本当の願い


「チッ……一体どうなってやがる!?」

「まさか……奏汰かなたたちが失敗したっていうの!?」


 現世。

 時臣ときおみが呼び出した数多の鬼との交戦が続く江戸城。


 鬼の首魁しゅかいたる時臣がルナのスキルによって無力化され、城内での騒乱は掃討に加わったクロムと家晴いえはるの力によって勝勢も間近。

 しかし鬼との激戦で傷つき、疲れ果てた剣士たちが戦いの果てに見たものは、突如として空と地とを割って吹き出し、全てを飲み込んで膨張する〝真皇しんおうの闇〟だった。


「な、なんて悲しみに満ちた力……これが、私たちが解放しようとしていた真皇の闇……」

「終わりだ……もはや、あれを滅ぼすための機は逸した。俺の張った結界は砕け、捕えた勇者の力をぶつけて奴を葬ってやることもできぬ……貴様らの甘い考えが、この破滅を招いたのだ!!」

 

 暴れ狂う真皇の闇。

 それは決死の思いで戦い抜いた武士たちの目の前で、またたく間に江戸の町を、日の本を、世の全てを飲み込み砕いていく。


 木々も草木も、空も海も。

 現世を構成する全てが闇に飲まれ、生きとし生けるものたちの絶望と恐怖の悲鳴と共に散り散りに砕ける。


 それは正に、時臣の語る破滅そのもの。


 これまで真皇が取り込み続けた無数の異世界で起きたのと全く同じ絶望の結末が、この江戸の地にも訪れたのだ。


「ルナは私から離れないでっ!! 君のことは、なにがあっても絶対に守ってみせる!!」

「いいえ……! 今私たちがすべきことは、一人でも多くの命を守ることのはず! せめて、ここで戦っている皆さんだけでも――!!」


 迫り来る破滅。それを見たクロムとルナは、共にあらんかぎりの力をもって真皇の闇に抗う。

 神と勇者、二人の力は荒れ狂う闇の暴風の中に残された江戸城を守護する障壁を展開。

 しかしあまりにも強大な闇の前に、結界はまたたく間に悲鳴を上げ、一瞬にして江戸城から見える景色ごと削り取った。


「――あのわらべは……ひかるは、俺に自らを〝殺して欲しい〟と願っていた。己の心が怒りと憎悪に飲まれ、全てを破壊し尽くす前に殺して欲しいと……」


 全てが闇に消える地獄絵図を前に、時臣は後悔と無力とに打ちのめされた表情でうなだれ、がっくりとその巨躯を地につく。


「だから俺はひかるを殺すために……〝ひかるの願い〟を叶えるための策を求めた。そしてひかるにそのような〝惨い願い〟を抱かせた神と勇者を憎み、必ずや報いを受けさせると誓ったのだ……! それをよくも……! 貴様らさえ……貴様らさえ邪魔しなければ……ッ!!」


 この期に及んでなお怨嗟と呪詛とを吐き、時臣は鍛え抜かれた拳を大地へと叩きつける。しかし――。


「――この、大馬鹿野郎がッッ!!」

「が――っ!?」


 しかしその時。

 時臣の顔面に、固く握りしめられた家晴の鉄拳がめり込む。

 一切の躊躇無く殴り抜けられた時臣は失った片目を覆う眼帯すら剥がされ、その頬を歪めたまま地面へと叩きつけられた。


「ぐっ……!」

「いつまで腑抜けたことを言ってやがる……!! てめぇが認めようが認なかろうが、てめぇがあのガキの親代わりだってことに代わりはねぇだろうが……!? そのてめぇが……まだあのガキの願いが〝死ぬこと〟だと……本気で思ってんのか!?」


 その瞳に憤怒の激情を灯し、とうに傷の癒えた家晴は時臣の身を強引に引き起こす。


「これでなにもかもが終わりってんなら、最後くらいてめぇの役立たずの目玉でよく見てみやがれ……ッ!! てめぇが目を逸らし続けたなにもかも……〝てめぇがなにから逃げてきたのか〟をなァッ!!」

「なんだと……!」


 半ば家晴によって突き出されるようにして、力を失った時臣の視線は目の前に広がる真皇の闇へと注がれる。


 だがそこに広がるのは殺戮と闇。

 そして尽きることのない憎悪と怒り。


 失った母を求め、世の理不尽の全てを破壊しようと暴れ狂う少年の嘆きがあるだけ――そう見えた。だが――。


 しゃらん――。

 しゃらん――。


「……っ!? これは……この〝鈴の音〟は……っ」


 聞こえる。

 

 全てを否定し、己を八つ裂きにしても足りぬほどの怒りに飲み込まれた少年の闇から。

 その音は、確かに聞こえてきたのだ。


『おっかぁぁ……っ! どこにいるの……? こわいよぅ……こわいよぅ……っ!』

『ぬおおおおお!? わらべというものは、いったいどうしたら泣き止むというのだ!? 俺には子守の経験など一度たりともないのだぞ!?』


 その音は、ぐずり泣くわらべの声。

 子の夜泣きに悩み、困り果てる父の声。


『舞へ舞へ勇者

 舞はぬものならば

 魔の子や鬼の子にゑさせてん 

 踏みらせてん

 まことに美しく舞うたらば

 生まれし世まで帰らせん――』


 しゃらん。

 しゃらん。


 鈴が鳴る。

 

 何処より聞こえる子守歌。


『すぅ……すぅ……おっとぉ……』

『うむむ……やっと寝付いてくれたか。明日もこの〝鈴と子守歌〟で落ち着いてくれると良いのだが……』


 それは泣き止まぬ子に困り果てた父が苦し紛れに歌い、鳴らした鈴の音色。

 かすかに闇から聞こえたその音色に、時臣は震える手で自らの懐から〝古びた鈴〟を取り出した。


「な……なぜ、覚醒した真皇からこのような記憶が……? 真皇は……ひかるは、もはや世の滅びだけを望み……そのような恐ろしい所業に手を染める己を止めて欲しいとだけ……!!」


 時臣は愕然と闇を見つめ、手にした鈴を握りしめてその表情を歪める。


「俺も偉そうなことは言えねぇが……ガキが親にして欲しいことなんざ、いくらでもあるもんだろ……。食うに遊ぶに寝るに話す……俺も娘には、適当に隣で座ってて欲しいなんて言われたこともあった。お前が育てたあのガキにも、そんなちっぽけな願いが〝いくらでもあった〟ってことなんじゃねぇのか……?」

「そんな、馬鹿な……! これが……ひかるの願いだと……!?」


 それは、時臣がこの千年の間一度たりとも考えなかった願い。

 否……時臣が目を逸らし続けた〝少年の本当の願い〟。


 もう一度、最愛の母のぬくもりを抱きしめたいと。

 母を殺した神と勇者を許さぬと。

 憎悪と怒りに囚われ、やがて世を滅ぼす己を止めて欲しいと。


 そして……そんな自分を救ってくれた時臣と少しでも長く共にありたいと。


 時臣が千年もの間必死に抑え込み、闇の覚醒と共に溢れた少年の願い。

 その願いの中には、時臣がひかると名付け育てた一人の少年が、たしかに時臣のことを父と慕い、実の母と同じように心から愛していたことがはっきりと現れていたのだ。


「なぜだ……? 俺は……お前になにもしてやれなかった……。お前の母を救うことも、本当の名を探すこともできず、あまつさえ……本来のお前を無条むじょうという偽りの衣で消し去ろうとまでした……! 心優しいお前の願いを、何一つ叶えてやることができなかったというのに……っ」

「…………」

「時臣様……」


 闇のもたらす破滅の暴風。

 しかしその中でもはっきりと響く、かつて時臣自身が考え、歌い聞かせたわらべ歌。


 いくら否定しようとも。

 いくら疑問に思おうとも。


 その歌声と共に浮かび上がる幼い少年の記憶は、どれも時臣が不慣れながらも必死にひかるを育て、共に過ごした光景ばかり。


 もはや家晴はくずおれた時臣をただ黙って見つめ、襲い来る闇に抵抗し続けるクロムとルナもまた、哀れみの眼差しを時臣へと向けた。そして――。


「〝助けてくれ〟……っ。誰でもいい……どうかひかるを……〝俺の子を助けてくれ〟……っ! 俺では救えぬ……俺では、ひかるを救えなかったのだ……!! ぐ、ぐぅぅううううぅぅ……――っ」


 絞り出すかのように。

 自らの額を崩壊する大地へと何度となく叩きつけ、その大きな背を丸め、嗚咽を漏らしてついに時臣は懇願した。


 それは、世の滅びを目論んだ者としてあまりにも身勝手な……しかし千年の時を経て、ようやく放たれた〝時臣の本当の願い〟だった。だから――。


『ああ……! 後は俺たちに任せろ――!!』


 その時。


 時臣の零した真実の想いに応えるかのように、闇の果てに虹の光芒が奔った――。



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