二人の朝


「いただきまーっす!」

「いだただきます」


 朝。

 今にもがらがらと崩れそうな粗末ないおりから、奏汰かなた新九郎しんくろうの明るい挨拶の声が上がった。

 新九郎が住む庵は江戸の北側を流れる神田上水かんだじょうすい沿いにあり、さらさらと流れる川のせせらぎが心地よい。

 間もなく夏の盛りを迎える川沿いには、かえるのげこげこという鳴き声も響いていた。


「いやー! 奏汰さんのおかげで、朝ご飯の準備がとっても楽でした。ありがとうございますっ」

「俺の方こそ、色々教えてくれてありがとな」


 今日の朝食は漬け物と芋混じりの玄米。

 それに戻し大根の味噌汁とめざしが一尾ずつ。

 ひび割れた小鉢には蒸し納豆が添えられていた。

 昨夜の神田屋に比べれば実に質素な並びではあったが、それを口にした奏汰は『うん』と頷いて笑みを浮かべる。


「おいしい……昨日の天ぷらもおいしかったけど、新九郎の料理もとってもおいしいよ」

「ほんとですかっ!? 実は僕も、前はぜんぜんお料理なんて出来なくて……最近ようやく、ちゃんとした物が作れるようになってきたんです」

「へぇー! 昨日も思ったけど、新九郎って本当にすごく頑張ってるよな」

「えっ!? そ、それほどでもないですよ……? えへへ……」


 奏汰からの素直な賞賛を受けた新九郎は、普段のようなどやどやしい態度ではなく、その丸い頬を薄桃色に染めてはにかんだ。


 今日は奏汰が江戸に落ちてきてから二度目となる朝だ。

 鬼との対峙から同心屋敷での一件。そして奏汰と同じ異世界勇者であるカルマとの戦い――。

 にわかには信じがたいほどに激動の一日を過ごした二人は、溜まった疲れから昨晩は泥のように眠った。

 今はすでに日も昇りきり、外からは川沿いの街道を行き来する人々や駕籠者かごもののかけ声がえっさほいさと聞こえてくる。


「この納豆も新九郎が作ったの?」

「いえいえ! こちらの納豆は夕暮れ時にやってくる納豆売りのおじさんから買っていまして。他にもお豆腐とか、お揚げとかも!」

「納豆売りか……なんかいいな、そういうのって」


 現代で口にした納豆とは若干の違いがあるそれを口に運ぶ。

 大ぶりの豆はふっくらとやわらかく、納豆らしい独特の臭みも、それを包んでいた笹の葉の香りでうまく落ち着いている。

 

「そういえばさ、結局新九郎が男のふりをしてる理由ってなんだったんだ?」

「えっ!? そ、それについてはまあ……大した理由ではないのですが……」


 昨晩に続き、奏汰から改めて男装の理由を尋ねられた新九郎は、少し照れくさそうに笑った。


「実はその……父上の真似ごとがしたくて……」

「お父さんの……? たしか、新九郎のお父さんも町で戦ってたんだよな」

「はい。僕はその話を、幼い頃から母上に聞かされて育ったんです。本当に、何度も何度も……」


 母の腕に抱かれ、語り聞かされた父の物語――。

 それは幼き日の新九郎にとって、最も楽しみな時間だった。


 ある時は幕府に巣くう腐れ役人を。

 ある時は江戸を襲う山のような鬼を。

 ある時は父の剣の腕を聞きつけてやってきた腕自慢を。

 またある時は。幕府転覆を狙う外様藩の藩主を。

 将軍家に伝わる護国の剣術――天道回神流てんどうかいしんりゅうを振るい、ばったばったと悪党共をなぎ倒していく父の勇姿。


「父上が悪党に向かって『愚か者め、余の顔を見忘れたか』って言うのが決め台詞で、言われた悪党が『上様の顔は忘れた!』って開き直るのがお約束なんですっ!」

「開き直りすぎだろ!?」


 それら語られても尽きることのない父の活躍に、新九郎は幼き頃より憧れ続けてきたのだという。


「それに女の子の格好のままでは、僕が吉乃よしのだということがすぐにばれてしまうかもですし。自分で言うのもなんですが……実は僕って、日の本でもかーなーり有名な天才美少女姫剣士なのでっ!! 美少女なのでっっっっ!!」

「なんで二回言ったんだ!?」

「大事なことなのでっ! あははーー!」

 

 これほどまで父に憧れ、剣士としても免許皆伝まで上り詰めた新九郎が城の中にこもり続けるなど元より無理な話。

 新九郎にとっては家出による空腹や貧困の苦労よりも、父と同じように、人々のために剣を振るえることの方がはるかに嬉しかったのだ。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした!」


 やがて食事を終えた奏汰は、食器を前に両手を合わせる。

 新九郎もそれに続き、二人の遅い朝食も一段落となった。


「ところで、お金は大丈夫なのか? 今までだって、新九郎一人でも大変だったんだろ?」

「ご心配なく! 昨日いただいたお金がまだありますし、僕もまたお仕事頑張りますから!」

「そっか……けどやっぱり、俺も早い内に仕事を見つけないとな」


 食べ終えた食器を壊れかけの桶に重ね、奏汰は明らかに二人が暮らすには手狭な庵の中を見回す。

 季節は間もなく梅雨の開け頃であるが、そうすれば次にやってくるのは夏の台風だ。

 すでに屋根としての役目を果たせていない茅葺かやぶきはもちろん、今にも崩れんばかりのこの庵で夏の嵐をしのぐことは、相当に難しいように思えた。


「新九郎の仕事って、用心棒だっけ?」

「ですね! 盛り場で酔っ払ったお客さんを外に追い出したり、厄介ごとの話し合いをする場にご一緒したりするんです」

「危なそうだけど、平気なのか?」

「そこはもちろん天才美少年剣士ですのでっ! 少しくらい危なくなっても僕の剣で、どんな相手もばったばったとなぎ倒してしまうのですっ! どやっ!」


 そう言って新九郎は得意げに胸を張り、それを見た奏汰は感心して何度も頷いた。


「なら、俺もそういう仕事はできるかもしれないな。他にもどんな仕事があるのか調べないと」

「でしたら、ちょうど今日は同心様のお屋敷に昨夜の検分でお伺いしますし、奏汰さんのお仕事についてもご相談されるといいかもです!」


 二人の食器を入れた桶を外に運び出しながら、新九郎は相変わらずのにこにこ顔で奏汰に微笑んだ。


「奏汰さんなら、きっといいお仕事が見つかりますよ。この僕が保証しますっ!」

「し、新九郎の保証か……嬉しいけど、昨日はそれを信じて捕まりそうになったんだよな……」

「はわっ!? あ、あれについてはもう何度も謝ったじゃないですか~!?」

「あはは! 冗談だよ。ちゃんと頼りにしてるって!」

「むー! 意地悪ですよー!」


 そうして――奏汰と新九郎の二人は互いに桶だの汚れた着物だのを持ち、洗濯のために川辺へと下りていく。

 二人となって初めての朝は、いつまでも続く楽しげな会話で幕を開けたのだった――。


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