終之段

始まりの勇者


 神をも超える力を持つ人間がいる。


 あまねく異世界を管理する神々の間でそのような噂が囁かれ始めたのは、遙か数万年も前のこと。


 当時、神々は自らが創造・管理する世界に時折現れる魔王と呼ばれる異分子によって苦しめられていた。


 神々が創造した命の種類は多岐にわたり、その姿も力も様々。


 しかしどうしたことか。それらの命がある一定以上の〝高度な精神性〟……つまり明確な〝心や感情〟を手にしたとき、そうした命の中から、突如として世を滅ぼす程の力をもった存在が生まれてしまう。


 神々はそうした存在を〝魔王〟と呼び恐れた。


 なぜなら、神の力によって魔王を滅ぼさんとすれば、それは己自身ともいえる自らの世界を大きく傷つけることと同義だったためだ。だが――。


『ば……かな……! この大魔王が……ただの人間ごときに……!』

「ふん……」


 無数に存在する異世界の一つ。

 数億という命を無惨に食い荒らした巨大な魔物の死骸の上に、一人の男が立っていた。


 魔物の返り血で紅蓮に染まった着流しに、無造作に纏められた長い黒髪。鍛え上げられた鋼の肉体に、獲物は腰に差した東方の剣が一振りのみ。


 男は自らの血だまりに沈む大魔王にはもはや興味も示さず、魔王の血で濡れた愛刀をぴしゃりと切り払う。


「おお……! 見事だ人の子よ!! よくぞ……よくぞ大魔王を倒してくれた! これでこの世界は救われる……!!」


 救世の戦いとは程遠い凄惨な戦場跡に、大魔王の敗北を見届けた異世界の神が舞い降りる。


「しかし、貴殿はいったい〝どこからやってきた〟のだ……? 私はこの世界の神……この世界に存在する命は、全て把握しているはずなのだが……」

「さあな……もはや、俺がどこから来たかなどとうに忘れた。俺は強者との死合いを望む者……死合う強者が悪党ならば尚のこといい。この剣で斬り殺すに、ためらいがいらんからな」

「死合いを望む……? お、おい!? 私はまだ、貴殿に礼を――っ!!」


 次の瞬間。

 男はその言葉だけを残して目の前から霞のようにかき消える。

 

 残された神は呆然とその場に立ち尽くしながらも、自らの出会った男のことを――後に〝始まりの勇者〟とも、〝神を超えた剣士〟とも呼ばれることになる男の言葉を他の神々に伝えた。


「惨いものだ――どこへ行こうと何も変わらぬ。奪い奪われ、強者が弱者をいいようにする。なぜどこも同じなのかと思ったこともあったが……あの〝神などと名乗る者ども〟がこれらの世を作ったとなれば、さもありなんということか」


 荒廃した異世界の大地の上。

 吹きすさぶ乾いた風を受けながら、巨躯の男――龍石時臣りゅうごくときおみは戦火によってあえなく滅びた小さな村を見やる。


「強さこそが真理だと……神がそう世の理を作ったというのなら、一人くらいはその理に抗う者がいてもよかろう。神が定めた強者の理……この俺の武がどこまで通じるものか、死合うてみるのもまた一興か」  


 龍石時臣。


 彼がいつ、どこで生まれ、なぜ数多の異世界を行き来する力を手に入れたのかは、高位神ですら知らぬこと。


 神々によって彼の存在が認知され、その名が広く周知されるようになった頃。彼は既に全ての神よりも強く、数多の魔王よりも強かった。


 しかし神々から見れば突然現れた特異存在であっても、時臣の意思と思考はあくまで一個の人のそれ。


 一人の人間が数千、数万という数の異世界で見た光景。

 そこで目にした数多の命の嘆きと痛苦。


 それは時臣という絶対強者の内に、それを招いた神々への反感を確実に育てていった。


 いつしか彼は神に公然と反抗的な態度を取るようになり、時には世を滅ぼすとされる魔王の側につき、管理者である神を世界から追いやることすら平然と行うようになったのだ。


「トキオミ……お前はナゼ、神と人から迫害サレタ我ら亜獣族と共に戦ってくれタノダ?」

「理由などない。とうに弱り切っていたお前たちよりも、奴らと死合う方が楽しめた……ただそれだけだ」


 時臣という名の最強の武。

 神にも魔王にも従わぬ生命の極致にして、自我の頂点。


 時には神の定めた調停を打ち砕き、時には戦火に巻き込まれて死んだ見ず知らずの赤子のために国を滅ぼした。


 そうかと思えば、懸命に世を破滅から守ろうとする神と民の前に現れ、圧倒的な力で災厄を鎮め、なにも言わずに去っていく――。


「なぜです!? なぜ貴方はこのような無意味なことをするのです!?  元より亜獣族は、神である私が人間族の成長を促すために……〝人に敗れて滅びるために生み出した〟のですよっ!? それが逆に人間族を滅ぼしては、私の計画が……!!」

「力こそが真理……そのように世を作ったのはお前たち神だろう? よく見るがいい……この俺こそが、お前たちが作った〝その理の体現者〟だ」


 どこまでいっても己の信念と自我を押し通す時臣の存在は、やがて神々にとっては〝魔王以上の災厄〟……〝制御不能な混乱の象徴〟として恐れられるようになった。そして――。


「特定しました。数多の命の中において、高水準の精神性を獲得した者のみが獲得可能な〝神を超える因子〟……その存在を」


 それは皮肉か。

 はたまた因果か。

 

 神を真に追い詰め、勇者計画を生み出した原因は〝魔王ではない〟。


 龍石時臣という全てに従わぬ最強の存在こそが、神々に命が持つ真の力――〝可能性の力〟に気付かせ、それを利用する術を与えた根源だったのだ。


「なるほど……可能性こそが命の持つ最も強く、そして危険な力だと」

「可能性の力はあまりにも強大。扱いを間違えれば、第二第三の時臣ともなりかねません」

「安全装置として、各々の神は自らの世界ではなく、異なる世界から一つの命のみを可能性の適合者として利用可能としましょう。そうすれば、万が一その者が暴走した際にも即座に異界の狭間へと放逐可能です」

「うむ……では可能性の適合者たち、その者たちをなんと呼称する?」

 

 それは、クロムが生まれるより数千年前。


 当時の高位神たちによって、可能性の力を持った〝より従順な命の選抜計画〟が定められた。

 

「〝勇者〟……彼らの名は勇者で良いでしょう。古来より、人中の英雄は皆そう呼び記されて参りましたから」


 勇者。


 それは、命が持つ可能性の力を神すら超える領域まで育て、貫く意思を持つ者たちの名。

 己の可能性を信じ、どんな困難を前にしても歩みを止めぬ強き命の名。


 そしてこの瞬間。やがて訪れる破滅への時針は、ゆっくりとその時を刻みはじめたのである――。


 ――――――

 ――――

 ――



〝舞へ舞へ勇者

 舞はぬものならば

 魔の子や鬼の子にゑさせてん 

 踏みらせてん

 まことに美しく舞うたらば

 生まれし世まで帰らせん〟


 

 もはや、鈴の音は響かない。

 もはや、わらべの歌声は届かない。


 聞こえるのはただ、いつまで経っても泣き止まぬ我が子をあやす、歌に不慣れな〝父の声〟のみであった――。


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