光と闇


『ありがとう、つるぎさん……あなたの強さはよくわかりました。そして、その優しさも――』

静流しずるさん……!」


 眼下に業火ごうかの江戸を見る天上世界。

 奏汰かなたの差し伸べた手を払い、天恵てんけいの勇者の持つ灰の光は闇に飲まれて消えた。


『その強さも、優しさも……どちらもわたしとは比べものにならない。やはりあなたは、勇者を越えた勇者なのでしょう……』


 果たして、その闇は何処どこから来たのか。

 闇は奏汰の光を押し返し、白雲も大気も。夜空さえも塗り込めて無限に広がる。

 それは静流の力を基点として巨大なうなり声に似た鳴動めいどう励起れいきさせ、やがて超巨大な人型――六面八臂ろくめんはっぴの異形を持つ、かつて金五郎かねごろうが最後にすがった〝邪悪仏じゃあくぼとけ〟の姿を形作った。


「この力……にごりきって分かり辛いけど、まさか……?」

『そうです。これは〝勇者の力〟……先ほど私が話した、今もこの世界に封じられている数万人の〝勇者の絶望〟。わたしたちはこの力を〝真皇闇黒黒しんおうやみのこくこく〟と呼び、他の神々と同じようにたてまつり、しずめています。少しでも、みんなの心にわたしたちの想いが届くように……その想いが、真皇しんおうの中で眠る〝みんなの意識を維持する助け〟になるように……』

「真皇、闇黒黒……っ」


 顕現けんげんせしは勇者の絶望。

 その名は〝真皇闇黒黒〟。


 その色は絶望の黒。

 その力は数万の勇者の集合体。

 すべての光を許さぬ闇の窮極きゅうきょく

 かつて、それぞれの勇者が持つ〝可能性の色〟に輝いていた数多の光――そのなれの果て。


 無数に混ざり合い、押し潰された可能性はやがて黒となり、全てを飲み込む絶望の闇となったのだ。


秋津洲あきつしまさんや、この世界の人々に真皇を信仰させていたのも同じ理由です。闇に飲まれたみんなの意識は、時が経てば経つほど力を失って薄くなり、やがて本当の意味で死んでしまうから……』

「死ぬ……? そうか、それで時間がないって……」


 信仰。それは人の想い。


 そして人の想いとは、そのまま勇者の力の源の一つでもある。

 闇と絶望の化身となってなお、勇者の持つ光の面影を残す真皇の有り様に、奏汰は思わず悲痛ひつうな表情を浮かべた。


『こうしているとわかるんです……神に裏切られたみんなの絶望、恐怖、そして悲しみが……』

「…………」

『いくらあなたが強くても……いくらあなたが最強の勇者でも、たった一人でこれだけの数の勇者と戦えますか……? ここにいるみんなとこの世界、その両方を今すぐ救うことができますか……?』


 そう寂しげに呟く静流の声が、ゆっくりと遠ざかる。


 勇者の絶望……その化身たる真皇がその姿を完全に現わす。

 その巨体は奏汰の前の空域を完全に塞ぎ、奏汰から見てその全貌ぜんぼうを視界に収めることは不可能なほど。

 見れば、真皇の心臓にあたる部分からはわずかに静流の放つ灰色の光が漏れており、彼女が今もそこにいることが確認できた。そして――!


『この千年……わたしたちの仲間の中には、奏汰さんのように考える人も大勢いたそうです。けど……そのこころみはすべて失敗しました。そして、もう数え切れないほどの勇者が闇の中に消え、こうしている今も消え続けている……!! わたしたちには、もうこれ以上待つことはできないんです!!』

「来る……っ!」


 その言葉と同時。

 真皇の瞳が不気味に輝き、その巨体を震わせて八つの腕が鳴動を開始。

 大気が震え大地が震え、全てを飲み込む絶望の闇が奏汰めがけて全方位から迫る。


「速い――!」


 迫る闇に対し、奏汰は咄嗟とっさに青の光をまとって天上に逃れる。

 しかし真皇の闇は音速の五十倍に加速した奏汰すら振り切れず、奏汰の青は一瞬にして漆黒の闇に追いつかれる。


『それだけじゃありません……! すでに他の世界の神々も、わたしたちの動きに〝気付いています〟……神の決断次第で、明日にもこの世界ごと、なにもかもが消えてしまうかもしれないんですよ……!?』

「神様がこの世界を……? そうなったら、みんなも……っ」


 青を砕かれた奏汰は即座に赤を展開。

 その身に〝全てを殺す赤〟を宿し、眼前の闇に確殺かくさつの輝きを叩き込む。


つるぎさんは先ほどのわたしの問いに、迷わず〝徳乃とくのさんを守る〟と答えて下さいましたよね……? 〝わたしも同じ〟です……この世界と勇者のみんな……どちらか一つしか救うことができないのなら、わたしは……わたしにとって大切なみんなを守る!!』

「っ……!? 駄目か――!」


 たとえどんな存在だろうと、その気になれば神ですら消し去ることができる奏汰の赤。

 しかし今、奏汰から放たれた強大な赤の輝きはより濃密な殺意の闇に上書きされ、まるで赤子の手をひねるように打ち砕かれた。


『わたしが引き出すことができるみんなの絶望は、これでもほんの少しなんです……わたしの力では、三年かけてもこれが限界でした。けどそれでも、あなたを倒すことはできる……! みんなを閉じ込める、この町を焼くことはできるから――っ!!』


 それはまさに圧倒的絶望の闇。

 青と赤の光を砕かれた奏汰は、まるで荒波に揉まれる木っ端のように弾かれ、ついに江戸の空に広がった闇に捕えられる。


『さあ、つるぎさん……もう終わりにしましょう。わたしも、みんなも……そしてあなたも。勇者としての辛くて苦しい旅はここで終わり……そろそろ、お家に帰る時間ですものね……』

「く、そ――……っ!!」


 奏汰はそれでも闇に抗おうと〝不壊ふえの紫〟を展開。

 しかし赤すら打ち消す闇の前にあっては障壁しょうへきも意味をなさず、奏汰の姿……そして光は闇の渦に紛れ、やがて途切れて消えた――。


『ごめんなさい……みんなを助けたら、必ずわたしもあなたがいる闇に行きます。わたしには帰る家も、家族もありませんから……』


 奏汰がその場に残した光も音も消え、静寂せいじゃくの中に静流の謝罪だけが響く。

 顕現した真皇の起こす地鳴りのような振動が木霊する闇。

 そこには希望も光も可能性も残されてはいなかった。


『でも、わたしにはまだやることがある……結界はまだ壊れてない……はやく、鬼をもっと集めないと……〝この世界の命〟じゃないと、あの結界は壊せない……っ!』


 奏汰の打倒を確認した静流は、なおも闇の中で力を放ち、必死に真皇の力を維持し続ける。

 静流の呼び掛けに応えるように真皇の眼光が明滅し、その巨躯きょくを眼下の江戸に下ろそうとうごめく。


 今まさに江戸にくだらんとする数万の勇者の絶望。

 それはまさに、神に見捨てられた世に相応ふさわしい結末のように見えた。だが――。


『……――』

『っ!? まさか……っ?』


 だがその時。


 すべての終結しゅうけつ確信かくしんした静流の耳に〝音〟が届く。

 いな――届いたそれは音ではない。


 それは光。


 天恵てんけいの勇者である静流だからこそ気付いた光。

 同じ勇者だけが感じ取れる、絶大ぜつだいな可能性の光だった。


 そしてそれを感じたのは静流だけではない。

 静流とともに戦う真皇となった勇者たちも皆、一斉にその力の出現を感じ取り、波紋のように真皇の巨躯に動揺が広がる。


『静流さんの言うとおりだ……俺がどんなに強くても、この世界のみんなとたくさんの勇者……今すぐ両方とも助けるなんて、できるわけがない』

『そ、そんな……っ!? あなたは、いったいどこまで……!?』


 真皇の闇が、より強烈な力を放つ〝ぎんの輝き〟によって押し返される。

 光を受けた闇は散り散りに砕け、その闇の先で、静流はそれまでの奏汰とは違う〝巨大な人型の影〟を見た。


『だから俺はみんなとやる……この世界のみんなと、クロムと……そして新九郎しんくろうと……〝静流さんとだって〟!! みんなと一緒に悩んで、みんなと一緒に頑張るって……そう決めたんだ!!』


 現れた光。

 それは奏汰が持つ七つの光、その〝最後の一つ〟。

 まばゆいほどの銀色に輝く、〝結束の力〟だった。


『これが俺の最後の力――〝結束の銀剣神リーンリーン〟だ。今の俺が持つ全部で、絶対にこの世界を守ってみせる!!』


 その名は剣神リーンリーン。

 またの名を――〝勇者の虹〟。


 決然けつぜんと言い放つ奏汰の姿は、巨大な全身甲冑にも見える強固な装甲に覆われていた。


 民家であれば三階建てほどの大きさを誇る巨体は、奏汰の聖剣リーンリーンが姿を変えたもの。

 竜か猛禽もうきんを模したかのような頭部には青白い眼光が輝き、ひたいからは勇壮ゆうそうな一角が天を突く。

 無骨な鈍色にびいろの装甲には銀の光が幾何学的きかがくてき紋様もんようを浮かべて淡く明滅し、そのするどく力強い拳は、光の刀身をそなえた長剣を握りしめている。

 背面からは奏汰のあふれる力が光の粒子りゅうしとなって放出ほうしゅつされ、それはあたかも天駆あまかけるつばさのようにたなびく。

 さらにその巨躯の周囲では、まるでリーンリーンに寄り添うかのようにして、〝七つの光〟が輝きながら付き従っていた――。 


『そ、それでも……っ!! たとえどれだけ強くても、今のあなたは一人ですっ!! こうしてみんなの想いを背負うわたしが……負けるはずがありませんっ!!』

『俺は一人じゃない……! これまでも、そして今だって!!』

 

 真皇の闇に呼応するかのように現れた可能性の極致きょくち――勇者の虹。


 結束の力を基点にその姿を〝決戦形態けっせんけいたい〟へと昇華させたリーンリーンが、〝魂の座コックピット〟で力強く聖剣をかかげる奏汰とその身と魂を重ねて闇を切り払う。


『いくぞリーンリーン! 俺たちの道は、俺たちで切り開く!!』

『お願いみんな……わたしに力を貸して! わたしにこの人を止める力を……この強い人を倒せる力をっ!!』


 可能性の光と絶望の闇。

 決して交わることのない二つの道が、星の海めがけて飛翔ひしょうした――。

 

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