょぎょうにもまさ残酷ざんこくすぎる仕打ちだった。

 

 しかし、だがしかし――。


「どうしてですか……!? わたしの力はずっとは続かない……わたしの力で大切な人を蘇らせても、またすぐに消えてしまうんですよ!? わたしは勇者なんかじゃなかった……ただの嘘つきだったんですっ!!」

「嘘だとか本当だとか、こっちはそんなことどうでもいいんですよ! お願いします勇者様、一刻いっこくも早く私たちをお救い下さい!!」

「俺の妻を生き返らせて下さい! それで〝また妻が死んでも〟、勇者様がいれば平気じゃないですか!!」

「お願いします勇者様! 私の息子が、〝また死んでしまった〟んです!」

「あ……ああ……ああああ……――っ!?」


 地獄じごく

 それは、静流にとっての地獄だった。


 何が救いで、何が嘘か。


 受け手によって無限にころがるその解釈かいしゃく

 しかしとうの静流にとって、自身の力はとても〝真実の救い〟と呼べるものではなかった。


 にも関わらず、〝それでもいい〟と救いを求める者は後を絶たない。

 嘘でもいいと――何度愛する者が死のうと、静流がいれば〝また救ってくれる〟と。


 そう平然へいぜんと口にする人々の群れに、静流の心は今度こそ押しつぶされた。


 誰かの助けになりたい。

 いつか、本当に命を救える人になりたいと願った一人の少女の夢。


 運命に翻弄ほんろうされた少女の夢はこの時……跡形あとかたもなく砕け散ったのだ――。


 ――――――――

 ――――――

 ――――


「まずは休め……お前の気の済むまで、ここで休んでいればいい」

「え……?」


 それから――果たして、どれくらいの時が経ったのか。

 気付けば静流は一つの世界を救い、こわれた心で江戸の地に落ちていた。


「ここには、お前を傷つける者は誰もいない。そして何も考えずにいれば……やがてまた、夢を見る日もくるだろう」


 目を覚ました静流を見舞みまっていた大男――龍石時臣りゅうごくときおみと名乗る自分と同じ勇者の言葉は、壊れた心を必死に閉ざしていた静流が久方ひさかたぶりにいた〝人の声〟だった。


「ほらほら、〝ゆずっち〟のために俺とこいつでうんまーいご馳走を用意したからさ! ここにくるまで色々大変だったかもだけど、うまいもん食ってればそのうち元気になるって!!」

「貴方はただ横でつまみぐいしていただけでしょう!? ああっと、大声を出して申し訳ありません……まずはこちらの飲み物をどうぞ。あたたまりますよ」

「…………」


 その時に差し出された暖かな湯の味を。

 その時に見た、仲間たちの優しい微笑みを。

 静流は生涯しょうがい忘れることはないだろう。


「う、うぅ……っ。わたし……わたし……うっ……うぅぅぅ……っ!」 


 いつしかこぼれ落ちた涙はとどまることをしらず。

 静流は数年ぶりに、誰かの前で声を上げて泣いた。

 

 それは救い。


 それは間違いなく、静流が誰かの手によって地獄から救いあげられた瞬間だった。


 全ては、その救いにむくいるため。


 自らを絶望の闇から救ってくれた大切な仲間のため、静流は一人……再び闇の中に身を投じた――。

 


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