お江戸の夜


「なんか……いろいろ凄いところだな」

「にゃはは。俺みたいなよそ者にはうってつけの場所よ。前は吉原よしわらってとこにいたんだけど、長居しすぎたんで今はこっちってわけ」


 部屋の内外から聞こえる鈴太鼓すづたいこ歌謡かようの響き。

 待合から場所を移した奏汰かなたとカルマは、開け放たれた二階の縁側から板橋いたばしの夜を見下ろせる個室で向き合っていた。


「そういえば、カルマたちは歳を取らないんだっけ?」

「うんにゃ。〝こっち〟にいれば普通に老けるよ。この前かなっちも入った〝俺たちの隠れ家〟にいればそうじゃないってだけ」

「なるほどな……」


 すでに、二人の前には空になった皿がいくつか置かれている。

 カルマに気を利かせた女将の明里あかさとが、奉公人に言いつけて二人につまみを振る舞ってくれたのだ。


「エルきゅんが上手くそっちに馴染めたみたいでよかったわ。まあ、かなっちみたいなのが出てこなかったら、俺もあの子を送り出したりしなかったけどね」

「エルミールは今もカルマに感謝してるよ。カルマがここで働いてるってことも、俺と新九郎しんくろう以外には言ってないから」

「そりゃ嬉しいね。ここの人らに余計な迷惑はかけたくねーからさ」


 二人は努めて穏やかに言葉を交わしつつ、店から供された肉厚の味噌田楽みそでんがくや大ぶりなタコの刺身を口に運んだ。

 その間にもカルマは無造作に注ぎ入れた〝濁り酒どぶろく〟をあおり、酒を断わった奏汰は湯飲みに入った麦茶で喉を潤していた。


「正直……カルマのことを誤解してた。最初に戦ったとき、この世界のことなんてどうでもいいって言ってたから、てっきりそういう奴なのかなって」

「……誤解じゃなくね? 散々ここの人らの世話になってるってのに、裏では鬼だのニンジャだのと一緒に好き放題やってんだ。本当はここのみんなも大事なんだーなんて……どの口でほざくんだって話っしょ?」

「…………」

「かなっちがどう思ってようが、ここの人らにとって俺が〝最悪の悪党〟だってことは変わらねーよ。エルきゅんをそっちにやったのだって、結局は俺のためだしね」

「妹のことはエルミールから聞いてる。そのために、あんたがどれだけここで頑張ってきたのかも」


 自嘲気味に語るカルマに、奏汰は同意も否定もせずに言葉を続けた。


「ふーん……? かなっちってば、ちょっと雰囲気変わった?」

「……話し合いに来てくれたエルミールを見て思ったんだ。俺は今まで、たくさんの異世界で色んな敵を倒してきたけど……もしかしたらその中には、〝倒さなくてもよかった〟相手もいたのかなって」


 かつて奏汰は、一年というあまりにも短い期間で百の異世界を救った。

 だがもしも、奏汰とクロムにもっと時があれば。

 もしも世界の滅びを防ぐために、二人が武力以外の道を選んでいれば……全く違う運命を辿った命や種族は無数に存在しただろう。


「前に新九郎も言ってたんだ……〝静流さんともっとお話ししたかった〟って……静流さんともっと話をする時間があれば、俺たちは戦わなくても済んだかもしれないのにって……」

「しんちゃんがね……」

「静流さんのことも、俺が異世界で戦ってきたことも……どっちも今はもう取り返しがつかない。だから、カルマとはそうなる前にちゃんと話さないとって思ったんだ」


 カルマを見据える奏汰の瞳に迷いはない。


 過去では無く今を。

 そして、もはや部外者でなくこの地に生きる当事者として。

 新九郎と共に生きると決め、江戸に根を張ると決めた一個の人としての覚悟が、今の奏汰からはありありと滲んでいた。そして――。


「前にカルマと戦ったとき、俺はまだこの世界のことも、あんたの事情も何も知らなかった。けど今は違う……! 今日ここに来たのは、カルマにも俺たちに協力して欲しいからだ」

「協力? マジで言ってんの?」

「もちろん本気だ。今の俺たちには、この世界や別の異世界の情報を一気に手に入れる〝方法〟がある。けどそのためには、カルマたちが拠点にしてる〝あの場所〟にもう一度入らないとけないんだ」

「はぁ? ここや別のとこについて探るって、それって俺らが普段やってることと何が違うわけ? 言っとくけど、彼岸ひがんちゃんくらいの力があってようやくほんの少し覗けるかどうかだったんよ?」


 意を決して本題に切り込んだ奏汰に、しかしカルマは完全な拒絶とまではいかずとも、明確な難色を示した。


「それをやれる仲間がいるんだ。だからカルマと協力して……いや、出来るならあの時臣ときおみって人とも力を合わせて、その仲間を真皇しんおうのところまで通して欲しい」

「ふーん……本気っぽいね」

「頼む……! 今回は、俺たちもカルマたちのやろうとしてることを邪魔する気はないんだ! けどこの世界のことがもっとわかれば、俺たちだって無駄に戦う必要もないかもしれないだろ!?」

「そりゃそうかもね……」


 奏汰の真剣な懇願に、カルマは思わず口をつぐむ。

 その提案は武力による戦いではなく、互いの行動の阻害でもない。

 彼岸を失い、闇との交信手段が途絶えたのはカルマたちも同様なのだ。


 カルマは奏汰の提案に思わず逡巡の構えを見せ、眉間に皺を寄せてうめく。だが、その時だった――。


「きゃああああああああああああああああ! 誰か! 誰かあああああああああああああああ!!」

「悲鳴?」

「チッ! 〝また〟出やがったな……!」


 だがその時。

 二人が向き合う部屋の窓から、絹を裂くような女性の悲鳴が飛び込んでくる。

 何事かと視線を外に向ける奏汰とは違い、カルマは即座に二階の縁側から江戸の夜空に身を躍らせると、目にもとまらぬ速さで悲鳴の出所へと加速する。


「大丈夫ですかいっ!?」

「あ、ああ……っ!?」


 疾風と化して飛翔したカルマは、無数に連なる旅籠屋はたごやの裏手に伸びる路地へと飛び込んだ。

 そしてそこで腰を抜かしていた一人の芸妓げいぎに駆け寄ると、その先に広がる凄惨な光景に思わず顔をしかめる。


「つ、辻斬り……! 辻斬りです……っ!! 突然現れた男に、連れが斬られて……!」

「ああ……どうやら、そうみてぇっすね……」


 カルマは助け起こした女性を支えるように抱き留めると、町の明りも届かぬ路地で〝真っ二つに切り裂かれた男の亡骸〟に、力なく首を振ったのだった――。 

  

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