弐
無法の日々
「おう
「
大勢の人々で賑わう繁華街、
この巨大な宿場街は、日本橋から伸びる五街道の一つ、
「わっはっは! それだけ姐御がおめぇのことを頼りにしてるっちゅうことよ。ほれほれ、客引きは俺が代わってやるからさっさと行ってやれ」
「んじゃお願いしますよ。なるべく早く戻りますんで」
それら宿場街の中にあって、この板橋宿は最も〝夜の遊行〟が盛んで知られ、旅人のみならず江戸の武家や豪商なども交えた賑わいを見せていた。
今、それら街道沿いに軒を連ねる
「あら風吉さん、もしかして今日はもう上がりなの? それなら、あたしらと一緒に飲みましょうよ」
宿に入れば、そこは一面が霞むほどの〝煙の雲〟で満たされていた。
怪しげな
若く引き締まった褐色の体躯に、鋭くも
「遠慮しときますよ。あっしは仕事中に飲んだり遊んだりはしねぇって決めてんで」
「相変わらずいけずな人ねぇ……こんなとこで働いてるってのに、浮いた話の一つもないなんてさ。ああ、けどそうでもないか……なんたって、あんたは姐御の〝お気に入り〟だもんねぇ?」
「滅相なこと言うなっての。そんなもん聞かれたら、あっしが姐さんになんて言われるか。くわばらくわばら……」
「なぁに言ってるんだか。あの姐御が怒ったりするわけないだろうに。最近色町に出る〝物騒な辻斬り〟だって、アンタの見回りのおかげでここには寄りつきもしてないんだからさ」
「なはは。そいつはどうも」
怪しくも
それに伴って一階の喧噪は遠ざかるが、今度は二階の大広間から琴の音色と
板橋宿は数多く存在する江戸の宿において、もっとも多くの
無論、江戸の世においても公序風俗を乱す
だがそんな江戸にあって、板橋宿は
「入りますよーっと」
「あら……? 早かったのね」
二階へと続く階段から伸びる薄暗い大廊下を抜け、閉め切られた二つの広間を抜けた先。
宿の奥にあるこぢんまりとした部屋で、風吉は妙齢の女人の出迎えを受ける。
「
「そう……だから鈴虫の声がここまで聞こえていたのね」
「…………」
室内に足を踏み入れた風吉は、あえて〝一定の足音を立てながら〟一歩一歩女性の元に近づく。
見れば、女性の着物は芸妓然とした艶やかなものではなく、どこにでもある質素で地味な柄の装いだった。
室内の調度品も客間とは打って変わって必要最低限のもので纏められており、部屋の隅に置かれた行灯の光がやわらかに女性の姿を照らしていた。
女性の長く伸びた艶やかな黒髪は美しく、物憂げに微笑む横顔は神秘的ですらある。
だた一つ奇妙な点があるとすれば、彼女は風吉がやってきてから〝一度もその
「姐御。窓……閉めますよ」
「ありがとう。もう少しだけ、秋の音色を聞いていたかったけれど」
「だめだめ。夜風で風邪なんてひいた日にゃ、鈴虫どころじゃねぇでしょう?」
「ふふ、それはそうね」
そう言って笑みを浮かべながらも、やはり女性はその眼差しをどこに向けることもない。
風吉はそんな女性の様子に困ったように笑い、彼女の前に江戸の夜空を広げていた窓の木戸を下ろした。
この女性の名は
風吉が奉公仕えをする板橋宿の名店、
しかし彼女の芸妓としての道は、盛りを迎える前に〝不治の眼病〟によって断たれた。
そんな彼女を哀れに思った馴染みの武家や商家たちは、彼女に
「それで、あっしになんの用で?」
「ええ、実はあなたに〝お客様〟なの」
「あっしに客ですかい? そいつはまた物好きな奴もいたもんだ」
「申し訳ないけれど、応対して貰っても良いかしら? 伝八さんのお話しだと、特に怪しい人じゃないそうだから」
「へぇ? んじゃ、ちょいと挨拶してきますわ」
明里に促され、風吉はひょいと部屋を後にする。
待合の間は明里の部屋から見て丁度正面反対側にあり、風吉の歩幅であればほんの数歩もかからぬ場所にある。
「失礼しますよ」
風吉は一声かけると、閉められた
そこは明里の私室と同程度の広さの畳敷きの部屋となっており、畳の上には
「……って、かなっちかよ!?」
「いきなりごめん。ここに行けばカルマに会えるって、エルミールから聞いてさ」
なんということか。
そこで風吉を待っていたのは。否……〝カルマ〟を待っていたのは、超勇者にして今や江戸に名を轟かせる勇者屋の若旦那、
奏汰は敵意がないことを示すように丸腰の両手を上げると、至って真面目な表情のまま、驚くカルマの視線をまっすぐに受け止めた――。
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