凶刃の切っ先


板橋いたばしの辻斬り〟


 奏汰かなたが江戸に降るより僅かばかり前。

 卯月うづきの初め頃より板橋宿いたばししゅくに出没するようになった正体不明の外道である。


 板橋宿が盛りを迎える夜更け頃に現れては、芸妓げいぎをはべらせる男衆のみを惨殺して回る極悪非道の大悪党。

 だが目の前で凶行を目撃しているはずの芸妓たちですら、誰もはっきりとした犯人の姿を見てない。


 当然、町方まちかたを初めとした火付盗賊改ひつけどうぞくあらための面々は血眼ちまなことなって犯人捜しを続けていたが、辻斬りの出現から間もなく半年を迎えて尚、その尻尾すら掴めていないのが現状であった――。


「犯人も何も、やってんのは〝鬼〟っしょ。俺もどんな奴かまでは知らねーけどさ」

「それってつまり、カルマさんや他の勇者さんが呼び出す鬼とは別ってことですか?」


 凶行から一夜明けた歌明星うたみょうじょう


 夜通しの接待を終えた芸妓たちは皆二階の広間で床を並べて眠りにつき、一階の盛り場では、数人の男衆が散らかり放題となった床の間をせっせと片付けていた。


 そしてその隅では、歌明星の女主人である明里あけさとの〝側仕え奉公人〟である風吉かぜきち……無法の勇者カルマが、勇者屋の奏汰と新九郎しんくろうを前に話し込んでいた。


「そーいうこと。前にも言ったけど、ほとんどの鬼は俺たちとは無関係よ。俺らがなんもしなくても、鬼共は後から後からわんさか湧いてくる。今回の辻斬りも、そういう〝はぐれ鬼〟の一匹ってわけ」

「はぐれ鬼……そんな鬼もいるんですね」


 カルマの話に、新九郎はいたって真面目な顔でふむと頷く。

 しかしさも当然とばかりにいつの間にやら同席している新九郎だが、彼女がここに現れた際の〝騒動〟はそれなりに大変なものだった。


「っていうかさ……あの後すぐにしんちゃんが〝泣きながら〟うちに駆け込んできたのにはびびったわ! しかも、『奏汰さーん! 朝帰りは許じまぜんよぉぉぉおおお~~!!』なんて、この世の終わりみてーなぎゃん泣きで来るもんだから……」

「ひゃわーっ!? そ、それについては後生ごしょうですから忘れて下さいぃぃいっ! いくらカルマさんに会いに行くっていっても、奏汰さんが夜の板橋宿にいるなんて思うと気が気じゃ無くてぇぇぇぇ!」

「し、心配させてごめん……けど、なにがあっても俺は新九郎だけだから!」

「奏汰さああああんっ!!」

「にひひ! 俺が睨んだとおり、やっぱりしんちゃんってば女の子だったんじゃんねぇ? どんな理由があるのかは聞かねーけどさ、そんなにラブラブなら、さっさとくっついちゃった方がいーんじゃねーの?」


 その際の新九郎の様は、まさに〝夜の街に繰り出した夫を涙ながらに連れ戻しにやってきた妻〟であった。

 初めて見た頃よりも遙かに深い仲となった二人の姿に、カルマは白い歯を見せて人好きのする笑みを浮かべる。 


「でも、だとしたらかなり厄介だな。つまりその鬼は、これまで俺が江戸で戦ってきた奴らと違って、自分の意思がはっきりしてるってことだろ?」

「さすがかなっち、いいとこに気付くじゃん」


 新九郎にしがみつかれるままに、奏汰は真剣な眼差しでカルマを見据えた。


「かなっちの言うとおり、そいつはそこらの鬼とは違う。そうでもなきゃ、こんな長々と隠れたりもできねーだろうしね」


 奏汰の言葉に、カルマは頷きながら応じる。

 カルマの言うとおり、板橋の辻斬りが襲う対象は限定的だ。

 

 凶行が行われるのは決まって板橋宿の夜半。

 犠牲となるのは芸妓を伴う男のみ。


 破壊衝動のみで行動する下級の鬼……つまり異世界で言うモンスターとは違い、明らかな意思を持って凶行に及んでいる。

 そしてそれ故に、町方もこの辻斬りを鬼による事件としては扱っておらず、鬼退治を専門とする奏汰たち勇者屋の耳にも届いていなかったというわけだ。


「ま、どっちにしろこの件はそっちの手を煩わせるほどじゃねーよ。この町のことは俺に任せて……」

「風吉さん……少しいいかしら?」


 話を続けようとしたカルマに、楚々とした女性の呼び声が届く。

 三人が声のする方に目を向けると、そこには見目美しい妙齢の女性……歌明星の主人である明里が、壁伝いに二階から降りてきたところであった。


あねさん!? 呼んでくれりゃ迎えにいきましたのに……」

「ごめんなさい……貴方のお話しが終わるまで待っていようと思っていたのだけれど」


 目の見えない明里にとって、狭く、段差もきつい宿の階段を一人で下りることはかなりの危険を伴う。

 カルマは慌てて明里の元に飛び出すと、彼女の腰上に手を回し、力強くその身を支えた。


「昨晩はありがとうございました。勇者屋の剣奏汰つるぎかなたです」

「おはよーございまっす! 同じく勇者屋で、天才美少年剣士の徳乃新九郎とくのしんくろうと申しますっ!!」

「歌明星の女将をしております、明里です。昨晩はあのようなことが起きてしまい、板橋宿の旅籠衆はたごしゅうの一員としてお詫びさせていただきます」


 カルマに伴われて奏汰たちの前に座った明里は、そのまま目が見えぬとは思えぬ見事な所作で二人に深々と頭を下げた。


「まさかつるぎ様があの勇者屋の方とは知らず、なんのおもてなしもできずに申し訳ございませんでした」

「そんな! 昨日は沢山のご馳走も頂きましたし……どうかお構いなく」

「いえ……実は、以前から勇者屋の方にご相談したいと思っていたものですから。昨晩の、例の辻斬りの件で――」


 弱々しい見た目の印象とは裏腹に、明里は実に強い意志の滲む声と共に顔を上げ、勇者屋の二人にそう切り出した。だが――。


「ちょいと待ってくれますか姐さん。こいつらに辻斬りをどうにかしてもらおうってつもりなら、あっしは大反対ですぜ」

「風吉さん……?」

「ちょ……ええっ!? ど、どうしてですか!?」

「どういうつもりだ? 犯人が鬼だってわかってるなら、俺たちだって……!」


 だがしかし。

 奏汰たちに辻斬り事件の解決を依頼しようとした明里の言葉を、カルマは即座に遮った。

 そして困惑の色を浮かべる明里の視線をあえて無視し、カルマは短く鼻を鳴らして奏汰に鋭い拒絶の眼差しを向ける。


「どうしたもこうしたもねーよ。板橋の辻斬りをどうにかするのに、勇者屋の力は必要ねぇ。それとかなっち……昨日言ってた協力うんぬんの話もお断りだ。そっちがマヨイガに乗り込んでくるってんなら、こっちも全力で相手になってやっからよ……!」

「カルマ……」


 それは、あまりにも唐突な対話の打ち切り宣告だった。

 それまでの友好的な態度から一転。

 カルマは何事かを言いたげな明里を半ば強引に連れ出すと、そのまま奏汰と新九郎に背を向け、宿の二階へとその姿を消したのであった――。


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